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あなただけの良さを見つけ、育てよう

私たちの行動の背景には、多くの場合、承認欲求が潜んでいる。SNS投稿しかり、仕事を頑張ることしかり。承認欲求が正しい行動を促し、個人の成長とやりがいへ結実すれば最善のシナリオだ。「ほめて伸ばす」という教育法は、まさに承認欲求を成長へつなげる有効な橋渡しと考えることができる。

しかし、「ほめる」には幅がある。「よくやったね、えらいね」という情緒的で現状追認型のほめ方に対して、「あなたのここがいいね」という客観的な発見型のほめ方が対極にあるだろう。特にこれからの時代、私は、後者の発見型のほうが、ほめ手とほめられ手にとって、大きな効果があると考える。

まず、現状追認型の「ほめる」が機能するためには、ほめ手とほめられ手の双方が、同じ価値観を共有することが前提となる。例えば、「あなた、頑張っているよね」は、頑張ることを是とする環境でしかほめ言葉にならないだろう。

ところが、現代は、ひとつの職場でも多様な価値観が交錯する。20代GenZと30代ミレニアル世代の意識差が指摘されるように、世代ひとつでも大きく育った背景(例えばGenZはデジタルネイティブ)、ゆえに主流の考え方が異なる。よって、同質な土壌を前提とするほめ方に執着することは、成長の可能性を摘むこともあるのではないか?私たちに必要なのは、より広く、「自分の良さを外から認識してもらう」ことではないだろうか?

「自分の良さを外から認識してもらう」ことは、現状追認型のほめ方とはニュアンスが異なる。例えば、私が駆け出しコンサルタントのころ、難航したプロジェクト直後の評価で、責任者であるパートナーから「とにかく、頭がよく整理されているよね」というコメントをもらったことを思い出す。長時間労働をねぎらう言葉ではなかったことが意外だった。

ご本人はもちろん覚えてもいない発言だろうが、私にとっては、へえ、そんなことが強みとして認識されるんだ、という新鮮味があった。「よくやったね」「頑張りました」という共感よりも、ピンポイントで良さを認めてもらったことが、その後の自己認識と自信につながった。

主観的な共感をあらわすほめ言葉も、もちろん労い・チームビルディングの意味はあるだろう。だがそれ以上に、私たちが外界とかかわって仕事をする以上、自分を相対、客観化して評価することは、非常に重要だ。自分で自分のことは分かりにくいため、外からの率直な観察をもらうことが欠かせない。

したがって、個人がより大きな気づきと成長を求めるならば、狭く「組織内で、一緒に働くひとからほめられたい」よりも、広く「外から(自分では気が付かないかもしれない)良さを認められたい」にベクトルが向けるべきだ。

このとき「外」とは、組織の外にはみ出して、一向にかまわない。ひとつの会社にすべてを捧げた時代は終わり、副業や会社のそとに居場所を持つことが前向きに評価されている。また、ソーシャルメディアにより個人が世界に発信するハードルが限りなく低くなった。であれば、私たちの良さを認めてくれる相手は、会社の同僚や上司とは限らない。

私自身、数年前、本業のコンサルティングが思うように進まず悩んでいた時期に、ビジネスコラムをメディア執筆することで救われた。媒体が自分の意見を取り上げてくれ、その先には不特定多数のビジネス読者がいるということが、救いであり励みになった。これが、執筆に真面目に取り組む原動力になったことは言うまでもない。言い換えれば、本業でくすぶった承認欲求が、ほかの場所で満たされ、やりがいへ結びついたケースだ。

組織の側から見れば、「ほめあう文化を作りましょう」よりも「個人の良さを発掘し、指摘しましょう」は、一段と手がかかる。しかし、異なる個性をもった社員を一からげにせず、それぞれの良さを出来るだけ引き出すことで、組織と個人の対話はより深まるはずだ。最低限の画一的な人事制度の上に、個人個人の強みに合わせて作りこまれたキャリアパスができれば、優秀な人材を引き留める成功につながるだろう。

「ほめる」を「個人の良さを言語化し、認める」へ。少しの差だが、承認欲求を成長につなげる可能性の幅が大きく広がると考える。


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