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感情的に話すのではなく、感情について話す

ビジネスコミュニケーションで「説得」は悪手

いきなり質問ですが、皆さんは説得されたいでしょうか? 家電を買うとき、または企画の提案を受けるとき、店員さんや営業の人に「説得されたい」と思う人はいるでしょうか? 自分の中で答えが大方決まっていて、あとは誰かにその決断を後押しして欲しい、ということはあるかもしれません。ただそれは、「説得されたい」というのとは少し違います。

日常でもビジネスでも、誰かに説得されたい、と思う人はいないのです。にも関わらず、例えば上司に企画の提案をするとき、私たちはつい相手を説得しようとしてしまいます。意識して「説得しよう」とは思っていなくても、何とか企画を通したい! と思うあまり、データを集めロジックを固めて「理論武装」してしまうのです。「武装」という言葉が示す通り、これは相手を理論でやり込めるアプローチです。良かれと思ってデータとロジックで身を固めているうちに、私たちはいつしか無意識に、相手と「対決モード」になってしまっているのです。

もっとも、これには上司の側にも問題があるのかもしれません。提案に対してロジックやデータの不備を指摘すると、部下はそれを「提案には理論のほころびをつくるな」というオーダーだと受け取ります。そして次回からは、むしろ上司に気を使うようなかたちで、データやロジックのほころびを隅々までチェックし、「理論武装」して臨むようになるのです。

しかし、繰り返しますが、人は誰しも「説得される」ことを嫌います。特に出世して上司の立場になるような人は、自分の考えにこだわりと自信を持っていることが多いのでなおさらです。課長、部長、本部長、役員と、人はポジションが上がれば上がるほど、説得されるのをより嫌うようになるとも言えます。一方で提案する方は、提案相手が上の立場の人になればなるほど、より入念に理論武装して臨むようになります。ここに大きなすれ違いが生まれてしまうのです。

説得するのではなく、腹落ちしてもらう

ではどうすればいいのか? ということなのですが、説得することを目指すのではなく、腹落ちしてもらうことを目指せばいいのではないでしょうか。ここでいう「腹落ち」とは、心変わりをしてもらい、自ら進んでそう決めてもらうこと、だと定義しましょう。心変わりというとノーからイエスへの心の変化、をイメージするかもしれませんが、ここでは無関心から関心、中立からイエス、ほぼイエスから完全にイエス、なども含めて考えます。

そうした心の変化をうながすアプローチを、ここでは「腹落ちのアプローチ」と呼びましょう。その反対は「説得のアプローチ」です。例えば上司に企画を承認してもらうのに、完璧な理論武装をして、相手が何も反論ができない状態に持ち込もうとするのが「説得のアプローチ」です。これに対して「腹落ちのアプローチ」では、自ら承認する、と進んで決めてもらう状態をうまくつくりだします。

こういうとロジックやデータを否定しているように聞こえるかもしれませんが、それらは実は「腹落ちのアプローチ」でも大切です。最終的に「よし承認しよう!」という気持ちを仕上げてもらうために、その判断材料としてロジックやデータが必要な場合も多々あるからです。問題はロジックとデータを武器のように振りかざし、相手を袋小路に追い込むスタンスです。ロジックとデータは、相手が自分で洞窟の壁に穴をあけられるように、足元においておくツルハシとランタンのように使います。

ロジックとデータは道具なのです。そして、道具は心や頭の行き先を決めてはくれません。例えば、2020年に遡って、東京オリンピックを開催すべきか? 延期すべきか? という決断を自分が迫られていると想像してみてください。開催すべき。延期すべき。手慣れた行政のプロなら、その両方のシナリオに、完璧なロジックとデータを準備できるでしょう。データやロジックはどちらの方向に進むにしても便利な道具ながら、開催するのか延期するのか、その決断はいくらそれを眺めていても降って湧いてはこないのです。

「承認の蟻地獄」にはまらないためには?

さて、そうなると問題は、その決断は一体いつ、どこから降って湧いてくるのか? ということでしょう。ここに答えはないですが、私の仮説は、プレゼンのごくごく早い段階で、場合によってはプレゼンが始まる前からすでに、承認者の心が向かう方向性は大方決まってしまう、というものです。面接は第一印象がとても大事、とよく言われるのも同じ理由からと考えます。

そうして一度心が向かう方向性が定まると、それ以降承認者はそこに近づくための道具やルートを自ら探してくれます。データやロジックが物を言うのは、まさにこうなってからです。逆に何かしらの理由で「承認したくない」と相手に感じさせてしまったら、その「NG」を正当化するデータがあるかどうかをひたすら確認されてしまうでしょう。

すると、NGを正当化するデータなど当然その場には用意していないのでまた出直し、となり、追加の時間をかけてNGを正当化するためのデータを集める、という苦行を強いられてしまいます。「承認の蟻地獄」の完成です。ここでさらに相手を説得するためのデータやロジックを持ち出したらどうでしょうか? もうみなまで言うな、です。

では、私たちプレゼンターは、どのようにして承認者の心を「承認」の方向に向かせればいいのでしょうか。承認者が予め答えを持っている・いない、承認者との関係が深い・浅いなど、プレゼンを巡る状況は様々なので、ここには一つの明確な答えがあるわけではありません。ただ、どのような状況でもその確度を上げてくれる、とっておきの技があります。それが「企画提案をストーリーにする」というテクニックです。

心に働きかける技術・・・感情に「ついて」話す

「企画提案をストーリーにする」というのは、「企画書をストーリー仕立てにする」ということではありません。企画書自体は、グラフと数字が沢山並んだいつものパワーポイントでも構わないのです。その企画書を苦労して仕上げ、今舞台に立って手に汗を滲ませている主人公は誰でしょうか? そう、自分自身です。

そのプレゼンの晴れ舞台は、自分にとって数週間におよぶストーリーの集大成であるはずです。企画提案はそもそもが自分のストーリーなのです。それがなぜ、聞く人にとってはストーリーでなくなってしまうのかというと、そこに何の「感情」もないからです。社会人であれば、プロであれば、いかなるときも感情的になるべきではありません。いくら思い入れのある企画だからといって、承認してください、と泣いて懇願するような真似は慎むべきでしょう。

しかし、だからといって「感情について」話してはいけない、という道理はどこにもありません。どういう思いで準備を進めてきたのか。今どういう感情でこの場に臨んでいるのか。そんな一言を挨拶の最後に添えるだけで、企画提案という自分のストーリーに相手を少し近づけることができます。あくまで会議の空気がそれを許せば、ですが、今日の提案に至るまで、誰と誰がどんな準備をしてきたのか、というプロローグを語るのも一つの手です。

私は長らく広告の仕事をしてきたのですが、著名な広告クリエーターさんほど、プレゼンの前にそんなプロローグを語ってくれる印象があります。そして、提案の最中も、この案のここが好きだ、この案のここはこう苦労した、という感情のスクリーンショットを随時共有してくれるのです。感情的になるのではなく、感情を覆い隠すのではなく、感情について語ることで、聞き手を「企画提案というストーリー」に引き込むのです。

すでにストーリーがあり、自分がその主人公である以上、このテクニックは手慣れたストーリーテラーじゃなくても誰にでも繰り出すことができます。ぜひ一度トライしてみはいかがでしょうか?

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#COMEMO
#NIKKEI

<参考記事>
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