見出し画像

「効率化」のパラドックス 〜テクノロジーが進歩しているのになぜ僕らの生活は豊かにならないのか?

お疲れさまです。uni'que若宮です。

今日は「効率化」について考えてみたいと思います。


「効率化」が余裕を増やすのでなく奪うという逆説

今年、値上げが続出する中、ペヤングが価格を据え置くということでニュースになっていました。

製品価格の改定に関しては、「幾度となく検討してきた」(同社)という。ただ、消費者の要望もあり、「徹底したロス削減・徹底したムダの削減を実施し、生産の効率化を図り、しばらくの間は価格を据え置く」(同社)こととした。

消費者としては助かるところですが、経営的・経済的に考えるとなにかすっきりしない感じが個人的にあります。

20世紀には「企業努力」という言葉が「値下げ」とほとんど同義に使われていました。「真面目な日本企業」は「努力」を続け、低価格を実現していきます。とくに食の分野ではデフレが進みました。

画像1

https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2107/12/news001_4.html より)

10年前を振り返ると、なんと価格競争により牛丼の値段が250円にまで下がっていたようです。

現在はそれよりは適正価格に戻りましたがそれでもものすごく日本の食は安いですよね。


先進国の中で日本だけが特異な下落を続け、上のグラフと似たような推移をしてきたものがもう一つあります。

それは賃金です。

画像2

先進国の各国が時間当たり賃金を上昇させる中、日本だけ賃金が下がっていっている。

もちろん、賃金の数字単体だけではなく物価と合わせて相対的な評価をしなければいけません。賃金が上がってもそれ以上にモノの値段が上がれば、生活は相対的に苦しくなりますし、賃金が下がってもそれ以上にモノの値段が下がれば、生活は相対的に楽になるはずです。

モノの価格は売上・利益に影響し、そこから賃金が払い出されるのでモノの値段と賃金はつながっています。モノの値段が下がるのはその時はうれしくても、中期的には賃金の低下につながり、そして賃金が低いために消費者はより安い商品を求め、といわゆるデフレ・スパイラルに陥ってしまいます。モノには原価がありますから、低い価格を維持するためには結果としては賃金を削らざるを得ず、その結果生活の余裕も削減してしまうことになりかねません。


テクノロジーが進歩したのに時間価値が下がっている

企業が一生懸命に知恵を絞り「努力」をしたのに、余裕が生まれるどころか生活が苦しくなる、という逆説がここにはあります。

先程のグラフでは、1997年対比で賃金が-8.2%減少しています。ここで改めて注意したいのはこれが月給や年収ではなく、「時間あたりの賃金」だということです。言い換えるなら1時間あたりの仕事の価値が下がってきている

この25年、大きくITが進歩・普及しました。IT技術により明らかに仕事の効率性はあがり、手間は減っています。であれば時間あたりの仕事の価値は増加するはずではないのでしょうか…?

たとえばなにか文書を作成する時、以前は全てが手書きでした。大学時代、修士論文を書いている時には教授から「私達の頃は全部手書きで、正副二部を提出にも一部ずつ手書きで書き写して提出していた。それに比べればPCで書いてコピーも出来るんだから楽なもんだ」と言われたことがあります。全部手書きで2部なんてどんだけ時間かかるんだ…考えたくもねえ…(血)

手書きで2部 → wordで執筆しプリントアウト&コピー → 電子化・クラウド利用で、同じアウトプットをするのに、ざっと手間は100分の1くらいになっているはず。それなら時間当たりの仕事の価値が100倍になっているか、というと全くそうなっていなくて、むしろ下がっている。

経済学者のケインズは1930年に、 先進国ではテクノロジーの進化によって20世紀末までに週15時間労働が実現しているだろう、と予言したそうです。週15時間ということは、だいたい2日働けばいい、という計算です。週休5日ですね。

いやーケインズ夢見すぎだよー、そんなにテクノロジーが進歩するわけ無いじゃんー!と思われるでしょうか。いえ、むしろどちらかと言えば、テクノロジーの進歩はケインズの時代の見積もりを遥かに超えるスピードで進んだはずです。

しかし僕たちは相変わらず働き続けています。しかも、以前よりも低い賃金で。テクノロジーの進歩によって楽になるはずだった生活、生まれるはずだった余裕はどこにいってしまったのでしょうか?


