日本企業の技術と若者の発想でユニコーンを目指す
靴は世界的に見てもホットな市場
かつては「メイド・イン・ジャパン」が世界を席巻していたのは遠い昔のことのように語られるようになり、モノツクリの現場は中国、そして東南アジアや南アジアへと移っている。「安くて、高品質」の日本の生産現場は縮小傾向にあるが、優れた職人技は廃れていない。日経スタイルの記事では、日本の革靴の優れた職人芸に注目している。2022年5月にロンドンで開催された靴職人コンクール「ワールドチャンピオンシップス・イン・シューメーキング」で、日本人の職人が1位から3位を独占した。それだけではなく、10位以内に日本人が過去最多の6組も入る快挙だ。
革靴だけではなく、靴業界は未でも日本企業の技術が光る。生産量ではアジア諸国に負けるが、日本独自の技術力は今でも評価が高い。
靴メーカーはユニコーン企業も狙える
革靴に関してみると、日本国内では東京の浅草や神戸の長田の職人の評価が高い。そして、デザイナーと革靴職人の結びつきによって新しいブランドも出ている。
2015年にスタートしたYOAKの主力である革靴スニーカーは都内の革靴工場で素材を選び、緻密な縫製をすることで高い品質が評価されている。同様に、2017年創業のスラックフットウェアも都内初の新興ブランドだ。革靴ブランドや大手スポーツメーカーでシューズデザイナーをしていた安田氏によって立ち上げられた。
関西では、ブルーオーバーが2011年にプロダクトデザイナーの渡利ヒトシ氏によって立ち上げられた。柳宗悦氏の提唱する民藝運動に影響を受けているというモノツクリは、日本製にこだわり、できる限りの資材を国内で調達し、製造を行っている。
日本の伝統的なメーカーも負けてはいない。福岡県久留米市と広島県府中市はゴム産業が盛んであり、スニーカーメーカーとして100年以上の歴史を持つ。久留米では2大シューズメーカーが存在感を持っている。1社は、世界的タイヤメーカーであるブリヂストンの源流であるアサヒシューズだ。もう1社はニューバランス・ジャパンの立ち上げに関わり、主要株主でもあるムーンスターだ。府中市では、1933年創業のニチマンが1997年に子会社として立ち上げ、2002年からブランド展開しているスピングル・ムーブがある。これらの企業では、国内でもごく僅かな工場でしか生産することの出来ないバルカナイズ製法(加硫製法)でスニーカーを製造することが出来、ソールがしなやかで柔らかい、丈夫で壊れにくい、美しいシルエットが保てるという特徴がある。
海外に目を向けると、ユニコーン企業となって近年上場を果たした米国のallbirdsがひときわ目立つ存在だ。また、3Dプリンターの発達によって、ソール部分の試作が容易になったことから、ベンチャー企業の生まれやすい土壌ができている。
日本の高い技術と若者の発想でイノベーションを起こす
実際に靴の製造現場に訪れてみると、驚くほど手作業が多いことに驚かされる。創業期のNIKEがフットプリントの形状をどうすべきか試行錯誤していたときに朝食のワッフルメーカーから着想を得たという話は有名だが、現在でも当時と同じようにワッフルメーカーのような機械でソールのゴムを伸ばしている。(なお、久留米市のアサヒシューズ本社の工場見学に行くと当時のNIKEのスニーカーと設計図を観ることが出来る)スニーカーの縫製は大量に並べられた業務用ミシンで職人が並んで手作りする。高熱になる加硫製法の釜では、硫黄と熱せられたゴムの臭いが製造現場一帯に漂う。職人による技術が活きる世界ということは、発想1つで世界市場で戦える余地が大いにあるということだ。
ユニコーン企業としてリスト入りしている米国のファッションブランドの Rothy's は、地球環境に配慮したモノツクリと事業展開で成長し、既存のファッションを代替することを目指している。製造現場は中国に委託し、自社では持たない。市場にとって魅力的で素晴らしい事業アイデアと世界市場で展開できる実行力の2つが組み合わさることで、事業を大きく成長させることができる。
矢野経済研究所によると、靴・履物小売市場は2016年以降縮小傾向にあるという。2021年度の国内靴・履物小売市場規模は、小売金額ベースで1 兆967 億円と推計されるという。国内だけに目を向けていると厳しい状況が確かにある業界だ。
しかし、日本のモノツクリの高い技術と若者の発想を組み合わせることでイノベーションの種は生み出すことができる。特に、ファッションは若者にとって興味を持ちやすく感性が活きやすい業界だ。実際に大学のワークショップでも、ファッションに関する事業アイデアは目を見張るものを出してくることが多い。日本の高い技術と若者の発想で新たなユニコーン企業が生まれる余地は大いに期待できる。