「決める」力と「想う」力
理想のリーダーとは、一体どんな人物だろう?
ひと時カリスマとして賞賛を浴びた人物が、内部告発の末に失墜したり、長く権力を誇る強いリーダーの後継選びが難航したり、リーダーシップに関わる問題が、改めて脚光を浴びている。
「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」はレイモンド・チャンドラーの引用だが、ひとにタフさと優しさの両面が必要なように、リーダーの心得にも二面性が求められるように思う。
戦略コンサルタントの立場で経営陣と多くかかわる経験から導く、理想的なリーダーの二面性とは、「物事を決める」力と「周りを想う」力の両面だ。
まず、視界不良な現代、どう先を読んで自分の航路を描くかを「決める」ことが、今までにも増してリーダーに求められている。もちろん、白黒がはっきりしない右か左かの判断は難しい。さらに先輩たちが築いたものを否定することは、いわゆるサラリーマン社長には辛いだろう。
色々な意見と自分の経験をもとに決断をし、もしそれでも読みが運悪く間違っていれば、潔くもう一度決めなおせばよい。「決める」プロセスと「なぜ」が組織に共有されていれば、朝令暮改も許される。
一方、「周りを想う」力は、思いやりとコミュニケーションから成り立つ。自分の直属幹部や主要株主に限らず、組織の末端にいたるまで気配りが出来るだろうか?社員はどんな思いで働いているのか?ある決断によって不利になるメンバーがいるとしたら、どう手当てするのか?組織外の関係者にいたっても、自然と気配りができる人徳リーダーの周りには、ひとが集まる。
言うは易し。これら二つの側面を併せ行うことは、なかなかハードルが高い。
もしリーダーの資質が決断力に偏った場合、独裁者になりがちだ。権力で押し切れば、ひとはリーダーの決断に従うかもしれない。しかし、気持ちを踏みにじられるようなことが続けば、恨みはたまるばかり。ある組織人が日本企業を「忖度と怨念で成り立っている」と評したが、蓋し名言だ。労働流動性が低い分、長い間の忖度が怨念をはぐくみ、臨界点を超えたとたんにマグマが噴き出すような怖さがある。
逆に、エンパシーばかり強いリーダーは、推進力が弱い。サーバントリーダーシップの概念を盾に、「思いやり」ばかりで何も決めないリーダーには、ビジョンが感じられない。大局観と指針のないリーダーに、ひとは追随しない。例えば、中期経営計画が「下から上がってきたもの」の積み重ねを全社数値目標と整合させただけになっている場合、組織がいったいどこに行こうとしているのかが、外からも中からも見えない。士気は振るわないし、結局リーダーは責任を取りたくないのかと邪推されるのが落ちだろう。
もちろん、この両面性を備えることは、組織の長になった途端、急に求められるものではない。裏を返せば、仮に一スタッフの立場でも「決断」し、「周りを想う」ことは大切だ。置かれた状況で、自分は何が出来るかをよく考え、周りを動かして自分ひとりではできない規模の結果を残すことが、仕事の醍醐味だろう。
リーダーにすべて決めてもらおうとする指示待ち文化の組織に、「決められ」かつ「周りを想える」素晴らしいリーダーが突然現れることは、考えにくい。このような素質をもったリーダーは、理想的には組織の中で育つ必要があるからだ。また、仮に外からリーダーを招へいしたとしても、彼・彼女が活躍するためには、組織全体がそのような素養を持っていることが前提条件となる。
強い組織とは、リーダーから現場レベルまで、「物事を決める」力と「周りを想う」力を意識する組織だ。理想のリーダーとは、その頂点に立ち、二つの力を体現するような人物だろう。