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アメリカは回帰する。

映画「ノマドランド」という存在を僕がはじめて耳にしたのは、昨年のヴェネチア国際映画祭の授賞式でした。

銀獅子賞を受賞した映画「スパイの妻」の製作に関わっていたので、
この授賞式を、製作関係者で(コロナ対策はした上で)こじんまりと集まって現地からのライブ中継を見ていました。

というのも、やはりコロナ禍のため、海外からの出入りは減らしたいとのことで、黒沢清監督やプロデューサー陣も、現地入りは出来ず、ライブ中継を日本で見るしかない状況であり、そして当然ながら「なにかを受賞するらしい」ということだけはふんわり聴いた上で、受賞コメントを収録していたが、何だかわからないというソワソワした状態であり、もう現地の授賞式を固唾を呑んで見守る、そんな時間でした。

そんななか、我らが映画「スパイの妻」は銀獅子賞を受賞したわけですが、では最高賞の金獅子賞はどの作品なのか?と最後のドラムロールがなるなかで発表されたのが「ノマドランド」。そして俳優フランシス・マクドーマンドと監督のクロエ・ジャオの二人が受賞の歓びを伝える映像が流れ始めたのだけど、コメントよりも「なんでこの2人は原っぱの中のバンに座って話しているんだろうか?また別の作品の撮影中で現場からかしら?(そんなわけないけど)」と思ってしまうような背景に気を取られてしまった。しかもどうやら会場はその背景に「WOOO!」と感激している様子。これは何だ!?ととっても興味を持ってしまいました。

そして、ついに日本でも「ノマドランド」が公開されました!
なので早速見に行ってきました!

高齢者が車で寝起きしながら働き場所を求めて全国行脚する――。米国の貧困シニアをもうひとつの「ノマド(遊牧民)ワーカー」にたとえ、その現実を描く「ノマドランド」(3月26日公開)は、今年のアカデミー賞で最有力の劇映画だ。俳優フランシス・マクドーマンドが孤独な高齢女性をたくましく演じているが、映画の原作はジャーナリスト、ジェシカ・ブルーダーが2017年に発表した社会派ルポルタージュ。著者自らも車上生活を送り取材した。「米国で注目されるのは有名人や若者ばかり。シニアを描いたルポが映画化されたことに驚き、とても興奮した」とブルーダーは語る。

「ノマドランド」は、ジェシカ・ブルーダーによるノンフィクション「ノマド:漂流する高齢労働者たち」をもとにしたロードムービー。リーマンショック後、キャンピングカーで“現代のノマド(遊牧民)”として過酷な季節労働の現場を渡り歩くことになった60代女性ファーンをマクドーマンドが演じた映画。

映画を見はじめて、あああ、だからあの受賞コメントの映像だったんだあと当然納得でしたが、撮影はだいぶ前に終わっているのにもう一度あの風景を作り出してコメント映像を映画祭に提出したのですかね。。。すごい・・・!

ルポルタージュのような映画

この映画、なんとも昇華・消化しづらい映画だなとというのが見終わったあとの感想でした。カタルシスからは常に距離を取り、「リーマンショック」「ハウスレス」「アマゾンの期間労働者」「高齢者」みたいなハッシュタグから想像される方向に進むようで進まない、言及してそうで言及していない。そんな作品です。

当然カタルシスを避ける映画というのもアートフィルムでは沢山あるのでいっぱい見てきたつもりですが、こんなにカタルシスだったり強いメッセージだったりが作品に表現されそうなハッシュタグがまとわりついているテーマなのに、という静かな驚きがありました。

例えば、アマゾンの倉庫で働くシーン。
もうこれはそういう意味でハイライトになりそうなシーンですし、実際それを暗喩する絵ではじまるわけです。グローバル経済と現代生活の象徴的な場所やシーンを描写する大規模で時に壮大な写真で知られるドイツの写真家アンドレアス・グルスキーの写真のような画からはじまるのです。

・・・・の割に淡々と働く主人公。機械的に働いているというよりは淡々とという感じ。特に悲壮感を煽るわけでもなく、そしてそこには淡々としつつも人間関係があり、バンで一人で暮らす主人公にとっての適度な外部との接触があるというむしろポジティブな場所に見えなくもないシーンにもなっている。

どう受け取ればいいのかしらこの映画・・・と気になって色々な記事を読んでみたのですが、この日経の記事でとても納得した部分があります。原作はノンフィクションであるという点。そこがとても映画で大事に禁欲的に、そして魅力的に実写化しているってことなんだと思い直しました。

基本的には、「孤独」「老後」「格差」「金融偏重に加担している人が引き起こした金融危機によってむしろ加担者が富み、関係ない労働者が更に苦境に立つという格差」などへの危機感や懸念があり、ジェシカ・ブルーダーがこの本を執筆したことは想像に難くない。多分そうだと思う。読んでないので憶測ですが、でもこの記事を読む限りにおいてはおそらく危機感や懸念が出発点とはいえ、ノンフィクションという矜持の元、結論有りきではなく当事者に寄り添いリサーチしファクトを淡々と積み上げていき、自身も学んでいくという過程の上で出来上がった本なんだと思う。

本当のノマドが本人役として自分の人生そのものを演じる

という憶測の上に更に憶測を重ねると、映画「ノマドランド」が面白いと思ったところは、映画を製作する上でも、原作のルポルタージュのスタイルをそのまま再現したかのようなスタイルであるという点でした。

