郷愁を込めて、去りゆくiモードとの関わりを思い出す
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郷愁を込めて、去りゆくiモードとの関わりを思い出す

FBのタイムラインにiモード卒業公演なる動画が上がってきた。

グッときて、何度か見返してしまった3分強。筆者は現在53歳であるが、同年代の方であれば大なり小なり同じような感慨を抱かれただろう。

が、筆者は機種でいえば502が出たばかりの頃、日本コカ・コーラのマーケティング部門で「iモードで買える自販機=Cmode」を開発していたので、仕事でもiモードにどっぷり浸かっており、思い入れもひとしおであった。

だからであろうか、今となってはオールドファッションとなった携帯電話のシリーズが廃止される、というこの動画で、思わず落涙しそうになった。

そこでiモード Xマーケティング、という切り口で、極私的な思い出を記し、去りゆくサービスへの小さな餞にしたいと思う。

(1)インターネット(の利便性)はiモードによって広く知らしめられた(と思う)

筆者がiモードに関わり始めた頃、インターネットは国民全員が利用しているものではなかった。PCの設定やプロバイダーとの契約はかなり面倒であり、電話代も馬鹿にならず、イノベータ理論でいうところのアーリーアダプターくらいまでにしか使われていなかったのではないか、と思う。
つまり当時の普通の人々は、インターネットという言葉は知れど、それで何ができるのか、というイメージは、具体的には持てていなかった、とも。
かたや、iモードは国民に広くあまねく普及させる構想を持った携帯電話。広くラガードまで普及せねばヴィジョンの達成ができない。
そこで、当時のdocomoはまずはiモードという名前(=認知の枠組み)を普及させ、その後にiモードで銀行振込ができる、とか、旅行手配ができる、とか具体的なユースケース(=ベネフィット)を伝えたいった。平たくいうと、消費者の心の中に、iモードという名前の空箱を作り、その中にiモードによってできることを一つ一つ入れていったのだ。
今にして思えば、これはインターネットの便利さを国民に啓蒙し、その広い普及の原動力になったのではないかと思う。
以後外資のマーケティングでずっと仕事をしてきた筆者は、海外の同僚に日本のインターネットアクセス手段は携帯がメインだ、ということを話すと目を丸くされたものだった。
まずは空箱を作り、そこにユースケースを入れていくやり方は、iモードのみならず、プラットフォームや今まで存在しなかった新しい概念に基づくサービスをマーケティングするのに、広く援用可能な考え方として、強く筆者の印象に残った。
そして、難易度が高いマーケティング課題に直面したときは、このやり方をベースに施策を考えたことも度々あった。

(2)全国連絡会議、という月イチのてんやわんや

iモード付き携帯電話は卓越したマーケティングの成果もあって破竹の勢いでユーザ数を伸ばしていった。
そして、誰かに連絡するときはいきなり電話するのではなく、まずはメールするのがマナー、など、新しいコミュニケーションのノームを作り、いつでも誰かと繋がっていられる安心感や、携帯を持っていないと社会や集団から孤立してしまう、という不安感と共に、携帯は肌身離さず持つものに、その社会的地位を上げていった。
「財布・携帯・鍵・定期」などという言い方も流行ったりしたように思うし、電車の中の時間潰しは、雑誌よりも文庫本よりもiモードを代表する携帯インターネットになった。
こうなるとブランド企業はiモードを顧客とのタッチポイントに使いたくなる。
そのためには、iモード上で閲覧可能なモバイル用サイトを作る必要があった。

ところがこれは一筋縄ではいかなかった。

技術的なことではない、iモード向けのサイトはコンパクトHTMLという専用言語でプログラムする必要はあったが、そのリファレンスガイドはdocomoが十分に良いものを準備していたし、何よりもHTMLに準拠していたので、標準とそんなに変わりなかった(はず)
では何が大変だったか、というと、全国連絡会議の準備対応である。

全国連絡会議って??

iモードには公式サイト、という概念があった。
公式サイトはdocomoが築いたゲートウェイの内側にあり、iモードからしか見られない。docomoは公式サイトを戦略的に非常に強化しており、ユーザーインターフェース上も、まずはiモード内のサービスにナビゲートされるような仕組みになっていたことから、公式サイトにならないことには、iモードの数千万ユーザーにアクセスしてもらうのに非常に心もとなかった。事実非公式サイトは「勝手サイト」というどことなく侮蔑的な名称で一括りにされていたように思う。

そして、ブランド企業が構想したサイトがdocomoにより審査され、公式になれるかどうかの運命を決するのが全国連絡会議であった。

この会議では、当時「ドコモ関西」「ドコモ九州」などの形でマーケット別に分かれていたドコモ各社のコンテンツ担当が月に一度集まり、次月にどんなサイトをロンチ・改変するか、が確認されていた。

