なぜ、ファッション企業がユニバーサル図書館をつくるのか?ーその想いを聴いて考えたこと。
ビジネスにおける「文化の装い」との表現があります。我々はいつも金勘定に明け暮れているわけではない・・・だから、愛してね(と、言っているに違いないと第三者に思わせてしまうから「装い」と表現されるのです)。
文化事業は余裕をかますためでしょう?との皮肉な視線もあります。が、そのように斜に構えること自身を恥ずかしくさせる力が、ブルネッロ・クチネッリ氏にはあります。「いや、いや、文化は生きることそのものなんだよ」と強く語りかけてくるのです。
彼がミラノの劇場の壇上(トップの写真)で「2024年にソロメオにユニバーサル図書館を設立する」と発表したのが10月28日。
その3日後のことです。10月31日、ローマで開催されたG20に付随したカンファレンスで、彼は各国首脳を前に「人間らしいサステナビリティ、人間らしい資本主義の推進」について実践者として意見を述べました。下の写真はやはり登壇した英国のチャールズ皇太子と話すクチネッリ氏です。
今後、彼の発言や行動は世界のなかでますます存在感を増すだろうと思われるので、ぼくがミラノのプレス発表で聴いた内容に基づき、「人間らしさを追求するとは?」を記しておきましょう。
どのような図書館をつくるのか?
クチネッリ氏はトータルファッション企業(ブルネッロ クチネッリ)の創業者です。1978年、イタリア中部のウンブリア州にある小さな村、ソロメオに本社をおく年商およそ7百億円のハイエンド企業で、フランスのエルメスと同等のブランドであると格付けされています。そのオーナーが家族財団を通じて、この土地に所蔵4-50万冊に及ぶ図書館をつくると決断したのです。落成2024年の予定です。写真の手前の樹々に覆われた部分にある1700年代に建てられた元貴族の館が図書館になります。
建物は下のような外観です。
ソロメオはおよそ500人の村です。この村が属する自治体、コルチアーノ市で約2万人。大学の図書館ならば何百万レベルの本を所蔵していますが、この人口です。日本で50万冊レベルの図書館を確認すると、さいたま市や鎌倉市の図書館です。ただ、さいたま市で130万人、鎌倉市で17万人。調べると長野市や静岡市も、この水準の冊数です。一桁や二桁も少ない人口の土地に、世界の哲学、建築、文学、詩、職人芸の分野に限った本を集めるのです。
ファッションビジネスで稼ぎ、株式上場して資産を増やしてきましたが、所蔵にはファッション分野の本は含みません。郷土の歴史にも手を出しません。あくまでもヒューマニティに関わる世界各地の本で、上記の分野に限定するのです。範囲の幅よりも深さを優先します。
書物の言語はラテン語のような古典語や現代のさまざまな言語に渡りますが、イタリア人の読者が多いと想定するとイタリア語や英語の本が多くなるのは自然の流れです。ただし、マイナー言語であるがゆえに知られていない、さらに普及させてしかるべきと判断する書籍は主要言語に訳して刊行するのも視野に入れています。
今のところ、世界各地にいる外部の10人が選書の推薦をし、クチネッリ側の4人が最終選定の判断をします。基本、すべて購入です。選定でぐらつきたくないとの強い意思がみえます。
どうして図書館なのか?
