2024年はフワフワと生きていこうと思った話
みなさん。今年もそろそろ終わりですね。いろんな人が謝りっぱなしの一年だった印象ですが、今日は世田谷美術館で開催されていた「倉又史朗のデザイン展」の話をしたいと思います。
日経新聞も取材していますね。この椅子、座り心地が見た目のヘビーな感じと違ってすごく優しいんですよ。
倉俣史朗さん。みなさんご存知ですか?日本を代表するインテリアデザイナーで60年代に三愛に入社されて、什器や店舗のデザインから仕事をはじめ、1965年にクラマタデザイン事務所を立ち上げて独立。横尾忠則さんのグラフィックを大胆に使った店舗デザインなどで名を馳せました。
80年代は自分にとって中高生から大学生という時代だったのですが、「おいしい生活」という時代を捉えるキャッチコピーでカルチャー路線をつくっていた西武デパートの喫茶店の椅子やテーブル、川久保玲のコム・デ・ギャルソンのインテリアなど倉又史朗の仕事は、無知で幼い自分にとっても不連続の進化や、何か新しい文脈を感じさせるデザインとして記憶に残っています。
1991年に彼は56歳の若さで亡くなりますが、今回の展示で彼の代表作や、彼の残した言葉に接することができました。
重力から決別する
展示品の中で注目を浴びていたのが「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」(1986)という名の椅子。重厚な鉄を編み合わせた椅子です。でも、「月はどれだけ高いのか」っていうタイトル通り、重厚な素材とは相反するフワッとした浮遊感を感じさせる仕上がりになっているのです。
「ミスブランチ」(1988)という椅子も浮遊感を感じさせます。アクリルのなかに宙を舞う状態でとじこめられた薔薇の花。その瞬間に時間が止まってしまったかのような印象を受けました。
倉又史朗の仕事に通底している精神は「重力からの脱出」なんですね。
「金と権力の亡者は浮遊することができず、欲望から遠い者ほど軽やかに浮遊を楽しめるかもしれない」なんて言葉を残しています。
既成概念に安住したり、それに縛られることなく、新しい物をつくる困難を乗り越えていく。すごくハードな仕事をストイックにされていたんだと思うんですが、残された倉俣さんのポートレートを見ていると、「飄々としてる」という言葉が似合うんです。まさに、浮遊している感じ。飄々と生きていくのはきっと孤独な戦いなんでしょう。でも、それを感じさせない人を見ると憧れます。
倉俣さんはグラフィックやタイポグラフィいなど多岐に渡る仕事をされていましたが、店舗を中心としたインテリアデザインこそが、彼にとって既成概念から「浮遊」するフィールドになっていくんですね。
初期の仕事である三愛ドリームセンターのデザインにおいても、ハンガーや什器に透明アクリルを使ったり、当時としては考えられないはみ出し方をしているのが見て取れました。
「どこかで使用する予定のない家具をつくっていた」なんてとぼけた言葉も残しているんです。「使うことを目的としない家具、ただ結果として家具であるような家具に興味をもっている」とも。飄々と浮遊するクリエイターならではの言葉ですね。
全部、神の恩恵でもいい
倉俣史朗はテクノロジーによる合理化について何か息苦しさを感じていたのかもしれません。それからはみ出す何かを探求していたんだと思います。浮遊することで。
だからでしょうか、DX化が進む今の時代に彼の残した仕事をみることに刺激を感じました。
コンビニエントになれば愛が生まれるわけじゃないですし。
いま、ビジネスパーソンにもとめられているのは、デジタライゼーションがもたらす世界に、心をザワザワさせる何かを宿らせることですからね。
「誰かが、詩の1行は神の恩恵によって与えられるとしても、第2行を作り上げるのは我々だというけれど、自分は全て神の恩恵に預かりたい」なんて言葉も残しています。
筋金入りの飄々とした生き方だったんですね。