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「45歳定年制」はぽっと出の思い付きの発想ではない

45歳定年制はぽっと出の発想ではない

サントリーホールディングスの新浪剛史社長が、経済同友会の夏季セミナーで提言した「45歳定年制」が物議をかもしている。

賛否両論が渦巻き、新浪社長が意図していた「従業員が自己研鑽を怠っている」という問題意識から脱線しているものも多い。そのなかには、「45歳定年制」について厳しく批判するものもある。

しかし、「45歳定年制」は、ぽっと出の発想ではない。2つの文脈から、なぜ45歳定年制という言葉が出てくるのかについて考えてみたい。1つ目は、既に世界には45歳定年の国があることだ。そして、2つ目は、多くの個人が思っている以上に日本の社会人が「学ばない」ことが致命的な経営課題となっていることだ。

45歳定年の国が既にある

「45歳定年制」という言葉を耳にして、ある国の名前が頭に思い浮かんだ方は、海外人事や労務に詳しい人だろう。日本と同様に年功管理を好み、45歳で実質的な定年を迎えるのは、お隣の国、「韓国」である。

韓国企業の人材の流動性は高く、大企業であっても30代で社内のキャリアの先が見え、40代で肩を叩かれるというケースも珍しくない。以前、韓国の某大手電機メーカーの人事マネジャーから、退職して渡米し、米国の大学教員となった友人に「なぜ、退職して渡米しようと思ったのか?」と質問したことがある。そのとき、「30代の時、40過ぎの上司が肩たたきにあった。韓国の企業は長くいる場所じゃない」と言われた。肩たたきにあった人はどうするのかと聞いたら、「だから、韓国には小さな飲食店が多いんだ」と答えが返ってきて切なくなった。

韓国の状況をみていると、40代で実質的な定年を迎えることで、企業の意思決定のスピードも速まり、従業員も若いうちから自己投資をして能力開発に意欲を見せる。日経の世界シェアのデータが示すように、韓国企業の世界市場での存在感は増しており、反対に日本企業の存在感は右肩下がりだ。

米英のアングロサクソン系企業だと、10年以上、1つの企業に勤務し続けていると「成長意欲がない」「外部から声がかからない程度の専門性しかないのか」と思われて低評価されることがある。そのため、転職が当たり前であるので定年という概念がそもそもない。

また、日本よりも平均勤続年数が長いフランスやドイツだと、キャリアとノンキャリを明確に線引きすることで定年に関する考え方を変えている。例えば、フランスとドイツには定年制が存在するが、それは基本的にノンキャリにのみ適応される。経営幹部候補になるようなキャリア組は適用外であり、キャリア組は専門性を高めるために1つの企業内に長く留まることが必ずしも良いことと見なされない。たとえ1つの企業内で留まっていたとしても、キャリア組は公募されているポジションに自分で応募しないと昇進ができない。それには上司の推薦が必要なことがほとんどだ。つまり、社内転職のようなもので、日本のように年齢がきたら自動的に昇進するようにはできていない。

つまり、重要なことは、自分で主体的に能力開発をしない現状では、個人の市場価値が45歳でなくなってしまい、企業として給与を支払い続けることが難しいということだ。ただ、当然、すべての従業員にこのロジックが当てはまるわけではないので、フランスやドイツのようにキャリアとノンキャリを分けるようになる。もちろん、キャリア組は、高給で働き方の自由度も高く、やりがいのある仕事ができる分だけ、雇用保障もなければ誰よりも猛烈に働くことが期待される実力主義の世界だ。反対に、ノンキャリ組は、雇用が保証される代わりに、同じ仕事をし続けて変化はなく、給与も安い。そのため、所得格差と社会階層は広まることになる。

日本の社会人は世界で最も能力が低いと思われても不思議ではない

こうやってみると、日本の社会人はそこまで能力が低いのだろうかという疑問が出てくるだろう。海外旅行にいくと、日本の店員さんはどの国よりもよく訓練されているし、サービスの品質も安定している。海外駐在をしている日本人に話を聞くと、「現地採用の従業員はやる気もないし、能力も低い」という声を聴くこともあるだろう。これはある意味正しい。しかし、ある意味で間違えている。

正しいというのは、日本企業の人材育成は「仕事を通して覚えることができる技能」の熟達において非常に高い有用性を持つためだ。よく、OJT(On the Job Training)と呼ばれるが、日本的経営の特徴として職場での経験を人材育成で重視する傾向にある。OJTの良いところは、既存のオペレーションを遂行するうえで最適な人材を育成できるところだ。反面、仕事を通して覚えることができない技能の習得はできないという欠点がある。加えて、OJTは熟練までに時間を要する。半年や1年でのスピード感のある人材育成が難しい。また、OJTの質は職場の教育係に依存するため、配属先の教育係の能力や意欲が不足していると「OJTという名の何もしない」状態に陥る。そして、OJTの欠点がそのまま「日本の社会人の能力不足」に繋がってくる。

