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そのDXは、幸せにつながりますか?

掛け声の割に、成果が出ない―蔓延する「DX疲れ」を分析する記事は多い。戦略不在、スキル不足、現場の抵抗などが挙げられる。コンサルタントとして顧客企業と接する中、どれももっともな指摘と感じる。しかし、その背景には、もっと根深い問題がある;DXが、本当により良い世界につながる「確証」がないことだ。

「デジタル」を広く定義すれば、DXは、つい最近始まったものではない。Eメールが仕事に使われだし、デジタルコミュニケーションが現場に普及したのは、既に20-25年ほど前のことだ。距離を気にしない、低コストでスムースな情報伝達が可能になった一方、先進国の生産性に驚くような改善はなく、前年比の伸びは、むしろ20世紀後半から停滞している。この間、一握りのIT長者は生まれたものの、経済格差は開いてしまった。

確かにコロナ禍で、在宅でも仕事ができる、デジタルコミュニケーションのありがたみは十分感じられた。一方で、立て続けに入るリモート会議と大量のメール処理に追われるプレッシャーに拍車がかかり、ホワイトカラーの疲れは一年越しで増すばかり。私たちの仕事の充実感が、おしなべて親世代よりもずっと勝っているとは言い難い。

もちろん、消費者として技術進歩から受ける恩恵は大きい。しかし、過去20-25年のICT革新によって、「働く私たち」がより幸せになったかというと、大きな疑問が残る。

この感覚が払しょくされない限り、DX推進には「やらされ感」がつきまとう。これからのデジタル化は、メール導入どころではなく、下手をすればAIに自分の仕事を奪われるリスクさえあるのであれば、なおさらだ。

ゆえに、これからDXを進めるためには、「ひとを幸せにする」大義が前提だと考える。「DXのためのDX」ではなく、「大義のためのDX」と捉えるべきだ。逆に、よりよい世界とのリンクが不明確な限り、DXを進めても組織の心はついてこないだろう。この場合、本当にDXが必要なのか問い直すべきだ。

では、どうすれば、ひとの幸せをDXの中心に据えられるか?ステークホルダーごとに、「DXで何かが飛躍的により良くなる」ストーリーを描いてみよう。

例えば、顧客の経験を抜本的に変えられるだろうか?EC購買の比率が増すだけでは、「少し便利だね」に過ぎない。個客のデータを統合して、店舗とオンラインの体験をシームレスに演出し、その人にあったカスタマイズした商品をタイムリーに提案するなど、今までより圧倒的に付加価値を高めることが要求される。DXにより、これらがコストを抑えながら実現できるのであれば、「顧客を幸せにする」ストーリーが生きてくる。

従業員にとって、DXによる働き方改革は重要なテーマだ。技術革新に踊らされず、今までのDXが必ずしも働く人の幸せに結びつかなかった事情を、顧みなくてはならない。これからのDXが、メールに溺れるような働き方を過去の遺物とし、より短時間で同じ仕事がこなせて、週休三日が当たり前になるような世界を描けるのであれば、DXに対する従業員の納得度は飛躍的に高まるだろう。

最後に、経営陣自身が恩恵を想像できなければ、DXへのコミットメントは建前の域を出ない。グローバル拠点に一律なデータを使った経営判断をすることで、経営品質が高まり、開示の即時性、透明性も増すなど、Before/Afterのメリットが、経営陣自身に納得できているだろうか?

他社皆がやっているから、技術的に可能だから、という理由だけでDXを始めることは危険だ。テクニカルな議論の前に、「わが社のDXは、だからひとを幸せにする」と自信をもって説明できるかどうかが、DXの成否を分けると考える。

#日経COMEMO #DXに失敗する理由

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