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会社は広義の顧客のもの。議論はまずそこから。

会社は誰のものか。この問いは、一般的には、従業員のものなのか、それとも所有者・株主のものなのか、という文脈で問われることが多い。

ただ、私自身は営業経験が長いからかもしれないが、昔から、会社は顧客のためにあるものだ、顧客のものだという意識がある。その後、自分が起業してみて、ますますそう思っている。

そもそも、会社が何らかのサービス(商品を含む)を提供し、それによってリターンを得る仕組みであると考えるのであれば、提供するサービスを求めてくれる人、つまり顧客がいないことには会社は始まらない。営利企業であれば、商品やサービスに対して対価を払ってくれる顧客がいるからこそ成り立つのである。そうやって成り立った上で従業員が働くことができ、また所有者・株主が利益を得ることができるのだ。

これはいわゆる民間企業、株式会社に限らず、公的な組織であれば利用者ないし受益者を顧客と捉えるのであれば大きくは同じようにとらえられるのだろう。

この考え方は、資本主義を前提とした場合に成り立つ話であるが、社会主義・共産主義となった場合には、このようには行かない。かつての初期的・原始的な段階での共産主義国で、物を売っている場所に行ってもろくに物が並んでおらず、買うことができない状況がかつては見られたようだ。こうなると、顧客にとっては不便極まりないのだが、そもそも教科書的な共産主義的発想であれば、顧客が物を買えようが買わなかろうが、売り場で働いているだけで事足りるのだから、必然的に、いつ顧客が来ても欲しいものが手に入るようにしよう、という動機は働かない。

この点で、やや危ういと思うのは、日本は時に過剰な平等主義がこうした傾向を生みかねない、そういう社会的な構造があることだ。儲かっているのが悪いことである、といった意識がそこにはあり、例えその儲けが顧客を深く満足させたことの結果として生まれているものであっても、ずるいとか不平等だといった話になりがちだ。

これは、従業員の待遇に関しても同じである。(同業種で)給料が高い会社とそうでない会社に勤務をすることの不公平・不平等といった話は、給料の低い会社というのは会社が稼げていない、あるいは労働者に十分な配分をしていないというところに問題があり、そこに経営のまずさがあるのであって、給与の高い会社を羨む、ないしは妬むというのは筋が違う。

最初の話に戻って、会社は従業員のものかそれとも所有者・株主のものかということも、いってみれば会社が稼いだ利益の配分の問題でしかない。そもそも顧客がお金を払ってくれないことには、利益が生まれずその配分のしようもないので、こうした議論には何の意味もなくなる。日本は終身雇用制というやや歪んだ雇用形態がある(あった)ために、会社が従業員に対して十分な利益の配分、つまりは給与のアップを行わなくても社員が辞めないという事態が生じてしまう。このために、本来であれば従業員に配分されるべき利益が株主に行くということもあるのかもしれない。しかし、もし雇用制度が、転職しても不利にならないオープンなものであるなら、従業員が給与の少なさに不満を持てば簡単に他社に転職できるという状況が生まれ、従業員の配分を少なくしている会社は従業員を失って経営が成り立たなくなってしまう。そうなれば、従業員と株主の利益配分もおのずと双方の納得が得られる範囲に落ち着いていくことになる。そう思うと、会社が従業員のものか株主のものかという議論は、日本の終身雇用制が歪めてしまっている一面もあるのかもしれない

もちろん、業種的に給料が高い業種とそうでない業種というのはあるので、業種をまたいだ会社同士でこうした比較というのは必ずしも当たらない。しかし、同じ業界で似たようなビジネスを営んでいる中では、顧客に選ばれる企業とそうでない企業が生まれ、一般的に顧客に選ばれている企業は従業員の給与も高いし、さらには株主に配分される配当も高いということになるだろう。

そして、昨今のマルチステークホルダーを意識した経営の観点でも、顧客とは会社の外部者であると一般化して考えると、やはり、会社は広義の顧客のものである、という考え方が馴染むのではないか。ある会社の従業員は別な会社の顧客であり、そうした人々が構成するのが(地域)社会なのだから、社会がなりたっていかないと、つまりは持続可能なものでない限り、会社も従業員も(もちろん株主も)持続可能なものではない。これは、ちょっと考えれば、あるいは今となっては当たり前のことに思うが、原始的な資本主義の段階においては、そうした外部者の存在が無視ないし軽視されてきた、ということだろう。例えば、環境問題とは顧客の生存の前提、存立基盤の問題であり、それを害することは会社が顧客を失う、ということになる。高尚でも難しい話でもなく、シンプルにそう理解できる。

自分で、小さいとはいえ会社を起して経営して痛感するのは、お客様の支持を得てお金を払って頂かなければ、会社の経営などはすぐに行き詰ってしまうということだ。もしお客様が個人であれば、その方が健康を損なったり不幸にして亡くなったりすれば、会社にとっても顧客を失うことになる。その顧客の存立基盤・生存条件として、私たちの社会があり、(地球)環境がある。それゆえ、会社という存在はまず第一に顧客、お客様のものであって、まず安定的に広い意味での顧客からの支持を得ないことには始まらない


#COMEMO #会社は誰のもの

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