「若い人たちが犠牲になる」という意味 ー 夢をもてるのか?
若い人たちが戦争の犠牲になりつつある実態を日経新聞の記事「ロシア、鉄道建設などで14歳も勤労動員 軍民で人材争奪」で知り、ロシアのこの2年半の「決算」を覗く思いです。
以下のグラフを一見すると、「悪くないじゃない」と思うかもしれません。しかし、実態はその逆です。戦争が若い人たちの人生をめちゃくちゃにすることで成立するイベントであることがよく分かる記事なので、紹介しておきます。
しかしながら、失業率が記録的に低いのは、軍に定期的に徴兵され若い人たちの絶対数が減少するからです。それで民間への人材供給がひっ迫、さらに国内治安を優先した移民排斥の動きが状況悪化に拍車をかけます。これまで移民に頼っていた仕事をする人がいなくなったわけです。
このため業務を縮小したり、店舗を閉めるケースも外食産業で出ています。よって、企業は14〜18歳の人材募集を急遽増やしている、というのです。学生がパートやアルバイトとして戦時経済を支えるとの図式です。そうすると、この構図を強化するアイデアがでてきます。
戦争は軍事力の増強が前提になり、その結果、労働力不足を招き、そのしわ寄せが若い人の動員を必然のものとさせ、若い人の命を数として扱うようになります。それと同時に、若い人の人生そのものを実質的に破壊していくのですね。
もちろん、幸か不幸か、一定数の人は国家に身を捧げることに疑いをもたないでしょう。そして、教育のレベルを下げる方向に行けば、疑問をもたいない人はますます増えるのではないかと思われます。
夢、そのものを持てなくなる、ということです。
ぼくの父親は第二次世界大戦時、神宮から学徒動員で中国に送られ、母親は女学校の時に横浜の軍事工場の工員として駆り出されました。二人とも国家に身を捧げることを素直に認めていたわけでなく、そうするしかなかったと話していました。そういうものだろう、と思います。ただ、若い時に夢がもてなかった悔しさはなかなか消えなかったようです。
冒頭の写真は、ヴェネツィアのPunta della Doganaで開催中の仏アーティスト、Pierre Huyghel の展覧会にあった作品。
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