若者が選挙に行く理由がない件について
参議院選挙が、終わりました。
結果について、思うところは山ほどあります。しかし、公務員という立場上、そこに言及するわけにいかないので、それは傍におき、今回はタイトルの件について語らせてください。
選挙になると、毎回毎回、必ず、あらゆる手段と表現で発信されることがありますよね。「若者よ、選挙に行け」です。
逆張りで、こんな動画も出たりして。
なんでこんなに、世間が若者を選挙にいかせようと躍起になっているかというと、実際に、若者の投票率が低いからです。他の世代と比べても一目瞭然ですし、しかも、年々悪化しています。
では、なぜ、日本の若者の投票率は低いのか。とある偉い人が、TVでこんなことをおっしゃっていました。「若者の投票率が低い原因は、若者の自覚が足りないこと。だから再教育が必要」と。
カッチーンとくる物言いではありますが、正直いって、私もそのように考えていた時期がありました。でも、その原因を調べていくと、実は、全然違ったんです。
再教育が必要なのは、むしろ、我々大人の方であることが明らかになりました。若者を、煽っている場合ではないのだ。
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そもそも、日本の若者は、そんなに政治や社会に対する関心が低いのでしょうか。ここで、若者の投票率がとても高いことで有名な、スウェーデンと比較してみましょう。
まず、スウェーデンでは、2014年9月に行われた国政選挙の投票率は85.8%でした。30歳未満の若者に限っても、81.3%と、非常に高い投票率を記録しています。一方で、本邦はというと、同じ年の12月に行われた衆議院総選挙では、その投票率は52.7%で、若年層に限れば32.6%となっており、その差は歴然です。
こうなると、当然、日本の若者の方が政治への関心も低いと思われがちです。しかし、左にあらず。むしろ、内閣府の調査によれば、スウェーデンの若者より、政治への関心は高いのだ。
では、どうして、日本の若者は選挙にいかないのか。逆に、なぜスウェーデンの若者は、そんなに政治への関心はないのに、選挙にいくのか。それは、自分の力で、政府の決定に影響を与えられると思っているかどうか、です。
スウェーデンの若者は、日本の若者に比べ「自分達には、社会を変える力がある」と考えています。だから当然、選挙に行きます。変えられちゃうわけですからね。そりゃ、行きますよね。
一方で、日本の若者の多くは、選挙に行ったって何も変わらないと思っています。自分達には、何かを変える力なんてない、と。
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なぜ、こうなってしまうのか。
ここをゴリゴリ深掘りしてくださっている名著(超絶オススメ)があります。両角達平さんの『若者からはじまる民主主義 スウェーデンの若者政策』です。ここに、答えが書いてありました。目から鱗とはこのこと。
ズバッといってしまうと、スウェーデンでは、実際に若者が社会を変えられます。社会が若者を、本気で、権利の主体として捉えているんです。
なんたって、政府が若者の声に耳を傾ける、とかではなく、実際に法制度に組み込むよう、様々な仕組み化がなされているのだ。
代表的な仕組みが「レミス制度」。新しく法律を制定する際は、必ず、法案に関わるステークホルダーの話を聞き、議論し、合意形成をするよう、定められています。若者とて、例外ではありません。若者(学生含む)で構成される様々な団体が、政府の意思決定に参画し、法制度作りにコミットしています。日常的に、社会を変えちゃっているわけですね。
更に驚くべきは、政府がこの様々な若者団体に対し、ガッツリ投資をしていること。その額なんと、年間約25億円(2億1,200万SEK、2019年実績)。これを、105の子ども・若者団体に交付しています。なお、こちら、まさに「金は出すが口は出さない」スタイルでして、運営は、完全に組織に委ねられています。若者たちに、勝手にやれや、というのではなく、社会を変える環境を提供しています。
ちなみに、こういった全国の若者の組織の声を束ね、政府に届ける活動をしている全国若者団体協議会(もちろん、若者によって運営されている)の2015年の予算額は約4,500万円。また、日本でいう労働組合みたいに、生徒の権利を守るための「生徒組合」という、学生たちで構成される組織があるのですが、こちらの年間予算は3億5,600万円であります😇
ただ、日本でも若者にお金を渡しさえすれば、若者が活発に社会参画を始めるのかというと、それは違うと思います。なぜなら、社会参画は、主体的でなければならないからです。人に言われたからやる、お金をもらえるからやる、というのでは、何も変わりません。
では、スウェーデンの若者はなぜそんな、ちょっと日本にいると想像し難いレベルの主体性を発揮しているのか。その答えは、余暇。レジャーです。「これこそが、スウェーデンの若者政策の要諦」と、著者である両角さんはおっしゃっていました。
