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マクドナルドのポテトと、「日常」と言う物語

(1)ポテトの欠品、あるいは

昨日、買い物に出たタイミングでお昼を食べていないことに気づいて、小腹を満たそうとマックに入ってメニューを選んでいる時のことだ。そそっと店員さんが近づいてきて、「メニューはお決まりですか?」と声をかけられた。マックでそんな対応を受けたのは初めてで、よほど僕がマックに初めてきたお上りさんにでも見えたのかな?と、一瞬たじろいだが、直後に店員さんが続けた言葉を聞いて、「ああ、そう言うことか」と納得したのだった。店員さんは、申し訳なさそうに、こんなことを言ったのだった。

「本日はポテトのMとLをご注文いただけません。大変申し訳ございませんが、それでも大丈夫でしたでしょうか?」

そうだったそうだった、そう言うニュースを見た記憶がある。そうだ、これだ。

ちょうどポテトを食べたいなと思ってるタイミングだったので少し残念だったけど、ないものは仕方がない。結局ハイカロリーなダブルチーズバーガーをチョイスして、マックシェイクと一緒にかきこむという、恐ろしくヤングな「3時のおやつ」を食べきって満足した後、罪悪感と共に家に帰ったのだった。問題は何もない、記事にする必要もないような、ちょっとした日常の一コマ。そう、その時は何も思わなかったし、ダブルチーズバーガーは相変わらず美味しかった。それだけだった。

でもその日の夜、布団に入って膨満感の残る胃を撫でている時、ふとお昼でのマックでの出来事を思い出したのだ。そして、あの時、明確に意識には上がらなかったけど、ぼんやりとした居心地の悪さを感じたことも、同時に思い出した。そしてその正体を見極めたいと思った。幸い胃の中には、まだ消化しきってなさそうなダブチが、僕を睡眠へ向かう道の途中に鎮座している。やはり40超えてダブルチーズバーガーのチョイスはなかった、せめてチキンタツタだった。後悔先に立たず、胸焼けで容易なことでは寝られそうにない。しばらくそのダブチの存在感に辟易しながら、ぼんやりと考えていると、ふと「それ」がなんなのかわかった。

今日のポテトの欠品は、2020年の頭から2021年の終わりにかけて、この2年間ずっと我々が感じていた、「日常は本当に簡単に壊れてしまうのだ」という、目を背けることのできない厳しい認識を、再び象徴的に思い起こさせる出来事だったのだ。この2年間、我々がなんとか対処しようとして足掻いてきたこの厳しい現状は、この10月の緊急事態宣言の解除とともに一旦落ち着いたはずだった。アフターコロナ、ポストコロナ、言い方はどうあれ、我々は少なくとも「もはやインコロナではない」と信じようとしていた。ところが、2021年の最後、再び感染は拡大しつつある。日常とは、かくも簡単に揺らぐのか、僕の感じた不安は、端的にいうとそういうことだった。

(2)「日常」という物語

マクドナルドのポテトの流通が遅れた理由は、上の記事によるとこういうものだ。

北米の港の近郊で起きた水害の影響や世界的なコンテナ不足による物流の混乱が影響し、ポテトの輸入が遅れているため。

世界レベルでのコンテナ不足という問題が、僕らの「日常」を直撃した。そしてまるで「風が吹けば桶屋が儲かる」の逆バージョンのように、世界レベルの流通の混乱が、自分の食べるポテトのサイズを変えてしまう。でも、これまでなら、それほどこんなことは気にならなかっただろう。実際今日だって、言われた瞬間は、「ああそうか」くらいしか思わなかったのだから。

でも今は違うのだ。コロナをなんとか凌ぎ続けた2年間の間に、僕らの足元はぐらぐらと揺れ動いている。ちょっとした「最後の一押し」で、また跡形もなく崩れ去ってしまう、砂上の楼閣に思える日々が、今の僕らの日々だと言える。マクドナルドのポテトの欠品は、その「最後の軽い一押し」が、自分達の近くに迫っていることを予期させるような、そんな出来事だった。

マクドナルドのポテトという、子どもの頃からずっとあり続けてきたものの供給が遅れることで、僕らの「日常」とは、本当に脆弱な基盤の上に成り立っているのだということが、改めてわかったのだ。

