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With コロナの大学の授業と社会での支援

まだ、対面授業に踏み込めない大学

 コロナと向き合って、3回目の春が終わろうとしている。2020年、2021年、2022年と、今年で3度目の4月、5月が終了したのだ。私のように、シニアな生活での3年は、全人生に対する濃度が高くないが、これが若者であれば、状況は全く異なる。
 例えば、皆さんは自分が大学3年生だと想像してほしい。つまり、2020年の4月入学である。入学式はない、事業はオンラインだったり、登校だったり。この学生にとって、大学は大学の価値を提供できたのかという疑問がある。

 この春も、まだ対面授業にフルに踏み切れていない。オンラインの授業は、教師が知識を伝える授業や、対話形式でも授業のプロセスが明確なものは、比較的行いやすい。しかし、みんなでプロセスも探しながら進める、トライ&エラー型や、アクティブ・ラーニングの授業は、困難さがある。

大学という学びの場も使えていない

 授業だけではない。大学という、社会人直前の「学びの場」は、自己形成や自己確認の重要な時間である。友人との雑談。友人との衝突。これらも、「人間形成」の上では、重要な学びである。

 しかし、現在大学など、学びの場にいる若者たちは、充分にはこの機会を活用できなかった。

社会でカバーすることも必要なのかもしれない

 とはいえ、時間が来れば、今の大学生は、社会人になる。そして、大学生は、好んでコロナ禍の大学生活を送ったのではない。コロナ禍の大学生活だったから、不幸だったねと、他人ごとに済ますのではなく、何かできることはないだろうか。
 社会に出た後に、大学時代に経験するような対面の経験を、社会人生活で、経験させやすくする。いや、コロナ禍受けた精神的な障害などを、社会全体で向き合う。など、彼ら・彼女たちが、生き生きと活躍するには、どうしたらよいのかは、社会全体の問題のような気がする。
 絶対に行っていけないのは、世代間の衝突をおこすような行動だろう。「コロナ禍の大学生活だったから」のような言葉は、決して投げかけてはいけないのであろう。

課題はコロナの感染から、コロナ時代の経験の対応に

 今は、幸いにもコロナの感染者数は、低下し始めている。そして、感染した場合の薬も、出始めている。
 今後の課題は、コロナ時代の不自然な生活経験をされた方たちへのケアーという高度の課題に向き合う必要があるのだろう。大学生はその一例だ。成長過程の子供たちのコロナ時代の不自然な経験による問題を、どのように社会全体で取り除くかが、今後の課題のような気がするのである。



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本間 充 マーケティングサイエンスラボ所長/アビームコンサルティング顧問
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