中銀デジタル通貨(CBDC)元年~群雄割拠の読み解き方~
中銀デジタル通貨(CBDC)元年
今年は中銀デジタル通貨(CBDC)元年とも言える年になりそうです。端的には中国がいよいよ発行に漕ぎ着けるという話があるほか、国際決済銀行(BIS)を筆頭に国際機関も関連レポートを相次いで出しています。例えばBISは1月23日、『差し迫った到来-CBDC調査続編(Impending arrival‐a sequel to the survey on central bank digital currency)』と題した報告書を公表しています。とはいえ、「差し迫った」と銘打ちながらも、今回の調査結果を見る限り、ほとんどの中銀は依然、調査や概念検証こそ行っていても、実際に発行計画を視野に入れるまでには至っていません。CBDCを個人(リテール)向けに本当に流行らせるのであれば、中央銀行と既存の銀行部門の関係や関連法制などを含めた「未来の金融システムのあり方」という非常に大きなテーマも議論する必要がありますので、導入の実現可能性を軽々に口にできないのは当然でしょう。
リブラが中銀意識を変えたのは確か
とは言いつつも、今回のBIS調査においては「CBDCを短期的ないし中期的に発行する可能性」との質問に対し、「very likely(非常にありそう)」および「likely(ありそう)」の回答割合が昨年より上昇していました。さしずめ「迷っていた中銀が前向きになった」というのがこの1年だったようにも思えます。 これは当然、昨年6月にフェイスブックがリブラ計画を公表したことと無関係ではないでしょう。メディアなどを中心としてCBDCというフレーズが多用されるようになったのはやはりリブラ計画の発表以降であり、その意味で同計画に存在意義はあったと思います。ちなみに予備計画(pilot projects)の策定というステップにまで及んでいる中銀は10%しか存在せず、その全てが新興国中銀という結果も出ています(その他の中銀は調査や概念実証などにとどまっており、実現可能性を探る段階でとどまっています)。
デジタル通貨戦争「4大勢力」
冒頭述べましたが、下馬評通りならば、デジタル人民元の発行が近いとされていることから、2020年はCBDC元年ということになりそうです。発行可能性はさておき、「まずは勉強すべき」という同調圧力が中銀サークルの中で充満し始めているのは間違いなさそうです。CBDCを巡っては経済・金融・法律・技術など、さまざまな論点が考えられますが、どの国・地域(勢力と言っても良い)がどのような思惑で動いているのかという視点を欠いてしまうと大局をつかみ損ねてしまいます。
既報の通り、水面下での主導権争いは激しさを増しています。最近のデジタル通貨を巡る勢力争いは大別すると2つ、より厳密に分けると4つに分派していると考えられでしょう。まず、2つに分けた場合は第1に民間暗号資産、第2に公的暗号資産です。公的暗号資産は中銀暗号資産であり、いわゆるCBDCです。しかし、これだけでは不十分でしょう。厳密には(1)既存権力の通貨圏を打破したいフェイスブック(≒リブラ協会)、(2)ドル一強体制に対抗して人民元通貨圏を作りたい中国、(3)ドル一強体制に対抗して異なる通貨圏を作りたい先進国連合、(4)ドル一強体制を守りたい米国、という4つの勢力がにらみ合う群雄割拠の時代とも言える状況が到来していると考えられます。米国からすれば、既存の決済システムが頑健で、何より基軸通貨の特権を謳歌できているのだから現状を変える誘因は大きくない。かつてパウエル米連邦準備理事会(FRB)議長が述べたように、米国内の現金需要が依然根強いこともその思いを強めるものでしょう。しかし、特権を持たない米国以外の勢力からすれば現状を千載一遇のチャンスと捉えるはずです。
群雄割拠を読み解く3つのキーフレーズ
現在のこうした群雄割拠は3つのキーフレーズから読み解けます。1つは対リブラ、もう1つが対ドル、そして最後の1つがデファクトスタンダードの獲得です。まず既述の通り、対リブラの思惑がCBDCブームとも言える現状の発端になっていることは疑いようがありません。例えば中国がデジタル人民元の可能性に積極的に言及し始めたのはやはりリブラ白書が発表された昨年6月以降の話です。リブラの価値を裏付けるリザーブの半分がドルであり、残り半分についても人民元を入れる意向がないことがフェイスブックから明らかにされています。ゆえに、「次世代通貨の覇権」という文脈で考えた場合、中国はリブラ計画を前にことさら動く理由があったと言えます。