「人が人として生きられる社会をつくるに貢献する」のがクチネッリ氏の使命です。そのために従業員やローカルの人たちの人生を第一とする経営をしてきました。それゆえに「人間主義的経営」とも称されるわけですが、その延長線上に今回の構想があります。
パンデミック中、在庫となった自社製品を困った人たちに提供する活動を行いましたが、「我々は、人間らしさが肯定される社会のために、この次に何ができるのか?」と自問を重ねた結果、ヒューマニティについて考えぬいた人(著者)と対話を交わす場として、図書館を設立する方向がみえてきました。
したがって、名著であるかどうかよりも、ヒューマニティと真剣に向き合った著者の本を選んでいくとの方針があるようです。それらは世界のいかなる状況のいかなる人の人生にも役立つはずだから、ユニバーサルとの言葉に拘ります。したがって、例えば、古代ローマの賢人の書そのもののを手にするのを優先します。その解説本はお呼びではありません。
1985年からこれまで、クチネッリ氏は上の写真にある中世からの街を再生し、劇場や職人学校をつくってきました。その次には丘から見渡す平野部の風景を美しくするため、高度経済成長期の安普請の工場を買い取り、建物を壊し、そこを公園や葡萄やオリーブの畑、あるいは子どもたちのサッカー場としてきました。ローマ帝国のハドリアヌス帝(76-138年)の「私は美しさに責任を感じる」との言葉が、クチネッリ氏の胸にはいつもあるのです。
今回もクチネッリ氏が反芻しているハドリアヌス帝のフレーズがあります。そのために、トップ画像の右側にみえるように、ハドリアヌス帝という「常日頃対話をする友人」を壇上に連れてきています。
彼は「ハドリアヌス帝は、書籍は人生の進むべき道を示してくれたと言い、『図書館を設立するのは、万人のための穀物倉庫をつくるようなものだ』と語った」と話します。これから千年以上先も見据えた図書館を構想するのは、今後も多くのメディアが誕生し、それらは併存していくだろうが、紙の本が文化の骨格をつくる思想に貢献するはずとの強い確信によります。
サステナビリティがテクニカルな言葉になり過ぎていないか?
先週のローマでのG20、今週から英国・グラスゴーでスタートしたCOP26において気候変動への対策が熱く議論されています。
彼のいるファッション業界が環境破壊の悪役の一つになっているから、「サスティナビリティファッション」との旗振りに夢中になるのではない。そのようなことをあえて口にする必要がないくらいに、彼の企業はサステナブル生産を基本としています。
例えば、協力提携工場の9割は本社から100キロ圏内にあります。ロングサプライチェーンをなるべく回避してきているのです。なにせ、企業イメージ写真ではソロメオの田園風景のなかに長い食卓を並べ、「すべては土地から生まれる」との古代ギリシャの賢人の言葉を添えているのです。
クチネッリ氏がローマでスピーチした詳細はわかりませんが、「人は自然の一部である」「サステナブルとの流行にのった一面的な言葉に左右されたくない」との彼の今までの姿勢からすれば、サスティナビリティの議論そのものが人間らしさを阻害する危険性を案じているのではないか、とも想像します。あるいはサステナビリティがテクニカルなニュアンスが強すぎるのを案じていまいか、とも思います。
また、彼の経営からすると「エシカル(倫理的)」との言葉がもっと口から出ても良さそうと人は期待しますが、ぼくの印象では「エシカル」よりも圧倒的に「ヒューマニティ」との言葉が存在感を放っています。
彼の話には西洋哲学者の名前や言葉が盛りだくさんですが、決して重苦しくならず、逆に冗談で笑いをよびます。明るいのです。ファッション界で多い「西洋白人中心主義」や「脱植民地主義」といった批判と関連付けられることもなさそうです。
言うまでもないですが、この業界でよく話題になるコンテンポラリーアートのコレクションや、それらを所蔵した流行りの有名建築家が設計した美術館プロジェクトからも、クチネッリ氏は距離をおいています。
このようなエピソードを踏まえたうえで、今回の人間らしさに貢献する「ソロメオ・ユニバーサル図書館」を考察すると、クチネッリ氏のみつめている風景がより輪郭をもって想像できるのではないかと思います。人類の歴史のなかで、多く語られてきたほどには「人間らしさ」は実現できておらず、人が人として扱われない事例などうんざりするほどあります。
だからこそ、彼の「人間らしさ」への追求に多大な拍手と賞賛が寄せられるのです。
写真はBrunello Cucinelli (最後の写真はKen Anzai)。
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