「女性化する社会」と男性の生きづらさ
ジェンダーをめぐるアジェンダは、有形無形の差別により社会の傍流に押しやられる女性の視点から語られることが圧倒的に多い。その一方で、経済教室「『らしさ』の呪縛 解き放て」が指摘するように、ジェンダー規範に縛られる男性の生きづらさは見過ごされがちだ。この課題を正面から見据えて、教育を含めた長期的な政策を立てることが必要だろう。
経済教室では、男は「競争に勝つべき」「妻子を養うべき」「弱音を吐かない」などの固定的な「男らしさ」を具現しようにも、社会・経済構造の変化から上級ポストが減ったり、女性の社会進出の割を食ったりして、男性にとって従来のような社会的成功がそもそも難しくなったと論じている。ゆえに、自らに期待する「男らしさ」と、ままならない現実とのギャップに苦しむことになる。
このような直截(ちょくせつ)な要因に加え、男性の生きづらさの背後には、「社会全体の女性化」という巨視的な流れがあると考える。日本を含む成熟経済では、浸透の速度こそ違え、近年リベラルな価値観が主流になってきた。環境を憂い、人権を重んじ、共生を説く価値観である。職場に翻訳すれば、昔はまかり通っていたパワハラ・セクハラが問題視されるようになったのもリベラルな流れの一環だ。
古典的なジェンダー規範にのっとれば、リベラルは「女性的」と分類されよう。世の中の「女性化」と、無意識に染みついた男性性の間に挟まって、通奏低音のように男性の生きづらさが増しているとは推論できないだろうか?
この構造は、特に低学歴・労働者層の男性で顕著になり得るだろう。高学歴・エリート層とリベラルな価値観は相性が良いと考えられるからだ。日本に限ったことではない。例えば、トランプ前大統領が巧みにすくいあげ、政治的成功に利用したのは、エリートの「女性的」価値観に芯から反発する低所得有権者の怒りだった。
そう考えると、男性の生きづらさを理解し、克服の手を打てるかどうかは、一国の政治運命をも左右する。2010年代後半に欧米を席巻したポピュリズムが日本では顕著に見られなかったとはいえ、看過できる問題ではない。
短期的には、政権が労働者層の苦しみに目配りすることが欠かせない。「エリートによるエリートのため」に陥らない政策を担保することは、インフレーションが現実となり、不況の足音さえ聞こえる2023年には特に重要だ。
一方で、地球と人類のサステナビリティの観点から、社会全体の「女性化」は不可逆と考える。であれば、伝統的なジェンダー規範に縛られた男性には、いきおい生きにくい世の中になってしまう。長期的には、若い世代に対して、意識的にジェンダーのくくりを緩める教育を施し、男性が「取り残されない」共生社会を作る必要がある。