福島問題の「絡みづらさ」を超えよう
もうすぐ10年目の3.11だ。
この時期になると途端に東日本大震災や福島原子力発電所事故を考えよう、という報道やイベントが増える。テレビ朝日の名物番組である「朝まで生テレビ」も毎年この時期に福島原発事故とエネルギー問題をテーマとして取り上げており筆者も出演したが、前半の福島事故および福島の現状に関するテーマでは、筆者は全く口を開くことはなかった。
それはなぜか。もともと、当時の首相、原発事故担当大臣による事故の振り返りをするというのが企画趣旨であったため発言を控えたこともあるが、自分の中に、原発事故や福島の問題に関する「絡みづらさ」を超える勇気が無かったことは否めない。
社会学者の立場から福島の問題を研究し続けている開沼博氏が指摘する通り、福島問題は語りづらい。絡みづらい。
*開沼氏の著書「はじめての福島学」あるいはインタビュー記事をご参照ください。
筆者が東京電力に在職していたことから「加害者意識」に苛まされていることもあるだろう。10年前のあの日、突如「加害者」という立場になり、そこからずっと抜け出せない。抜け出してはいけないとも思っている。
普段福島の友人に接するときなどは、こちらが加害者意識を持てば、相手に被害者としての意識を押し付けることにもなると思い、あえて触れないように、見ないようにしているが、どうしてもそこには越えられない壁がある。
しかし、語りづらさ、絡みづらさから、福島の問題に口を閉ざす人間が増えれば、風評やデマに揺さぶられてきた福島復興政策をいつまでもその状態に置くことになる。私が見てきた、あるいは見ている「前に進んでいる福島」の姿についてもっと口をはさむべきであったのではないかと、番組内での役割分担を理由に、逃げた自分への反省を込めてこの文章を書いている。
昨年福島に関しての前向きな出来事をざっと記憶にあるところで振り返っても、下記の通り目白押しだった。
3月 常磐線全線開通
福島ロボットテストフィールドの全施設開所
再エネを利用した世界最大級の水素製造施設開設
4月 請戸漁港でセリが再開
6月 道の駅ならは全面再開
8月 道の駅なみえ一部オープン
10月 双葉町産業交流センター
11月 東日本大震災・原子力災害伝承館が開設
ちなみに、福島の米の生産高は全国6位(2019年)。
年間1000万袋に及ぶ全量全袋検査を続けているが、法定基準値(100Bq/kg)超えは2015年以降毎年ゼロだ。
また、地域の産業再生の取り組みも続いている。
被災した12市町村で事業を営んでいた約8,000事業者のうち、政府と東京電力などの民間企業による事業再生支援チーム(正式名称;福島相双復興官民合同チーム)の訪問・支援を受けた約5500者の54%は地元又は避難先等で事業を再開し、帰還再開の比率は31%となったという(2021年1月時点)。
もちろん課題を言い出せばきりはない。
米についていえば、価格が低下した状態が定着してしまっており、それが米の生産を続けるモチベーションを奪ってしまっているし、産業振興についていえば、復興需要への依存が大きいのも事実だろう。
しかし、震災から10年。川内村のように「いつまでも被災地じゃない」と立ち上がる地域も出てきている。
悲観的に福島を語ることは容易だ。というよりむしろ、悲観的に語った方が安全だ。
しかしそれは「いつまでも被災地じゃない」とせっかく立ち上がった人たちの足を引っ張ることになる。寄り添うフリをして、足を引っ張ることなのだ。
肩に力を入れず、眉間にしわを寄せず、普通の福島を普通に語る機会を増やしていきたいと思う。
新たな産業が生まれつつある福島に関するインタビュー↓。良記事でした。