別に書かなくても人は生きていける
人工知能(AI)に奪われる仕事と、残る仕事の違いは――。従来は人間にしかできなかった仕事が自動化できる時代になって、よく見かける議論だ。しかし、既に単純な二項対立では語れないフェーズに入っているのかもしれない。
文章を自動生成するAIの研究が進んでいる。最大のメリットはライターの負担を減らせること。裏を返せば、フェイクニュースやヘイトスピーチを容易に「製造」できるようになる。そのため、自動文章生成AIが悪用されないように研究の詳細を公表しないことにした、というニュース。
便利なものは悪意をもって使われるリスクをはらむ。本来は土木工事のための発明だったのに、兵器として使われたダイナマイトを思い出す。
実は弊紙にもAIが記事を書くサービスがある。決算原稿だ。企業のリリースを元にAIが要点を自動で抽出し、文章化して配信する仕組みになっている。リリースはすでに文字情報なので、要旨をまとめるのは技術的には難しくない。
最大の強みはスピードだ。会社発表から3分でレポートが読めるというのは、熟練の記者が書くより速い。他の記事もAIが書けば幅広い分野のニュースをカバーできるようになるはずだ。
しかし電子版や紙面を支えているのは、未だに生身の記者。1300人それぞれが日夜脳みそを絞ってネタを考え、上司や取材先に怒られながらいいね!と思うニュースを届けようと頑張っている。もし記者の仕事がAIに置き換えられてしまったら、それはちょっと寂しい。
水風呂にあえて入るのはなぜか
AIに作れない、人にしか書けない文章とは何なのか。ヒントのようなものを得たのは2月20日のことだ。
その夜、ニュースの読み方やタイトルの付け方を考えるセミナーがピースオブケイク(東京・港)で開かれた。僭越ながら私も講師として登壇し、インプット(準備から取材まで)を整理するためのアウトプットについて説明した。
集まった人の大半はnoteで発信する機会をうかがっている。このイベントはニュースと自分の接点を見つけ、実際にニュースを引用して書く機会を増やしましょう、という趣旨。
なぜあえてハードルの高い目標を設定するのか、セミナーでは4つメリットと理由を挙げた。
①共通言語を持てる
②説得力が増す
③自分の視野が広がる
④ネタに困らない
終わってから気づいた理由がもう1つ。
⑤ちょうどいい温度になる
ここからは完全な私見だが、クリエイターの熱意が凝縮されたnoteは、普段個人的な見解を挟めない記者にとっても非常に魅力的なプラットフォームだ。同時にダイナマイトのように熱意が暴発して、読み手を置いてけぼりにするリスクもはらむ。
正しく情熱を伝えるうえで、いったんクールダウンするためにニュースを引用するという考え方もできる。ニュースは世の流れと同じ速さで主張を導いてくれる伴走者でもあり、サウナや温泉で火照った身体を鎮める水風呂でもある。
水風呂も最初は居心地が悪いかもしれないが、じっと浸かっているとだんだん慣れてくる。次第に手足の先がピリピリ痺れ、じんわりと温かくなってくる。自分に血が通っていることを、体温とともに実感する瞬間だ。
AIでも文章を作れる時代に、別に書かなくても人は生きていける。あえて書く仕事に身を投じるのは、自分の温もりを誰かに届けたいと心の底では思っているからなのかもしれない。
だから、ニュースでもイベントレポートでも血の通った文章を書いていたいし、悪意に惑わされない主張を持っていたいと思う。単語のつぎはぎで整えた文章しか書けなくなってしまったら、本当にAIに仕事を取られてしまいそうだ。