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神保町、イタリア、スイス、30代女性…ラグジュアリー新潮流の起点を考える

最近、新たな鉱脈の存在を、やっと感じ始めたところです。何かって、文化とビジネスの狭間というか、その中間領域に新しい大きな動きがありそうだとの感触をもっています。ビジネスと文化というと、企業のアート支援から企業内組織の文化に至るまで、人はさまざまなカタチを想像をします。ぼく自身は、デザインとローカル文化の関係をずっと昔から追ってきました。ただ今回、ぼくの直観は文化とビジネスを跨ぐものとしてのラグジュアリー領域に向いています。

さて、以下の記事では東京・神田神保町の変化が紹介されています。「ブックショップ無用之用」という新しいタイプの書店、韓国の本の専門店「チェッコリ」という神保町の本来のイメージに近い次元とともに、映画館「神保町シアター」が古い日本映画のメッカになり、飲食店「アソビCafe」はボードゲームを愛する若い人たちが集まる場になっているようです。また、糸井重里さんの「ほぼ日」も本社を青山から神保町に移転し、新しい文化をつくる拠点として動いていくとのことです。

糸井さんはファッションやデザインの町である原宿、青山、表参道かいわいに長く仕事の拠点を構えてきた。しかし今は高級ブランドの店ばかりが増え、歩くのは買い物客。「まだ世の中にないものを作りたい人には刺激の乏しい町になってしまった」という。

神保町エリアは長く住む人と「よそもの」としてのビジネス人が同居し「京都に似た空気がある」と感じる。家賃不要の自社所有の建物にある店では「売れ筋」以外のモノを発見できる。古いビルの2階、3階は家賃が安いため若い人が独立・開業しやすい。「中央や本社だけがもうかる『超資本主義』以前の、本来の資本主義の姿がこの町にはある」と糸井さん。社員も、社員同士の関係にこもらず町の人とどんどんかかわらせる考えだ。

既存の領域とは距離がある文化イノベーションは都心の高層ビルのきれいなインテリア内ではなく、往々にして賃料が安い元倉庫街や工場跡のラフな空間から生まれるものです。かつての東京であれば湾岸地域がそうであったし、旧東独側のベルリンがスタートアップの震源地になり、あるいはこの数年、そうした匂いをかぎつける人たちがポルトガルのリスボンに足を向けるのもこの理由です。

というわけで、ラグジュアリー領域でぼくが見いだしている新しい文化潮流とは何でしょうか?やはり、既存の核とは離れたところで生まれています。

権威的な地域からは生まれずらいイノベーション

先月から、服飾史研究家の中野香織さんと2人で「ポストラグジュアリー360度の風景」という連載をはじめました。この20年ほどの間に肥大化したラグジュアリー市場が終焉を迎えつつあり、新たなラグジュアリー領域が世界で探索されていることに触れています。この世界の変化について、下に引用した記事をちょっと覗いてみてください。中野さんは極端な表現であるとの断りを入れながら「ラグジュアリーブランドはもはやラグジュアリーではない」と書いています。

「ラグジュアリーブランドの旧大陸」といえば、フランスとイタリアが先導し、時計でスイス、サービスで英国という地域分布です。そこで新しい胎動がどこにあるか、つまりは新大陸にあたるのは「フランス以外」というのが実感としてあります。ぼく自身はイタリアでラグジュアリー・スタートアップが生まれているのを(そして有名になるとフランスのLVMHやケリングなどのコングロマリットに買収される姿も)見てきており、かつラグジュアリーのビジネスを生むノウハウがイタリアではオープンに共有されやすい環境にあることに気がつきました。旧大陸ながら新大陸の要素をもっています。

ぼくは新しいラグジュアリーのリサーチをおよそ2年前にはじめたのですが、まず見いだしたのは、スイスにおいて進んでいる時計とその技術に関わる領域でラグジュアリーのスタートアップを育てようとの動きです。トップビジネススクールであるIMDや資金が回っているジュネーブとの関係もあるでしょう。その次に英国です。クラブや執事のようなサービスの伝統がありますが、それ以外のモノの領域でもラグジュリー市場への参入への意気込みを感じます。金融経済の中心地として富裕層が集まっているだけでなく、オークションハウスのサザビーズやクリスティーズ、高等教育機関、さまざまな国から人が集まり前衛的な試みを好む風土が貢献しているのかもしれません。 

