見出し画像

小さな大冒険で成長するのは大人のほうかもしれない

埼玉県が意味不明な条例を作ろうとしているらしい。

Xで書いたところプチバズった。

厳密には、罰則などはないわけだが、通報義務はあるらしい。戦前のような密告社会でも作りたいのだろうか?

クルマの中に児童(特に乳幼児)を放置するのは、今までも多くの熱中症死亡事故があったように規制してもいいと思うが、ここで出されているような①とか②なんて強制する意味を感じない。別に埼玉県民でもないので知ったことではないといえばそれまでだが。

おかげさまでいろいろな意見が寄せられている。

「ごもっとも」と言いたくなる意見が多いので、興味があれば元Xの引用ポスト蘭を見ていただきたい。とはいえ、頓珍漢なのもある。勿論、いろいろな考え方を持つのは勝手だが…

こういう短絡的というか俯瞰的に物事を見られない人間が増えていくのは注意した方がいい。「交通事故が多発しているからクルマを禁止しろ」と言ってることは同じである。


ちなみに、読売新聞によると条例の禁止事項は以下らしい。

https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20231006-OYT1I50219/

「え?お使いもダメなの?」

これはもう「はじめてのおつかい」すら禁止ってことですか…。

この番組は、2歳から6歳ぐらいの子どもが生まれて初めて1人でお使いに挑戦する様子をドキュメンタリー風に綴る人気番組で、30年以上にわたって続いている。ネットフリックスでも放映されているらしく、海外でも人気だ。

ところが、イギリスではこんな評価をする人もいるらしい。

「子どもに仕事をさせるなんて、どうなの?」
「子どもを大人であるかのように、独立した存在として扱うなんて。いったい、なんていう番組なのかしら」

左派リベラル系の新聞ガーディアンは「『はじめてのおつかい』は幼児を公共交通機関に置き去りにする日本のテレビ番組」と酷評する。

は?

子どもに仕事(といったってお使い)をさせることの何が問題なのか?こうして「一人でできた」という体験を積むことで、子どもは自信を持ち、精神的自立をしていくものではないのか?
そもそも「子どもを独立した存在として」扱わない方がどうかしてると思うんだが?
一人で電車やバスに乗って幼稚園や学校に行く子どもなんて当たり前なんじゃないの?よく見る光景だけど。

どうやらイギリスでは「親あるいはほかの保護者のつきそいなしに幼児を他者がいる空間に放つこと」は常識的にダメなんだそうな。
まあ、イギリスがそうならよその国の話なのでご自由にしてくれって話だが、日本では決してそんな文化も法律もない。

昭和時代にも「鍵っこ」という言葉があって、共働き夫婦の家の子は自分で家の鍵を持って帰宅し、一人で過ごすか、近所の子どもと暗くなるまで外で遊んだ。戦前の日本では、兄弟も多く、両親は働きに出るため、幼児の面倒は上の兄弟が面倒をみていた。江戸時代においても、子どもたちは子どもたち同士で自由に遊んでいるし、幕末に日本に来た西洋人の多くが「日本の子どもたちはなんであんなにニコニコと楽しそうなんだ」と感嘆している。裏返せば、当時の西洋の子どもたちはニコニコしていないのか、と。

大人が子どもを守るべきという話は否定しない。が、それは子どもを縛ることなんだろうか?

子どもは親も所有物でもペットでもない。親は子どもの支配者でもない。子どもは子どもとして独立した人間だし、どんな小さな子でも社会性を身に着けているし、空気も読むし、今自分がどんな行動をすればいいかも考えている。

何より、子どもは子ども同士の中での交流または親とは違う他人の大人との交流を経験することで、親以外の社会性に触れ、依存先の選択肢を増やしていけるものです。むしろ親しか頼れる者がないと洗脳しがちな支配型の親ほど虐待をする。

子どもの虐待の心配をするのであれば、むしろ子どもを親だけの世界に閉じ込めない方がいい。親以外の出場所を作ってあげた方がいい。

埼玉のこの議会がどういう理由でこんな条例を作ったのかは知らないが、少なくとも子どものことを真に考えているというよりは、「何かあった時に文句いわれないため」のリスク回避でしかないと思う。公園の遊具を撤去するとかボール遊びの禁止という話も同じようなものだろう。

ちなみに、すべてのイギリス人が「はじめてのおつかい」に対して批判的なわではない。
「はじめてのおつかい」シリーズを見た視聴者の多くがSNSで感動したことを伝えている。

「これまでに見たネットフリックスの番組の中で、最高。どのエピソードを見ても泣いてしまう」
子どもたちがすばらしい!どうやったら、あんなことができるの」

日本の視聴者と同様に「大丈夫かな、できるかな」と思いつつ、ハラハラドキドキしなが見守り、無事にお使いを果たして帰って「できた」という子どもたちの笑顔に「わが子が成長したかのような喜び」を覚えるからだろう。ここは万国共通らしい。

番組は当たり前だが決して子どもたちを放置していない。日常にいそうな人物に扮装したスタッフがカメラで撮影し、大人たちは見守っている。

そう、子どもたちに気付かれないよう見守っているのだ。

そしてそれは別に親だけがやるべきことではない。むしろ親の手を離れても、誰かがそうして見守ってくれるという安心感こそが今親の方に必要なことであって、すべて子どものことを自分が抱え込まなくてもいいのではないか、と。

かわいい子には旅をさせろ

この言葉は子の成長のためというより、親及び周りの大人たちの成長のためでもあるのではないか。



いいなと思ったら応援しよう!

荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。