働いた量「だけ」お金をもらえる仕組みの問題

なぜ働くか、といえば「働かないと食っていけないから」という人が多いのではないでしょうか?

いまの賃金の制度は基本的に「時給制」になっています。すると、働く時間が減れば収入が減ってしまいます。この仕組みからすると「効率化」は必ずしも生活を楽にはしてくれません。

もし機械化やシステム化によって人の労働時間が1/2になれば、企業は賃金を1/2しか払わないでしょう。企業にとっては「コスト削減」になるわけですが、働く側の観点からすると、無駄が削減されればされるほど賃金が減る、ということになります。

基本給があるので実際に1/2になるわけではありませんが、実際「残業が減ると給与が減ってしまう」と理由で無駄な残業が続いているケースは少なくない気がしますし、「なるべく働いている」必要があるのでいわゆるbullshit job(クソどうでもいい仕事)も生まれているところがあります。

要は働いた分だけ支払う、という仕組みの中では、「効率化」が働く人にとってのインセンティブにならないのです。それどころか完全に自動化されてしまうと人手が不要になってしまうことすらあります。AIやロボットに「仕事を奪われる」。本来人間を助けるはずだった「効率化」が人の仕事を取ってしまう敵になってしまいます。

これは仕事の「価値」から考えるとちょっと奇妙なことです。本来、同じアウトプットがされるのであれば、それを機械によってしようが人の手によってしようが構わないはず。人の労働時間が減っても出しているアウトプットが一緒であれば生産している価値は変わらないのですから、支払われる賃金も変わらない、ということになるはずです。仕事が効率化され半分の時間でよくなれば、半分働けば同じ給与がもらえて、時間あたりの賃金はあがっていくはず。

ですが、テクノロジーによって時間的余裕が生まれると、それは経営的には「無駄」と見られ、削減されてしまいます。時間あたりの労働の価値を考えた時、時給で仕事が設定されていると、いくら効率化をして分母が減ってもその分だけ分子も引き算されてしまい、時間あたりの賃金が上がっていかないのです。


量を増やすと価値が相対的に目減りする

もしくは、労働時間が1/2になれば生産量が2倍になるのだから、その分売上・利益が上がり賃金だってあがるはずじゃないか、という考えもあるかもしれません。

モノが不足していた時代ならそうでしょうが、モノが飽和した時代にはそうはなりません。需要が一定になっている時にむしろ生産量を増やすと生産>需要となり、価格がさがってしまいます。せっかく仕事を1/2に効率化し2倍つくっても、買う人は2倍にはなりませんから2倍売れるわけではなく、かつ供給過剰で価格がさがれは、利益としては殆ど変わらないということになりかねません。

かつて、高度成長期には、効率化することで1人が2倍の生産をできればその分売れて売上や利益も伸びたことでしょう。労働の価値=(生み出した価値)/(働いた時間)とした時、分子が伸びていたわけです。

しかし需要に上限があり売上が大幅に増えることがない時代には、分子はほとんど変わらないことになります。とすれば、時間あたりの仕事の価値を上げるには分母を減らすしかありません。

しかし先に述べたように「時給」的な仕組みでは働く量が減ると給与が減ってしまいます。「効率化」はこうして大きなジレンマに直面していることになります。


ミヒャエル・エンデの『モモ』という小説があります。その中で大人たちは「時間貯蓄銀行」にそそのかされて必死になって時間を節約します。

「時間節約こそ幸福への道!
あるいは一
時間節約をしてこそ未来がある!
あるいは
きみの生活をゆたかにするためにー
時間を節約しよう!」
けれども、現実はこれとはまるっきりちがいました。

ですが節約した時間は実はその分貯まることなく、盗まれてなくなってしまい、大人たちはどんどん心の余裕を失っていきます。これが「効率化」のパラドクスをよく表しているように思います。


スマホがあればあらゆる情報にアクセスできるようになり、短尺で情報効率のよいコンテンツが溢れ、ワンクリックで翌日には荷物が届きます。しかしこうした効率化が果たして僕たちの仕事や生活を豊かにしているか、と振り返ってみるとどうもそうとも言えないようです。

時間の使い方や働くことの価値をそろそろ社会全体として考え直してみるべき時に来ているのかもしれません。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!