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「PdCa」ーPの計画とCの評価ばかり偏重され、dの実行とaの改善に手が回らないこと。

日経新聞電子版の2つの記事を読み比べ、ぼくは「さて」と腕を組みました。

一つ目は「グリーンウォッシュ」排除のため、EUが厳しい規制をかけるとの方針を報じた記事です。前々からこの件はフォローしていましたが、いよいよシビアになってきました。

欧州連合(EU)は「環境に優しい」や「カーボンニュートラル」といった曖昧なエコ表示や宣伝を禁止する。企業が環境に配慮したふりをするグリーンウオッシングから消費者を保護するためだ。記録的な猛暑など気候変動の影響が広がるなか、企業の環境対応に実効性があるかどうかが問われている。
<中略>
発効後、EU加盟国は24カ月以内に新規制を法律に組み込む必要があり、2026年までに曖昧なエコ表示や宣伝は禁止される

EU3機関の合意文書によると、優れた環境パフォーマンスが証明されないかぎり、「環境に優しい」「ナチュラル」「生分解性」「エコ」「カーボンニュートラル」といった一般的な表示は使えなくなる

欧州委員会の調査によると、企業のエコ表示や宣伝の53%は曖昧で誤解を招く恐れがあり、40%は裏付けになる証拠がない。グリーンラベルの半数は検証が弱いか存在しないという。曖昧なエコ表示が氾濫するなか、環境意識の高い消費者ほど誤認しやすい傾向にあり、EUは規制を大幅に強める。

エコ表示などの半数以上は誤解を招く可能性があると判断されているのですが、ここで「環境意識の高い消費者ほど誤認しやすい傾向にあり、EUは規制を大幅に強める」という点が目をひきます。つまり、環境に関心の低い人にとってはどう表示されようが、そもそも読まないから実害が逆に少ないのですが、関心の高い、表示に敏感な人たちの誤解を避けるのが、今回の規制のひとつの狙いと読めます。

サステナビリティが必須の方針として人々から受け止められれば、企業として無理することもあるでしょう。「無理する」には2つあり、とにかく投資をして何処からも批判がこないように準備をすることがひとつ。もう一つは、実質以上に見せるための背伸びです。後者にグレーゾーンが生じるわけです。

よって、下記の例にあるように、意図的な虚偽か、ビジネス繁盛のための「穏当な(?)」誇張なのか、これらの2つを区別するのが至難であることをどの程度に人々が認識しているか?が、戦略を決めるときの前提になるはずです。

英フィデリティ・インターナショナルでサステナブル投資戦略責任者を務めるガブリエル・ウィルソンオットー氏は「環境対応は非常に範囲が広く、判断が分かれやすい。グリーンウオッシングではどこまでが意見の相違で、どこからが重大な虚偽表示か、経済的成果を得るための事実の誇張なのかを客観的に見極めるのが難しい。フィデリティはコミュニケーションの一貫性や透明性、バランスが重要と考え、環境訴求の根拠を明確にするように取り組んでいる」と話す。

ただ生真面目に対応すればよいという話ではない、ということが薄々想像できます。文化的な理解やコミュニケーションの力が試される、といってよいでしょう

さて、ここで冒頭に書いた2つの記事の2つ目の内容が気になるのです。それは、野中郁次郎一橋大名誉教授の指摘です。

――企業にとって「失われた30年」の真因はどこにあったのか。

「雇用や設備、債務もその通りだ。しかしより本質をいうならプラン(計画)、アナリシス(分析)、コンプライアンス(法令順守)の3つがオーバーだった

「数値目標の重視も行きすぎると経営の活力を損なう。例えば多くの企業がPDCAを大切にしているというが、社会学者の佐藤郁哉氏は最近、『PdCa』になったといっている。Pの計画とCの評価ばかり偏重され、dの実行とaの改善に手が回らないということ。同感だ

「行動が軽視され、本質をつかんでやりぬく『野性味』がそがれてしまった。野性味とは我々が生まれながらに持つ身体知だ。計画や評価が過剰になると劣化する」

EUのグリーンウォッシュへの規制に過剰反応せず、適切に解釈して行動していくことが大切なところにあって、日本の企業活動に特徴的な傾向、「過剰に走る」点が、そうとうに右往左往する要因になるだろうと推察できます。

EUの規制がどのような感覚で作成され、どのような感覚で運用されることが期待されているのかを知るためには投資をせず、すべて順守するために身を捧げやしないか、とぼくは危惧するのです。特に、日本の人のタイプとして抽象度の高い言葉を仰ぎみて「酔いすぎる」傾向もあるので、これは要注意案件だなあと思います。


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