原作がルポルタージュであっても、映画化する際には”ストーリー”を紡いで映画化する為のリサーチ素材になってしまっている気がするような事例もすくなくない。良し悪しではなく。でも、「ノマドランド」は原作のルポルタージュを下敷きにして、更にルポルタージュを製作しているかのようだ。ある意味でもう一度取材をしていてその過程を映像にしたかのように。

だからそこには、カタルシスも無いし、”ストーリー”もあるけども朧げなのかもしれない。僕がルポルタージュぽい映画だと感じたのは、もちろん、スリー・ビルボードよろしくマクドーマンドの圧倒的な説得力のある演技によるところもあるのだけども、エンドロールを見るとわかる、他の出演者の多くが、本当に「ノマド」で行きている高齢者であり、そして本名を役名として出演しているという所。

これまでにもアッバス・キアロスタミ監督『友だちのうちはどこ?』や、佐々木昭一郎『マザー』、濱口竜介監督『ハッピーアワー』など、役者ではない人が演じることで、リアリティだったり虚実の境を超えていく名作が沢山あります。

本作も本当にそうで、虚実の境を超えていくのと同様、どういう人生が勝ちなのか負けなのか、とか、善悪とかそういう境を超えて溶かしているというすごいことを写しているのではないかと思うようになりました。見終わってから4日位経ってからですが(笑)。だって、高齢ノマドというライフスタイルという主題に対してすら、(そういう状況を生み出している社会が)悪いようにも描いているようでいて、でもそのような選択をした個人の人生としては”有り”として描いている気もするし、でも「ノマド」が自由みたいな言説にも組みしないような。何か、ただそこにアメリカという国と国土があり、ただそこに高齢者が居て、そしてただそこに「ノマド」というライフスタイルを送る人もいる、そんな映画な感じかもしれません。禅かよ!

『ノマドランド』は、イーストウッド『15時17分、パリ行き』と近いのかもしれません。劇中でも本人が本人役として本人を演じる。そしてイーストウッドが常にその時の「赤いアメリカ」の視点からみたアメリカを描いているというところも含めて、アメリカを描いている『ノマドランド』と比べてみると面白そうです。

アメリカは回帰する。

個人的には、イーストウッドは特に「ハドソン川の奇跡」あたりから明確に、共和党的価値観(マッチョイズム)への回帰が鮮明になってきている気がしますが、『15時17分、パリ行き』においてはむしろ本人にヒーローとして再現を映画でしてもらうことで、現実世界にアメリカのヒーローを確立させようというプロパガンダ的チャレンジなのかしらとすら思ってしまった次第ですが、実は『ノマドランド』は更に、もっと先にアメリカの回帰を進めた作品なのかもしれません。

保守が「強いアメリカ」への回帰を描くのであれば、アメリカってそもそもなんだっけという建国まで回帰してみようと。そうするとそもそもどういう国だったのだっけ、アメリカンドリームがいつの間にか「マイホームを持つ」ことになりそれがサブプライムローンを加速させリーマンショックが発生させたけど、そもそもアメリカンドリームって開拓精神に根ざしていなかったっけ?みたいな事がふんわりと伝えられている気がしました。

ベトナム戦争へのプロテストから広がったヒッピームーブメント。おそらくその世代の人達が色々と経験して人生を頑張って生きたけど、ヒッピームーブメントで思い描いた理想とは違う社会になり、高齢に近づいて来たタイミングで金融危機が起き、今再びヒッピーのような生き方を選ぶ・せざるを得なくなっているという皮肉な現実ではあると思うのですが、いや、むしろそれは皮肉ではなく希望であり、経済という足枷から本当の意味で自由になり、アメリカの本質に回帰できる環境が整ったんだ、という話しな気もしてくるから不思議です。

元来が「ノマドランド」な土地なのに、人種差別的な時代に巻き戻そうとするのであれば、それに抗って引っ張り合おうとするのではなく、巻き戻すのはほっておいきつつ、その勢いあまってもっともっと巻き戻そうぜ、という合気道的な話しだったりして。

そう考えると、昨年あたりだと『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』『フォードVSフェラーリ』といった傑作から受け取った(白人アメリカ人の視点ではという注釈はつくだろうけど)黄金期のアメリカへの憧憬と塊根的なものが入り混じった「回帰できない(良き)アメリカ」という絶望感と比べて、『ノマドランド』からはもっと絶望的な現在が突き進むなかで視点を変えれば「回帰できる(良き)アメリカ」というのもあり得るという考え方もあるかもという面白い発見がありました。そう思えるのは「人新世の資本論」を読んでいる最中だからかもしれないけど。

もちろん、本作はあくまで「社会から見捨てられ、虐げられた人間の姿を描いた作品」であるとは思います。高齢ノマドの人々のすべてが好きでそれを選択したとは当然限らない。本人の意向とは無関係にそうせざるを得ない状況もあるわけで、それを生み出している社会環境や政治に対して修正は迫られるべきだし、また自分も消費者として利用している、市場経済でのキングであるAMAZONの「速い・安い・便利」を実現しているのが高齢ノマドであるという事実は受け止めなくてはならないと思います。

だけども、単にそういう「現実」と向き合うだけの映画ではないというところに意味を感じた映画でした。もっと多くの発見がありました。
だから、是非作品についているハッシュタグを一旦外してみて、劇場で見てみてほしいなと思います。

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大高健志@MOTION GALLERY
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