「配転違法判決」はジョブ型導入の支障にはならないのでは?
今朝の日経新聞で、今年の4月に出された黙示の職種限定合意を認定し、配転を違法とした最高裁が「ジョブ型導入の支障になる」というような記事がありました。
この記事に真っ向対立になるのですが、個人的には、大きく2つの観点から「そうかな?」と思うところがありましたので、今回はこの点について書いていきます。
ちなみに、この判決については、7月8日発刊の日経ビジネスさんに、私のインタビュー記事を掲載いただいています。以下のネット記事もあるので、是非お読みください。
この判決については、以下の記事もご参照いただけると嬉しいです。
最高裁の判断(おさらい)
まず前提として、この最高裁判例は、「労働者と使用者との間に当該労働者の職種や業務内容を特定のものに限定する旨の合意がある場合には、…その個別的同意なしに当該合意に反する配置転換を命ずる権限を有しないと解される。」として、配転を命じる「権限」がないとしました。
こうした配置転換の有効性の審査は、①そもそも配置転換を命じる権限があるか(権限審査)、②権限があるとしても、その配置転換命令は権利の濫用ではないか(濫用審査)の2段構えで審査されます。
今回の最高裁は、①の権限審査の段階で、配置転換を違法としたものです。
割と実務的には一般的な判断では?
さて、私が冒頭の記事を読んで「そうなの?」と思った一点目は、今回の最高裁判例の考え方は、割と実務的には一般的だったのでは、という点です。
上記のとおり、配置転換について、①権限審査、②濫用審査の2段階で審査する、すなわち、①で不可なら②に行くまでもなく無効という考え方は、これまでの実務でも一般的であったように思われます。
確かに、①権限審査が不可であっても、配置転換を命じ得るという裁判例もあったといえばあったので、その意味では今回の最高裁判例の意義はあると思います。
ただ、「今回の最高裁があったのでジョブ型導入に支障」というほどではないように思われます。
むしろ、ジョブ型を導入するとした場合、上記のような権限審査・濫用審査の枠組みがあることは当然認識しておくべきであり、その意味では、今回の最高裁も「想定の範囲内」でなければ、制度導入に当たっての分析が甘いと言わざるを得ないでしょう。
そもそもそんなに職種等の限定合意までやっていないのでは?
もう一点「そうなの?」と思った点としては、そもそもの前提として、今一部の企業で「ジョブ型人事制度」とうたって導入されている制度では、職種等の限定合意まではなされていないのではないかという点です。
(これは良くないことだと思いますが)「ジョブ型人事制度」といっても、その意味するところは各社各様ですが、実際には、やはり広いジョブローテーションの権限は捨てがたく、メンバーシップ型の最大の特徴である職務無限定契約は維持したまま、単なる成果主義賃金制度を意味しているようなところもあるように見受けられます。
このような場合、(これをジョブ型と呼ぶかはともかく)今回の最高裁のような職種限定合意はされていないことになります。
だとすると、今回の最高裁が「職種限定合意がある場合には配置転換違法(無効)」としたとしても、もともと職種等の限定合意を採るほどの徹底したジョブ型雇用制度を採用していないのであるから、今回の最高裁の判断は、大した支障にはならないのではないかと思われます。
最高裁の影響で個人のキャリア意識は変わるかも
以上の2点から、個人的には、「今回の最高裁判例が、ジョブ型雇用制度導入の支障になる」とは思えません。
むしろ、これで支障になるようなら、上記のように前提として法分析が甘いといえます。
とはいえ、この最高裁判決が全く意味がないわけではないでしょう。
「職種限定合意があっても配置転換可能」とする議論を否定したことはもちろん、働き手個人が「日本企業では配置転換されて当然」という意識から、「合意によって自分のキャリア自律を守ることができる」という意識が高まって行けば、やはりこの最高裁判決には意義があったように思います。