“子ども向け”ではなく、”子どもとの”ワークショップであるために
子ども向け映画、子ども向けアニメ、子ども向け教材、など、あらゆるコンテンツに「子ども向け」という言葉がつくものが多くありますが、ぼくはワークショップを企画する際、この表現をなるべく使わないように心がけています。
そうではなく「子どもとのワークショップ」という言葉を使っています。今日は、「向け」ではなく「との」という表現を心がけている、こだわりについて書きたいと思います。
師匠と弟子が共に学びながら作る「工房」の意味を語源にもつ「ワークショップ」は「知識の伝承」と「新しい知識の創造」が混在しながら起こっていく場です。誰かに向けて知識を伝承するだけでなく、誰かとともに知識を創造していく場であるべきだとぼくは考えています。
「ワークショップ」という言葉のルーツ
ぼくが専門としている「ワークショップ」とは、本来「工房」を意味し、師匠と弟子が協同して物を生み出していく場を表す言葉です。旧来の職人の工房では、師匠から弟子への知識の伝承をベースにしていました。
しかし、現在使われている「ワークショップ」のエッセンスの一つに、「民主性」があります。今から100年ほど前から、演劇教育やまちづくりや企業の商品開発などさまざまな場で「ワークショップ」という言葉が使われるようになりました。
彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督でありダンサー・近藤良平さんもまた、こうしたワークショップを通じて、子ども、高齢者、障害者とともに創作にとりくんできた第一人者の1人です。
こうした文脈から、ワークショップでは権力者からの上位下達のコミュニケーションではなく、対等で双方向的なプロセスが重視されるようになります。市民や社員が参加しながら、身体的な気づきをもとに知識を創造していくプロセスです。このように「日常の権力関係から解放され、日常では見えなかった新しい意味を見出す」ことが、ワークショップのもつ「民主性」の意味です。(『問いのデザイン』安斎・塩瀬2020)
「知る活動」から「創る活動」へ
一方で、ワークショップには「知識伝承」の側面もあります。ワークショップの前半に「知る活動」というフェーズがあります。
それは、物の作り方や考え方を先人たちや他領域から学び取るようなプロセスです。そのような先行する知識を取得した上で、自分たちが今ここから何を作り出すべきなのかを問い直し、生み出していくプロセスが、その後の「創る活動」になります。
単に「知識伝達」の場だけになってしまうと、新しい知はそこから編み出されません。しかし、単に「知識創造」の場だけを目指すと、すでに先人が思い付いていることをさも自分が思い付いたかのように誤解してしまう、いわゆる「車輪の再発明」になってしまいます。
このように、ワークショップには「知識伝承」と「知識創造」の2つの機能があり、伝承された知識をベースに新たな知を創造する、という一連のプロセスになっているのです。
Workshop for kidsからwith kidsへ
「◯◯向け」という言葉では、「知識の伝承」のみを強調し、「知識の共創」を弱化してしまう、というのがぼくの危惧するところです。
だからぼくは「共創」を強調するために「◯◯向けワークショップ」ではなく「〇〇とのワークショップ」という使うよう心がけています。英語でいえば、Workshop for kidsではなく、Workshop with kidsでありたい、ということです。
「子どもとのワークショップ」という表現を用いることで、「大人と子どもがともに新しい知識を創造する」という意味を込めることができます。ファシリテーターや大人から子どもへと知識の伝承がなされるプロセスと、子どもから触発されて大人自身が変化するプロセスとが混在することでその場に新たな知が生まれていく場となるよう、願いをこめています。
「子どもとのワークショップ」の意味を実感したエピソード
つい先日、パーソルホールディングス様とともに親子で参加してもらうためのワークショップをつくりました。45分という短い時間でしたので、シンプルなワークにしました。紙をやぶいて、「その紙がもし未来の課題を解決する道具だとしたら?」という問いでアイデアをつくってもらう、というワークです。
そこで、静かな親子の共創を目の当たりにしました。はじめは子どもが自分でアイデアを考えていたのだけど、隣でお母さんがなんとなくやぶいた紙に色を塗っているのを見て、何かをひらめいたのでしょう。
最後にアイデアを発表してもらったとき、その子は、最初に自分がつくったアイデアではなく、お母さんがはじめに作ったものにアイデアを重ねたものを、自分のアイデアとして発表していました。(これはあくまでぼくが見ていた限りの仮説なので、実際はもっと複雑なプロセスがあったかもしれません)
親が子どもに何かをさせようとするのではなく、親子がお互いのアイデアを重ね合う姿に、「子どもとのワークショップ」のありたい姿を見たと感じ、とても嬉しくなりました。