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子どもたちが勇気を振り絞って、性暴力の被害を証言しても、加害者が起訴すらされない件について

タイトルだけで目眩がしている方も多いと思うのですが(私もです)、しかし、重要な話なので、ぜひ、ひとりでも多くの方に読んでいただきたいです。超、拡散希望です。

子どもたちへの性暴力事件の中には、たとえ発覚しても、親たちが声をあげても、被害当事者の幼い子どもたちが勇気を振り絞り、法律で定められた手続きに則って被害を証言したとしても、加害者を起訴すらできないものがある、という話です。

私の友人の小学生の娘さん(Aちゃん)は、小学校3年生の時に担任教師から性暴力を受けていました。ようやく発覚したのは4年生の終わりになってからです。

ほぼ毎日、朝の授業開始前や、休み時間の教室で、他の児童もいる中、担任の机に呼ばれ、下着の中から直接性器を触られていました。Aちゃんだけでなく、同じクラスの複数の児童も、同様の被害にあっていました。女児も、男児もです。

Aちゃんの母親である私の友人は、同じく被害を受けた児童の保護者数人と一緒に、まず学校に相談しました。実は学校は、既に、他の児童の保護者からの相談により、この担任による性加害を認識していたことが判明。なぜ、発覚した時点で、クラスの保護者にその事実が知らされなかったのか。声をあげられない児童の被害が明らかにされなくてよいのか。これまでの学校や教育委員会の調査や対応は十分とは言えず、同じ職場で勤務している教員が加害者だからなのか、事態を過小評価し、穏便に処理しようとする姿勢が感じられ、納得いくものではありませんでした。

警察にも、被害届を出しました。ところが、その時警察から受けた言葉はこれでした。「被害届出してもいいことない。子どもの証言だから立件できないかも。他の子の目撃証言があっても弱い。お母さんだけ頑張っても、よい方向に向かうのをあまり見たことがない」

今回の事件では、学校の教室にビデオカメラ等は設置されておらず、そもそも物的証拠を得るのは困難です。しかし、被害にあった児童複数の証言があります。加えて、犯行の現場を、何人も目撃しているのです。「無駄なんて、そんなはずない」と、手続きを進めていきました。

その後、この担任は警察による取り調べを受け、強制わいせつ罪で書類送検されました。子どもたちは、検察官による司法面接を受けます。勇気を出して、思い出したくもない当時の状況を、大人たちに話してくれました。

子どもが被害にあったことは本当に悔しいけれど、少なくとも、この加害者は然るべき報いを受けるはず、友人は、そう思っていました。実際、事件を担当してくれた検察官からは、1.5ヶ月くらいで起訴できるはず、と言われていました。

重要な概念なので補足します。

書類送検とは、被疑者(犯罪の疑いのある人)の事件記録や捜査資料を、警察が検察官に送る手続のことです。そして、起訴するかどうかは検察が決めるので、この時点では、なんの罪も確定していません。前科もつきません。

起訴とは、検察官が事件について、裁判所に対して審理を求めることをいいます。これでようやく、裁判が始まります。

司法面接(forensic interviews)とは、虐待や事件、事故の被害を受けた疑いのある子ども(および障害者など社会的弱者)から、できるだけ正確な情報を、できるだけ負担なく聴取することを目指す面接法です。裁判で、証拠として扱われます。

参照元:https://mainichi.jp/articles/20180204/ddn/041/040/014000c
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引用元:https://atombengo.com/qa/kiso

しかし、そこから6ヶ月が経過した現在になっても、未だ起訴には至っていません。検察に状況を確認すると、こんな返答がありました。「元担任が否認しており、証拠が子どもたちの証言のみのため、このままでは証拠不十分で不起訴になる可能性が高い」

「子どもたちの証言のみ」って……、子どもたちは、当時はされていることの性的な意味もわからず、加害者の指導的立場を悪用した卑劣な犯行によって、疑問や嫌悪感を抱いても従うしかない状態だったから、事件が明るみになるのにこんなに時間がかかっていて、ゆえに、物的証拠なんて残っているわけがないのに、それがないと有罪にならないどころか、起訴すらできないというのは、自分のような素人には、全く理解できません。

ただでさえ辛い思いをした子どもたちを、見ず知らずの大人たちの前で当時のことを証言させて、挙句、その加害者が裁判にすらかけられないって、いくらなんでも酷すぎやしないか。

自分の友人と、一緒に被害届を出した保護者たちは、同じく被害にあったり、犯行を目撃していた可能性がある児童の親たちに、証言をしてもらえないか、相談して回っています。しかし、もう、これ以上子どもをこの問題に関わらせたくないとお考えの方も少なくなくありません。保護者が他の親たちに証言をお願いするのは、容易ではありません。

本件で活動している保護者たちは、今まで通り仕事をしています。家事も育児もしているし、その上、被害を受けた我が子のケアまで、必死に考えてやっています。自分だって、親として、深く傷ついているにも関わらず。それなのに、ここまでやらないと、というか、ここまでやっても、加害者を法廷に立たせることすらできないかもしれません。そんなバカな。

不勉強な自分には、どうしても、わかりません。なぜ、被害者が、ここまでしないといけないのか。証拠不十分で起訴できない、というのは百歩譲って理解できるとしても、じゃあ、警察や検察は、それでいいのか? 学校は、何をしているのか。起訴するために、動かないといけないんじゃないのか? 被害届を出す時に「証拠がないから無駄だと思う」と言い放った警察官の言うとおり、何もせず、泣き寝入りするしかないのだろうか。

