見出し画像

東京はなぜかくありきか:地形の力

朝鮮半島や米中や中印の難しい状況なども関係し「地政学」に関心が高まっている。

そんな折、「東京はなぜこの地に出来たのか」も、地形の構造によって決まっている、という説明に出会った。

この説明は、『水の郷 日野』という陣内秀信教授と法政大学のチームがまとめた本にある。この本自体は、日野市の地形や生活を地道に調査してまとめたものである。

実は、私は日野市に住んおり、しかも、この在宅勤務の影響で、朝晩に散歩をするようになり、地元の起伏や川の流れに詳しくなってきたタイミングだったので、この本が気になって手に取ったのである。

この本によれば「日野市の地形を理解できれば、東京の成り立ちが相似形で理解できる」というのである。

えっ、本当?という印象だった。
日野は、23区から西に大きく離れた、いわゆる「東京都下」の市である。とても、東京を代表するような要素を持っているとは考えがたい。

実は、「相似形」というのがポイントなのである。
日野市は、ゆったりの流れる川(多摩川)と相対的に急流の川(浅川)という二つの川が合流するV字型の地形にできた地域である。歩いているとよくわかるが、このため、河川敷から続く低い土地と川に削られていない一段高い地層上の台地との境界が崖になっている。従って、日野市には崖が多い。そして、崖の下には湧き水や水路が豊かである。さらに、この崖と水路の近くは、今もほとんどが緑地になっているのである。

即ち、二つの川が合流しているため、崖と湧き水と緑が、V字状に豊かなのである。そして、この崖と湧き水と緑が豊かな地域というのは、住むにも、農業にも適した場所になるというのである。

この本によれば、この緩流と急流の合流点に、豊かな地域ができるという構造によって、東京はこの地に出来たというのである。緩流とは荒川で、急流とは多摩川である。例えば、荒川から続く低い土地にある上野や池之端と、高台にある本郷の間は崖になっている。

我々は、このような地形の構造の影響を避けられない。一見、このような高低差は、現代では人工的に克服できそうにも思える。しかし実際には、現代でもこの影響は、全くそのまま残っているのである。

我々は、その意味で、崖や水や緑に生かされているのではないか。
コロナ禍の影響もあり、この崖と水と緑の豊かな場所の辺りでは、犬の散歩やジョギングをしている人が多い。我々には、実は、崖や水や緑が必要なのだと思う。

日本の中心都市を決めるという一大判断については、歴史を紐解けばいろいろな説明が可能だろう。しかし、人が意志で決定していると思われることも、本当は既にある環境の構造に、強く影響を受けているのである。

このような視点をもってみると、何気ない散歩道に悠久のストーリーが見えてくる。

そして、これを相似形に拡大していくことで、より大きな国家間を含む地政学的な構造に発展できるかもしれないし、それによる人の判断の本質も見えてこないかと妄想は拡がる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?