300年後、「ブラック企業」を雲孫世代に残さぬために
僕が所属しているSmartHRでは、「well-working|労働にまつわる社会課題をなくし、誰もがその人らしく働ける社会をつくる。」というコーポレートミッションを掲げています。
そんなこともあって、2年ほど前から「well-workingとは何か? well-beingとは何か?」ということをよく考えています。
そのなかでわかりやすく捉えるにはwell-workingな社会の反対にあるものとして、「ill-workingな社会」あるいは「well-workingではない社会」があると考えられますが、このような社会における存在感の強い登場人物としては、いわゆる「ブラック企業」があるかなと思います。
もちろん、コレ以外にもill-workingをもたらす要素はたくさんあるでしょうが、悪意を持つものとして「ブラック企業」にフォーカスします。
※ このnoteで使っている「ブラック企業」とは、悪意をもってそのような手段をとっている企業を指しており、単に労働条件が悪いとか、労働時間が長く環境が悪いといった企業については今回はフォーカス外としています。
※ ブラック企業(あるいはカルト教団など)にまつわる、嫌な体験、思い出がある人はもしかしたら気分を害する可能性もありますので、もし気になる方はここで離脱推奨です🙏
「宗教」の語源をたどると「再接続」という本来の優しさにたどり着く
先日、この動画を見ていたんです。
そのなかで、予防医学者の石川善樹先生がこのような話をしていたんですね。
「『宗教』とは、つまりreligionとはラテン語で『レリギオ』で『再接続する』って意味なんですね。つまり今の社会のなかではどうしても外れてしまう人がいて、その人たちと社会を再接続しようよっていうのが宗教の本来的な役割で・・・(以下略)」(37分15秒くらい)
出典まではわからなかったので、念のため語源として参考になりそうなものを引用しておきます。
概ね石川さんと同じようなことが説明されていたので、このまま進めます。
このように見ると、「社会から外れてしまったとしても、その人たちの拠りどころとして宗教という受け皿をつくり、再び社会とつながってもらおう」というやさしさを感じます。
WHO憲章におけるwell-beingの定義のひとつに「社会的満足度」があることから見ても、マーティン・セリグマンのPERMAモデルの因子のひとつに「Relationship」があることから見ても、well-beingや幸福学研究で知られる前野隆司教授の幸せの4因子のひとつに「ありがとう因子:つながりと感謝」があることから見ても、「社会とのつながり」「人とのつながり」というのが、well-beingにとっていかに重要かが想像できます。
国内30万人、海外10万人を対象にした調査をもとに、「幸せの鍵・処方箋」を追究している鶴見哲也・藤井秀道・馬奈木俊介著『幸福の測定 ウェルビーイングを理解する』でも、以下のように解説されています。
「分断」そして「再接続」を図ってくる悪意あるブラック企業
「社会とのつながり」という言葉から連想したことのひとつに「カルト教団」がありました。
「再接続」を悪用しているのがカルト教団なのではないかと。
彼らの手口の特徴をChatGPTに問うてみました。
まさにドンピシャで「再接続」を悪用していそう。
ついでに、カルト教団とブラック企業の構造的な特徴についての共通点も問うてみました。
とあるように、意図して社会と分断させ、その一方で自分たちの教団や会社との「悪意ある再接続」を図ってくることが考えられる。当の本人も「この会社しかない」「他の人はわかっていない」といった具合に、ブラック企業に依存していってしまうのだろうなと想像します。
(※あくまでChatGPTの回答であることに一定の留意をする必要はあります)
排他的でなかったとしても、慢性的な長時間労働から社会とのつながりが断たれる可能性もあります。たとえば東洋経済オンラインの記事でも、精神科医の大石雅之さんによって近しい指摘がされています。
数十年、100年単位で改革していく必要があるかも
以上のように見ていくと、たとえば「well-working」が一般的に浸透していったとしても、おそらくブラック企業に勤める人たちには届かない。届いたとしてもおそらく受け入れられない、という壁に当たるのではないかと思うのです。
こうなると、「well-being/well-working」の重要性を説くだけでなく、誰もがブラック企業とつながらないための予防行動をとれるよう、教育レベルから知識や術(すべ)を提供するような働きかけも必要になるんじゃないかと。
たとえば僕は、28歳のときにSmartHRに入社するまで36協定を結んでいなければ1分たりとも時間外労働ができないことなんて知らなかったし、有給休暇を取得するのに際して取得理由を伝える義務がないことも知りませんでした。学生時代、アルバイト先で店長に閉店作業中に勝手にタイムカードを押されていたりということもありましたが、「そんなもんなんだろうな」と特段違和感を持つことはありませんでした。このように「学生時代から知っていれば、もっと違ったかもしれないのに」と思うことがたくさんあります。
ちなみに連合(日本労働組合総連合会)の調査によると、36協定の認知率は5割に満たないようです。
とはいえ、教育レベルに踏み込んで「ill-working」に対して根治していくための活動は5年や10年で実現できるもんではないだろうことは想像に難くなく、少なくとも数十年、もしかしたら100年単位で働きかけ続ける必要があるのかもしれません。
たとえば「新卒カードで良い企業に就職できないとレールから外れる」みたいな画一的な固定観念も打破していかないことには、「悪意ある再接続」の受け皿としてブラック企業は機能しつづけうるからです。
300年後、「雲孫」世代の教科書の片隅で
おもしろいことに、日本には「雲孫(うんそん)」という言葉があることを石川善樹さんがどこかで触れていたのを聞いたことがあります。これはどうやら、自分からみて8世代あとの子孫をさす言葉らしいです。
言葉として存在しているくらいですから、この言葉を生んだ人、使っていた人にとっては8代あとのことを考えるのが当たり前だったのでしょう。時間にしてみれば200年〜300年くらいですかね。
我々からみた「雲孫」にあたる世代が働くころには、「ブラック企業」なる言葉が歴史の教科書の片隅で軽く紹介されているテストにも出ないくらいの「よくわからん歴史用語」として廃れていくには何ができるでしょうか。
それを考えるのも、向き合うべきひとつのサステナビリティなんだと思います。
少なからず個人から始められることとして、自分としては一日一日をwell-workingに過ごしていくうえで、「つながり」を大切に歩んでいこうと思います。