「無い内定」、本部長になる。
僕は2011年9月に「無い内定」で母校・明治学院大学を卒業しました。3月に卒業しなかったのは「就職浪人」するためでしたが、結果は実らずただただ半年留年した人になりました。
「内定がとれなかった」「フリーターとして働かざるをえない現状」という劣等感に目を背けたかったからか、直接言葉にはしないまでも「自分は自分の道を歩む」と暗に主張するかのように、振る舞っていた記憶があります。
学生時代の友人と飲みに行くときは、スーツをパリッと着こなし、洒落た
店でイカした酒を嗜んでいるその姿に嫉妬していました。仕事の話を聞いてもチンプンカンプンなので、どんな会話をしていたんだろう、というのはまったく記憶にないです。
(とはいえ、当時、僕は平日・週末問わず社会人硬式野球クラブ「TOKYO METS」の運営に熱中しており、それはそれで楽しい日々でした。)
フリーター、正社員になる。ただし初任給は15万円
2013年、「もうすぐ25歳になるし、そろそろフリーターではなく正社員としてのキャリアをつくらなきゃな〜」という焦燥感に襲われ、求人をリサーチ。
当時の自分の武器は、アルバイト先で身につけたExcelさばきと、「SNSが好き」というなんとなくの興味関心、ただそれだけ。某求人サイト上で「未経験者歓迎」「SNS運用・コンサル」などのキーワードに目がとまり、「コレじゃん」と。
特にこれといった経歴のない自分には、社員数名のスタートアップというのも、いち早く経験を積むうえでは良い環境だと思いました。
メッセージを送ったら即座に面談が決まり、数日後にはオフィスというにはいささか物寂しいマンションの一室へ。入室するなり、そこまでラリーをかわすこともなく聞かれた言葉は「いつから働けますか?」の一言。提示された初任給は15万円。「今のバイト代のほうが高いな……」と思いながらも、月が変わるタイミングでその部屋の一員になっていました。
想像していなかった未来が続く毎日
あれから11年。初任給15万円からはじまった正社員キャリアは、2度の転職を経て、現在のSmartHRで3社目になりました。ありがたいことに、ダイレクター(本部長)として30名近い本部のマネジメントを担うまでに。給料もあの頃の数倍。
たった数人の「マンションベンチャー」でキャリアをスタートした自分にとって、毎日が「 #想像していなかった未来 」です。もちろん、まだまだ個人的にも身につけなければならないノビシロは多々あるんですが。
省略した11年間について、書こうと思えばいくらでも書けちゃうので、なるべく簡単に書きます。(次の見出しまで読み飛ばしてOK)
1社目のSNS系スタートアップでは約2年間勤め、ソーシャルメディアの運用代行やコンサルをしつつ、後半1年間は主に自社メディアでのライティングが
中心。1日3本ほど書いては更新するという日々だったんですが、その「書く」というのもただひたすらサーフィン動画をディグってはそれを解説するというだけで、「文字を書く」以外の何も身についていないのではという不安があり、より幅広い行程でスキルを身につける必要を感じました。
そんなときに、辞めゆく先輩が「藤田くんも転職を考えてみては。編集にチャレンジしてみるのも良いかもね」という言葉を残してくれました。
(ちなみに私はサーフィン経験がありません。なんならカナヅチです。)
そんな先輩の助言から、2社目は、より幅広いメディア運営や制作を手掛けられるよう、自社とクライアント合わせて30媒体(当時)ほどの運営に携わるメディア企業に転職。多くの媒体が1〜2人(多いと4人くらい)の制作メンバーで構成されており、基本的に「何でもやる」で、当初狙った経験は積めたように思います。
この会社で何より大きかったのは、今もなおSmartHRで共にはたらくあらきんと出会えたことです。2社目の入社時のメンターが彼だったのですが、当時から「こんな編集者になりたい」という憧れがありました。それから半年後に転職してしまったんですが、その行き先が当時まだ無名だったSmartHR(当時KUFU社)であり、そんな彼のリファラルで僕も入社することになりました。入社時の社員数は20人ちょっとでしたが、現在1,300名を超えました。
この7年半について書くとべらぼうに長くなるので、やはり省略して簡単に書きますが、少しだけ書くと、当時の規模的に言っても少数精鋭で、やはり「役割にとらわれず何でもやる」をベースにコンテンツマーケティングに取り組んできた過程で、「実現すべきこと、したいこと」を推進するには必然的に人員も必要になり、組織も取り組みも拡張され、気づけばそのマネジメントを担っていたような流れです。
ちょっとしたきっかけがキャリアを創り出す
「無い内定」「フリーター」から始まった僕のキャリアは、当時の自分にとってまったく想像していなかった未来です。我ながら非連続な成長だったと思います。
でもターニングポイントを振り返ると、決して不自然なものでも突然変異のようなものでもなく、「わらしべ長者」のようにちょっとずつ得ていった手札やチャンスに懸けていった結果、その先で成長やキャリアを得られていったな思っています。
もし過去にメッセージを送れるのなら、コンプレックスむき出しの自分に何度でも言いたいのは入りたかった会社に入れなかろうが、無い内定だろうがフリーターだろうが、自分次第で未来は変えられるってことです。
(2024/11/25追記)
「無い内定」「フリーター」を経ていなければ今の自分は居ませんし、
何より今が一番楽しい。これでもないくらいの貴重な経験をさせてもらっています。「あったはずの自分」にとらわれず、「過去があってこそ、今ここにしかない自分」をこれからも大切にしていきたいです。
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