現在のビジネス環境は変化が目まぐるしく起こる。つい10年前までは、クラウドもタブレットPCも世に出たばかりで、世の中になくてはならない存在になるとは予測されていなかった。15年前には、スマートフォンも市場には出てこない。GUIベースのOSも windows 95 の登場で広まり、まだ26年ほどの歴史しかない。変化は一瞬にして起こる。

テクノロジーの進歩に応じて、ビジネスで求められる技能や能力、仕事への姿勢も変化している。具体的には、デジタル技術への受容度の高さが重要になり、テクノロジーの進歩に追い付けないと急速に企業も個人も市場競争力を失う。また、グローバル化の進展によって、外国人と外国語で協業できるかどうかが市場価値を左右している。ここで英語としていないのは、協業する相手が英語圏とは限らないためだ。中国相手が多いビジネスなら中国語に秀でていれば良いし、石油関係の事業ならアラビア語に堪能であることが重要だ。英語だけに縛られてはいけない。

こうなってくると、仕事を通して学ぶことだけで社会人として必要な技能を習得することが困難になる。しかし、残念ながら、日本の社会人は世界的に見ても能力開発に消極的だ。パーソル研究所の国際調査では、46%の日本の社会人は職場以外に学びの機会をもうけていない。14カ国平均が13.3%であり、日本の数値は飛びぬけている。次点の香港とシンガポールですら、18.3%であり、日本はダブルスコア以上の差をつけている。

同調査は、日本の社会人に対する悲観的な結果を数多く示している。14カ国中最下位なのは能力開発だけではなく、上昇志向、起業・独立意欲、ダイバーシティ受容度、勤務先の満足度、転職意欲も同様だ。一方、高齢でも働き続けたいと最も考えている。つまり、「上昇志向も能力開発もしたくなく、ダイバーシティを増やさずに現状維持で、職場に満足していないが長く高齢になっても働いていたいという人物像」が調査の結果で明らかになっている。まさに、「働かないおじさん」の価値観そのままではないだろうか。

「45歳定年」は経営者にとっての苦肉の策

大企業であっても中小企業であっても、日本企業の経営者と話をしていると、欧米企業と比べても、従業員の雇用保障に対する意識の高さを思い知ることが多い。なにせ、解雇規制の緩い米国や英国であっても、日系現地法人は解雇に対する精神的なハードルが高いのだ。そもそも、日本の解雇規制は世界的に見れば緩い方から数えたほうが早い。それでは、なぜ「45歳定年制」に関心が高まるのか。

その理由は単純で、現在のビジネス環境に求められる技能や能力を既存の従業員が保有していないためだ。このことはビジネスのデジタル化が急伸してきた直近10年の課題であり、日本だけではなく世界中の経営者が共通して持っている認識だ。そのため、技能や能力が陳腐化した従業員を放出して、相応しい技能や能力を持った人材の採用が重要な経営課題となっている。世界の成長企業で、採用が経営の最重要課題になっていない企業はないと断言しても良いほどだ。

当然、企業が保有するキャッシュには限界がある。無尽蔵に人材を雇うことはできない。保有するキャッシュ以上を従業員に給与を支払うことはできない。そして、支払うことができるキャッシュは常に上限まで運用されている。そうすると、新しい人材を採用するためには、その分だけキャッシュに余裕を持たせる必要が出てくる。キャッシュに余裕を持たせるためには、技能や能力が陳腐化した従業員を放出するしかない。

45歳定年制は、技能や能力が陳腐化した従業員を放出する1つの手段だ。本来なら、技能や能力が陳腐化したかどうかを個別に管理できると良いのだろう。しかし、そこにコストをかけるならば、年功管理が前提となっている日本企業では一律で管理したほうがコストパフォーマンスが良い。個別に管理するということは、人事部員や部門長が個別に肩たたきをするということだ。肩を叩く方の立場になったと想像して欲しい。胃が痛くなるという表現では生ぬるいほどの心労が担当者にはかかる。

45歳定年制を否としたいのであれば、技能や能力が陳腐化しないように、「上昇志向も能力開発もしたくなく、ダイバーシティを増やさずに現状維持で、職場に満足していないが長く高齢になっても働いていたい」という価値観をまずは改めなくてはならない。欧米諸国だけではなく、東アジアや東南アジアなどの新興国と比べたときに「日本の社会人はレベルが低い」と見なされるような状態だと、45歳で一律定年とされても文句を言うことができない。

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