ですが、人民元はあくまで法定通貨ですので、リブラとは本質的に異なるものです。ゆえに、そのデジタル化(とこれに伴う使用範囲拡大)の試みは「ドルの基軸通貨性への挑戦」というリブラにはない色を帯びやすくなるわけです。リブラ計画のような民間企業が主導する動きならば公的部門(既存権力)の合意(象徴的には先進7カ国=G7や主要20カ国・地域=G20)でつぶせますが、来るべき法定通貨のデジタル化において、しかも他でもない中国がその意欲を先鋭化させる動きを抑止するのは困難です。抑止するには同様の動きをぶつけて、けん制するしかありません。
そのけん制こそが昨年10~12月期から突然勢いづいたデジタルユーロ計画の背後にあるのだと思われます。これが前述した第3の勢力(ドル一強体制に対抗して異なる通貨圏を作りたい先進国連合)であり、対リブラおよび対ドルという文脈の中で浮上していると考えられます。また、この勢力はユーロ圏だけにとどまる気配がありません。1月21日に公表され話題となったように、中国と米国を除く主要中銀がCBDCの共同研究グループを発足することになっています。同グループは「それぞれの国・地域において中銀デジタル通貨の活用可能性の評価に関する見地を共有するため」とその目的を謳っています。そうした表向きの目的はさておき、各国の思いはさまざまだろうが、共通利益として「ドルに対抗する基軸通貨性を帯びた新勢力」を求める思いが色濃いことは否めません。欧州中銀(ECB)のほか、日銀、イングランド銀行(BOE)、リクスバンク(スウェーデン中銀)、カナダ銀行(BOC)、スイス国立銀行(SNB)そしてBISが共同研究のメンバーであり、見事に先進国の中でFRBだけ外れています。
デファクトスタンダード獲得に意欲を示すECB
最後にデファクトスタンダードの獲得に向けた野心というキーフレーズも大事です。BIS調査で想定するような3~6年という期間ではなくても、来るべき新時代ではCBDCの発行は避けられないと考える向きは少なくないでしょう。 現時点でCBDCへ全く関心を示してこない米国ですが、昨年12月5日、下院金融委員会の公聴会においてムニューシン米財務長官は「パウエル議長と私はこの問題を話し合ってきたが、われわれは近い将来、今後5年間にFRBがデジタル通貨を発行する必要はないとの認識で一致している」と証言しています。「5年必要はない」とは言っていますが、「5年以上先はどうなるか分からない」というようにも読めます。そう遠くない将来、デジタルドル計画への着手が始まる可能性は十分あるでしょう。新しい技術や構想は早く始めた者がルールメーカーになれる可能性が高いわけですから当然です。
この点、そうしたデファクトスタンダードの獲得に最も意欲を隠していないのがECBです。ビルロワドガロー仏中銀総裁は昨年12月4日、パリで開催された会合で「少なくとも大規模なCBDC発行で早急に動けば、ある程度優位になる。そうなればわれわれは世界初の発行中央銀行となり、われわれのCBDCがベンチマークになるという利点を得られる」と述べました。スピードを重視し、技術・規格・制度面などにおいて先行者利益を確保したいという思惑を率直に吐露しています(ここではベンチマークというフレーズが使われているがデファクトスタンダードと同意です)。
日本にとってはキャッシュレスの起爆剤に?
こうして同調圧力が高まる中、政府・日銀もデジタル円に関心を寄せ始めたとの報道が散見されるようになっています。ユーロ圏のテンションとは異なり、日本では「ドルの基軸通貨性にチャレンジせよ」「デファクトスタンダードを獲得せよ」という野心的な思惑はメインドライバーにならないでしょう。一方で、主要国対比で劣後していると評されることの多いキャッシュレス環境を焚きつける1つの起爆剤として有用と考える向きの方が多いかもしれません。理由はどうあれ、かつて黒田東彦日銀総裁が示唆したように「将来的に必要性が高まることに備えて調査を行う」という姿勢が現時点で求められる最低限の水準であり、その意味では主要中銀の中で最もCBDCに積極的なECBの主導する勢力に食い込めている状況は前向きに評価して良いのではないかと思います。