三番目が中国やインドといった新興国と呼ばれる地域で、旧大陸ブランドの市場としてだけでなく、自分たちの文化に基づいたラグジュアリービジネスを作っていきたい若い世代の存在が視界に入ってきます。彼ら・彼女らが欧州各国にある大学のラグジュアリーマネジメントの修士課程に留学し、祖国を盛り上げる熱い意気込みを耳にしたからです。こうして、ぼくの探索はじょじょに加速してきました。

結果、欧州や米国にいる人たちと話していて、「フランスからは新しい動きが見いだせない」というセリフを一様に聞くことになります。

どこの国といわず、ファッション好きの女性に新しい意識が芽生える

フランスのようにコングロマリットが制圧(!)している地域において、ラグジュリーのスタートアップなど自ら興す気になれないし、実際、第三者としても、フランス国内にそういう兆候が見つけにくいと言うのです。ぼく自身、フランスのリアルな事情をリサーチしきれていないので断言はできませんが、少なくてもフランス国外の人の敬遠の対象になっているのは確かです。

他方、戦略コンサルタント企業であるベイン&カンパニーのミラノオフィスは、昨年末、2030年までに起こりうる変化として「今後は『高級品業界』という括りではなくなり、『文化と創造性に秀でた商品が入り乱れる市場』になっていくことが予測される」と発表しました。

コングロマリットの求心力が失われ、従来の枠組みで規定されたラグジュアリーが「多数のラグジュアリーに細分化される」状況に移りつつあることを、この20年間、自らラグジュアリーの定義と分類で市場をつくってきたベイン&カンパニーのミラノオフィスが認めたわけです。したがって「我々ベイン&カンパニーも君たちの動きには注目していくよ」とフランクに語り掛け、新しい波の認知を公言したと言ってもよいでしょう。

もちろん、そんな呼びかけなど気にしない人たちがニューウェーブの当事者だとも思います。その当事者たちに共通したある傾向が見えます。起業家であれ、新しいラグジュアリーのコンセプトをつくっていくリサーチャーであれ、主役は30代の女性たちなのです。そしてもともとファッションが大好きです。この人たちが、ファッションのビジネスや研究の経験をもとに文化の新潮流を探っています。

なぜなら、ラグジュアリーであるかどうかの認知はローカルの文化性に左右され、ラグジュアリービジネスは文化ビジネスと言い換えられるのです

クルマや時計は中年男性の世界かもしれないが・・・

ラグジュアリーはファッションだけでなく、クルマ、時計、インテリア、ワイン、アート、グルメ、プライベートジェット、ヨット、ホスピタリティと色々な分野が対象になります。そのなかでファッション以外は性別問わず、比較的年齢の高い層が主流になりますが、ファッションに限っては年齢が下がり、しかも女性の存在感が強いです。

この分野で新しい胎動が顕著に起こり、その後、隣接の分野に波及していくのでしょう。例えば、メンズファッションは蘊蓄を傾ける人が多いので、新しいラグジュアリーの考え方を示していくに、動きとしては鈍いだろうと考えられます。また製造コストが高く、平均的な人がどうあがいても手が届かない商品単価領域ー例えば、大型クルーザーーはクラシックなラグジュアリーが続きやすいです。

ただ、個人最終消費財の領域としてのファッションは、やはり変化の先頭を切るに相応しく、しかも女性を対象としたものになるというわけです。

1980年代から1990年代にかけ、欧州のハイブランドの商品を買い集めた日本の若い女性の動きを実際にご存知の方たちは、「当たり前じゃない、そんなの」とおっしゃるかもしれません。いや、当時の若い女性は買う側だったのです。ぼくがここで話しているのは、新しいラグジュアリーのロジックの作り手のことです。彼女たちが濃霧で先が見えにくいところを積極的に突き進んでいます。

写真@Ken Anzai




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