この話を友人から聞きながら、ひとりの親として、この国の教育機関、警察や司法のあり方に、深い疑問と、憤りを禁じ得ませんでした。

こんな理不尽な事件を2度と起こさないために、私たち大人にできることは何か、専門家に相談してみました。たくさんの重要なポイントがあったのですが、今回はそのうち、2つだけ共有させていただきます。

まず最初にあげられるのが、「生命(いのち)の安全教育」の徹底です。誰もが、性犯罪の被害者にも加害者にも、そして傍観者にもならないようにすることを目的としています。現在はまさに、政府による性犯罪・性暴力対策の「集中強化期間」とされています。

にも関わらず、今回の事件では、この教育が子どもたちに届いたのは小学校4年生になってからでした。しかし、上記の政府文章にある通り、本教育の対象は就学前の幼児からです。

小学校4年生までプライベートゾーンの概念すら子どもたちに教えていなかった学校の怠慢を、指摘せざるを得ません。もっと早く、子どもたちに伝わっていれば、違った結果になっていたかもしれない。そう思うと、一層、悔しさが増します。

私の娘の通う保育園では、年長クラスからプライベートゾーンの話をしています。皆さまの地域の保育・教育現場はどうでしょうか。ぜひ、問い合わせてみてください。それだけで、救える子どもがいるはずです。

また、これは何も保育・教育現場に限った話ではありません。家庭内でも、子どもに真正面から性について伝えていくことが大切だと思います。

なお「そんな小さいうちから『生命(いのち)の安全教育』なんていわれても、具体的に何をすれば」とお考えの方もいるかもしれません。その際は、下記の絵本がおススメです。警察官僚であり、現在は慶應義塾大学総合政策学部で教鞭をとられている小笠原和美教授が監修されています。

絵本の購入者特典で、ポスターがダウンロードできます。それを、施設に貼り出すのは、とても有効な打ち手です。


そして、これは私自身の大切な宿題でもありますが、現在政府が検討を進めている、子どもに関わる仕事に就く人に性犯罪歴がないかを確認する「日本版DBS」を、実効性ある仕組みにしなければなりません。

ポイントは、ここでいう「性犯罪歴」とは何か、です。もしこれが、過去に性犯罪を犯し「有罪」になった記録だとするなら(いわゆる、前科)、今回の事件の加害者は、日本版DBSのデータベースには登録されず、相変わらず子どもと関わる職場で働き続けられることになります。何せ、有罪どころか、起訴すらされていないわけですから。

実際に、この加害者は、懲戒免職で学校を追われた後、またもや子どもと関わる施設で働いていたことが発覚しています。

小児性暴力事件では、加害者が指導的立場を利用し、しばしば子どもたちに卑劣な脅しをかけています。「人にいったら成績を下げる」「推薦を取り消す」「お父さんやお母さんが悲しむ」等々です。だからこそ、子どもたちは誰にも相談できず、事件が明るみになるのは遅れます。その間に証拠は隠滅され、起訴すらできなくなります。

このようなケースを日本版DBSの対象外にしてしまったら、子どもたちを守るための実効性が、著しく損なわれます。

日本版DBSが対象とすべき「性犯罪歴」は、裁判で有罪判決を受けたことを意味する「前科」は当然として、懲戒免職などの「行政処分歴」や、捜査機関から容疑をかけられて捜査対象になったことを意味する「前歴」を含むことも検討すべきです

なお、日本版DBSが参考にしている英国のDBSでは、前歴も対象になっています。ただし、それだと冤罪が含まれてしまう可能性があるので、利用者が不服申立てをできるようになっています。

目下、政府内ではまさにこの議論が行われています。しかし、憲法22条に明記されている「職業選択の自由」を根拠とした、根強い反対論があります。加害者の職業選択の自由を制限することになりかねない、というのが理由です。また、それが加害者の社会復帰の妨げにもなる、といいます。

でも、私は言いたい。子どもと関わらない職業なんて、いくらでもあるでしょう。加えて、憲法22条を引き合いに出すなら、全文を読んでほしい。「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択 の自由を有する」と書いてあります。職業選択の自由は「公共の福祉に反しない限り」認められるものです。

子どもたちの安全は、「公共の福祉」ではないのですか?

他にも多くの問題がありますが、共通していることがひとつあります。この国は、子どもの人権をあまりに蔑ろにしている。実際、日本の法体系の中で、子どもは権利の主体として位置づけられていません。

児童福祉法など、例外はあります。平成29年、令和元年の改正により、子どもが権利の主体として明記されました。詳しくは、塩崎恭久厚生労働大臣(当時)の『「真に」子どもにやさしい国をめざして』をご一読ください。

子どもの基本的人権を国際的に保障するため、1989年の国連総会で「子どもの権利条約」が定められました。日本も、1994年に批准しています。なのに、その後、それに合わせて国内法の整備は行われませんでした。この状況に対し、日本政府は国連から何度も勧告を受けています。

ようやく今国会で、子どもの権利を守るための「子ども基本法」が議論されていますが、一部の政治家から「誤った子ども中心主義になる懸念がある」などという声があがり、実現が危ぶまれている状況です。

私のいる場所からは、むしろ「誤った大人中心主義」が、社会をどんどん狂わせていってしまっているように見えます。でも、子どもたちは、有権者としては、自ら声をあげることはできません。

なんとかするのは、私たち大人の仕事ではないでしょうか。


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