これまでお伝えしてきたように、スウェーデン政府は多くの若者団体を支援をしていますが、それはなにも、政治とか社会といったお堅いジャンルのものだけでなく、ゲームや、演劇、ライブ等の文化的な活動も含まれています。実際、スウェーデン政府が助成金を交付した若者団体をカテゴリー別にみてみると、上位3番目に「趣味」が入っています(1位は宗教、2位は民族。移民が多いから)。
若者が、ボードゲームやらTVゲームやらを集まってワイワイやっている活動に対して、国がお金を出しているんです。この分野最大の団体であるSverokは、会員数55,000人を誇ります。この他にも、スウェーデンの地域には「ユースセンター」という施設があり、ここでは若者たちが、無料で、音楽スタジオでバンド活動をやったり、ホールでイベントを主催したり、なんの目的もなしに、カフェに集まってまったりすることができるようになっていたりします。
なぜ、政府が若者のレジャーにお金を払うのか。それは、余暇というのは、主体的な行動だからです。動き出したその先には、仲間がいます。すると、自分たちが、何かの一員になることができるんです。スウェーデンでは、これこそが、社会参画の重要な一歩だと考えられています。
「社会参画」というと、いかにも意識高い系の人限定の活動と思われがちです。「社会を変える」となると、人並外れた知識や、行動力が必要と考えている方もいらっしゃるかもしれません。でも、そうじゃない。社会参画で最も重要なのは、自分が何かの一部であると感じることです。
スウェーデンの若者たちの多くは、思い思いに自身の興味ある活動にのめり込んでいきます。そうこうしているうちに、18歳となり、高校を卒業していくわけですが、実は、卒業直後に大学などの高等教育機関に進学する若者は、13.7%しかいません。スウェーデンにおける大学への平均入学年齢は、なんと、24.5歳です。
ちなみに、日本人は、18.3歳です。「ダメ!余白!絶対!」的な世間の圧力を感じます。
では、このスウェーデンの若者たちは、大学に進学せずに、一体ぜんたい、何をしているのか。自分のやりたいことをやっているそうです。所属していた若者団体の運営にコミットしたり、企業で働いてみたり、旅に出たり、そのまま趣味に没頭したり……、そうやって、自分の人生と向き合っています。そうした活動を通じて、多くの若者が「社会の一部」になっていきます。この間、大人たちは、子どもたちを信じて、見守っています。
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ひるがえって、日本の、私たち大人はどうでしょうか。若者に「選挙に行け」とはいうけれど、じゃあ、若者に、実際に、社会を変える力と機会を与えているでしょうか。
とても、そうは思われません。
子どもが遊んでいたら「勉強しろ」と言い放つ。なぜなら、「それがお前のためなんだ」。
学校では、目眩がするようなブラック校則の数々。それに学生が異を唱えると「学生は黙って大人の言うことを聞け」
先の国会ではこども基本法が成立しましたが、そこで、子どもの声を代弁する「子どもコミッショナー」を創立しようという議論がありましたが、却下されました。理由は、「誤った子ども中心主義に陥る」から。
日本の大人は、子どもを権利の主体として捉えていません。大人未満の、ただ、未熟な存在。そんな奴らの言うことを聞いていたら、社会が誤った方向に進んでしまう、と。
こんな状況で、どうして、若者が投票に行くのでしょうか。だって、投票にいったって、自分たちのいうことは、誰も聞いてくれないのに。日本の若者の立場で考えればむしろ、せっせと投票所に足を運ぶ意味がわかりません。
私たち大人は、まず、若者を信じて、託さないといけないと思います。具体的に社会を変える力と、社会を変えたいと思う気持ちを、大切に育む必要があるはずです。それをせずに、ただ「選挙に行け」というのは、あまりに傲慢だと感じます。あたかも、絶対にクリアできないクソゲーを強制しているような。
これは、若者に限った話ではありません。社会的に弱い立場に立たされている人たちの声を、少数派の人たちの声を、私たちの社会は、どれくらい社会に反映させられているでしょうか。具体的に、制度として実装させられているでしょうか。
今回、たくさんデータやエビデンスを引用をさせていただいた『若者からはじまる民主主義 スウェーデンの若者政策』では、最終章で、若者団体の代表である19歳の若者にインタビューをしています。問いは、「あなたにとって民主主義とは何ですか?」です。彼の回答はこれでした。
「自分の声を届かせることができて、影響を与えられることです」
若者に選挙にいってほしいのならば、選挙にいけば、社会に参画すれば、実際に社会が変わるという具体的な結果を、私たち大人が示す必要があります。
そのための第一歩は、私は、私たちの子どもを信じることだと思います。力を与え、責任を取らせ、そしてまた挑戦したくなるように支援する。そうしたら、誰に強制されずとも、若者は勝手に投票所に足を運ぶはずです。だって、そうすれば社会が変わるのだから。