2020年からの2年間を通じて、我々が痛感することになったのは、この「日常」と僕らが呼んできた、ほとんど変化の感じられない毎日の連なりが、いかに貴重だったかということだ。「日常」は、決して事実の集積ではない。僕らが世界で起こっている事実を、ある程度安心して受け取って、その当たり前の物事を集積して、自分の足が揺らぐことなく立つことを確認できる時空間こそ、僕らが「日常」と名づけている物事の本質。一言で言うと、僕らは「日常という物語」を紡いで生きている。いや、生きてきた。でもその「日常」は、今揺らぎ続けている。揺らぐことに既に慣れてしまったほどに。

コロナ以前の世界、特に日本においては、大事件が起こったとしても、その「日常」が揺らぐことはほとんどなかった。過去を振り返った時、僕の40年ちょっとの人生でそれが揺らいだのは、たった2回だ。阪神淡路大震災と東日本大震災の2回だけ。でもその時も、確かに日本はてんやわんやの状態になったけれども、世界のどこかは「日常」を継続していて、そのどこか遠くで営まれている「日常」を見ることによって、僕はほんの少し安心したものだ。日本はもしかしたら終わるのかもしれないけど、少なくとも「世界」はまだ終わらなさそうだ。そんなふうにわずかでも慰めることが可能だった。誰かの「日常」がつつがなく続いているということを感じられるのは、やはり慰めなのだ。

(3)コロナ禍の2年

でも、2020年の頭から世界を巻き込んだコロナはそうではなかった。世界のどこを見ても「日常」は崩れ、その有様は「日常」の集積であった「世界という物語」の崩壊を予期させるほどのものだった。混乱と分裂、依拠するべき「日常という物語」を失った僕らは、ちょっと前なから考えられないようなことで、意見の激しい対立を見ることになる。ワクチンを受けるかどうかで崩壊してしまった家族の話もニュースやSNSで目にするようになった。

僕らの足元を支える「変わらぬ日常という物語」が崩壊したことで、意見の差異を受け止めるセーフティネットのような空間がなくなってしまい、ほんの些細な衝突やいざこざが先鋭化して、分断が進行していく。それがこの2年、我々を襲った「日常の崩壊」という事態だった。

11月に入って急速に第五波が収束した後、久しぶりに気持ちが楽になった時期のことをよく覚えている。ずっと肩に乗っかっていた重石が取れて、ほころび続けていた「日常」が、少しだけまた機能し始めたような、そんな毎日だった。友達と会えたし、展示に行けたし、旅行もできた。そんな最中に起きたのが、昨日のマクドナルドのポテト事件だったのだ。「日常」は簡単に失われる。そのことを再度思い知った。

(4)2022年、再び「平凡な日常」を目指して

でもだからこそ、改めてもう一度、僕らは今度は、そんな簡単に揺らがない「日常という物語作り」をしなくてはいけないのだと感じている。それは単に、事態が安定すればOKというものではないのだ。僕らのこれまでの「日常」は、実に簡単に、一つのウイルスの登場で壊れてしまった。おそらく21世紀は、こういう突発的な出来事、特にウイルスや気候変動によって、僕らの日々は変容を被らざるを得なくなるのだろう。そのような状況に直面した時、「想定外の事実」をただ受け取るだけでは、その度ごとに「日常」は脆く崩れ去っていく。そのような「ただ事実を並べるだけの日常」ではなく、僕らは事実を取捨選択して解釈して、自分の生きる空間へと置き直して再構成するような、そういう態度を獲得していく必要があるのだろう。それは「自ら努力して日常を守る」という態度であるだろうし、また「日常という物語を自分で紡ぐこと」にほかならない。

これまで当たり前のように与えられていた「日常」という枠組みは、驚くほどに脆弱で、だからこそ本当に貴重なものであることを、僕らはこの2年で知ることになった。2022年は、後もう少しだけ僕らは試されることになる予感がしているけれど、それも乗り越えて、いずれまたその平凡さに飽きるほどの「日常」を、今度はできる限り長く維持できるように、注意深く物語を組み上げていきたい。

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今年の2月から日経COMEMOの記事を書かせていただいて、11ヶ月。これが2021年の最後の記事になりそうです。今年一年、経済なんてほとんど知らない僕にとっては、なかなかエキサイティングでタフな執筆でしたが、またとない経験になりました。機会をくださった日経COMEMOの編集部の皆さん、それから、読んでくださった読者の皆さん、本当にありがとうございました。来年も引き続き、「物語」を軸に書いていこうと思っております。

それでは、良いお年を。

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