コンテンツ担当は、一人当たり何十社か担当企業(コンテンツプロバイダーを略してCPと呼ばれていた)を持ち、その担当企業社員の代理となってサイトのアイデアや画面遷移のプレゼンテーションをするのだ。

これに合格するには100ページに及ぶパワーポイントを、コンテンツ担当と共に磨き上げる必要があった。パワポを磨き上がっていく、というのはつまり、システム的な準備がdocomoとやり取りするたびに追加される、ということを意味し、マーケターはどんどん自社のシステム部門や外注先に頭が上がらなくなったものだった。

そんな苦労があったので、最初に「会議通りました!」という連絡を担当からいただいた時は思わず小躍りしたものだった。

担当同士の競合もあるのだろう、担当からCPに色々なリクエストが寄せられることもままあった。「もっとたくさん壁紙と着メロ作っていただけないですか?」
CPのマーケターとしては、壁紙一枚はコストと一緒なのであるが、そこは戦友にも等しい担当の依頼、にこやかに「わかりました!」といって制作会社に徹夜作業を依頼していた2000年代前半である。

さらに。503、504と新しい機種が出るたびに、携帯電話端末には、その仕様に基づいた新しい機能が追加される。確か503ではJavaアプリが使えるようになり、504ではIrDAで携帯同士や携帯と別の機器の通信ができるようになった。

すると担当としては、自分がやっているサイトにこれらのサービスが実装されていないと肩身が狭くなってしまう。いきおい、CPに新機能対応を依頼し、そのうちどこかが対応してくれるのに期待をかけることになる。
しかし、出たばかりの機種は利用ユーザーが少ないので(503が出たばかりの時点では、メジャー機種は一世代ー二世代前の502と501である)、サービスを開発してもそんなに使ってもらえる公算が見込めない。のでCPもなかなか首を縦に振りにくいという事情があった。

ので、docomoは新機能に対応したCPのサービスはTV CMで紹介する、などマーケティング費用で報いる戦略をとっていた。筆者が作ったサイトやサービスもこのスキームで何度か取り扱っていただいたものだった。

この「大型告知に乗れるという特典で初期参加者を募る」という考え方は、参加企業(その多くは潤沢にマーケティング費用が獲得できないスタートアップだったりする)の数がその成功の重要な鍵となるプラットフォームビジネスのマーケティング上、欠かせない重要なものだと思う。空箱にユースケースを投げ入れるコミュニケーションと掛け合わせると、まんま新規プラットフォームのマーケティングの型になる。

(3)外部機器に立地コンテンツを置いて、携帯電話端末で操作するというアイデア

502の回線速度は確か9.6キロだった。このとてつもなく細い回線だと画像や音声などの重たいコンテンツを送るのは厳しかった。
しかし当時のdocomoはパケット&ストレージという戦略で、リッチコンテンツを含む独自のサービスを展開しようとしていた。
どういうことかというと、例えばコカ・コーラの自販機にモニターとスピーカーをつけ、iモードでそれらを起動したり、プリンターから自販機近隣で使えるチケットを印刷したり、というように、携帯を外部機器の操作端末として使い、外部機器側でリッチコンテンツを提供するやり方である。

当時、コカ・コーラ自販機以外にも、ローソンにあるマルチメディアキオスクの走りとしてのロッピー、セガのゲームセンターに設置されているアーケードゲームなどとも連動していたように記憶している。

通信速度が遅いという、自社サービスの(結構クリティカルな)泣き所を強みに変換するようなこの戦略に当時の筆者は感じ入ったものだった。
彼らがリクルートした初期CPには、このように携帯電話ビジネスの枠を遥か飛び出るようなヴィジョンを達成するための、こうした企業が顔を連ねていた。

こうして考えてみると、iモードはこの国に多くの社会現象を起こした。
ITには縁遠かった私の父がシニア向けの端末でそれなりにiモードを使っていたことを考えると、本当に広くあまねく国民に普及した、ということが改めて感じられる。

ということで、時代を創り上げた、当時のdocomoの人びとに、敬意を表したい。
お疲れ様でした。ありがとうございました。


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富永朋信(プロフェッショナルマーケター・「幸せをつかむ戦略」著者)
9つの事業会社でマーケティングやってきました。うち、西友、ドミノ・ピザなど4社でCMO。現在は株式会社Preferred Networksの執行役員CMO、イトーヨーカ堂・セルム顧問、日経XTrendアドバイザリーボード、厚生労働省年金局広報検討委員、内閣政府広報アドバイザー等。