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「無自覚な言葉づかい」の本当の怖さ

「あの人のコミュニケーションは良くないな」、そう思うときがあります。しかしそれは、話が流暢かどうかではないんですよね。多くは、「偉そう」「攻撃的」な言葉を無自覚に使っていることが原因です。そういう人は、もう圧倒的にコミュニケーションがうまくいかない。そして残念ながら、人生そのものにも苦労してる場合がとても多いのですよね。

「適切な」言葉をきちんと使えるかどうかは、周囲とのコミュニケーションのクオリティ、さらには人間関係にも大きな影響を及ぼすものです。新学期や新しい部署で0からの人間関係が始まるとき、まわりから好意を持たれるか敵意を持たれるかは、言葉の使い方によってかなり左右されてしまいます。

そして、適切な言葉を使える人と使えない人の差は、時間が経過すると共にさらに大きく開きます。そして人間関係が固定される頃には、もう取り返しのつかない状況になってしまうのです。


これは普段の会話でもそうなのですが、たとえばSNSにおけるコミュニケーションなどでも同様ですよね。投稿やコメントなどで、「どういう言葉を選び、使うか」は、人間関係を作る上で極めて重要な要素です。

これは、文章においての方がよりクリティカルです。会話には場の雰囲気もあるし、話された中身は、時間とともにだんだんと過去に流されていきます。しかし、SNSに投稿されたテキストは、(削除しない限りは)ずっとそこに固定されてしまうことになるからです。

テキストだと調子に乗った上での失言だったという言い訳も通用しないし、表情や身振り手振りのボディーランゲージでもフォローできません。そこに記された言葉がすべてです。テキストとして表された言葉だけを手がかりに、自分の人格や姿勢が100%判断されてしまうということですね。


丁寧に選び抜かれた言葉づかいは、相手に「自分は尊重されている」と感じさせ、もてなすことができます。逆に、これをできない人は、いくら「価値の高いコンテンツ」書いたところで、SNSでの交流や人間関係の構築に失敗してしまうことになるでしょう。

言葉のセンスや与える力に無自覚な人は、上から目線、嘲笑、攻撃的表現、そのような表現を平気でやらかしてしまいます。そしてそういう人は、思いのほかたくさんいますよね。実際、見ていてこちらがハラハラしますが。


もしかして当人には、別に相手の気を悪くする意図はないのかもしれません。しかし、オンラインではテキストで表現されたことがすべてです。その「雑さ、稚拙さ」が、人間関係における致命的な失敗をもたらすことになります。自分の書く文章が、そのまま自分のネガティブキャンペーンになってしまっている。書けば書くほど損という状況です。黙っている方が得だろうに... と(大変に失礼ながら)思うこともあります。

これは、「リアル社会で高い地位」にある人ほど要注意です。従順な部下に囲まれて、自分でも気づかないうちに偉そうな振る舞いがデフォルトになってしまう人がいます。そういう環境に甘えてしまうと、それ以上にコミュニケーションスキルが伸びません。別にスキルがなくとも、みんな黙って聞いてくれるからです。

これは、政治家が、メディア対応やなどで失敗してしまうケースにも見られます。普段からの「特権的」の環境から出てしまうと、どこに行っても煙たがられ、嫌われる人になってしまうという悲劇です。


そして、このような問題は、生成AIの利用にも関係するという課題意識を持っています。生成AIは、特に日本語においては、「適切な」単語を選ぶことが(少なくとも現状では)苦手なようです。たしかに一見して丁寧には見えるものの、機械的かつ定型的すぎて、まったく心がこもっていない。機能や目的だけ果たせば良いという無味乾燥なテキストです。だからAIで生成された文章をそのままコピペする人って、丸わかりですよね。

これが怖いのは、文章の受け手からすると、「自分は尊重されていないのだな」と感じてしまうことです。私も、SNSなどでの投稿に対して、明らかに生成AIで出力されたコピペ文をコメントとしてつけられるケースが増えてきました。

使っている方からするとAIを活用して「SNS運用をハック」しているつもりなのでしょうが、少しでも言葉に対するセンスを持っていると、そういうことはできないはずだと思います。やればやるほど、自分にとってマイナスにしかならないからです。



また、少し違う観点からの話ですが、「丁寧に選び抜かれた言葉」は、相手をもてなすことができる一方で必要な場合には逆に相手に大きなダメージを与えることも可能です。それも自分の評価を一切下げることなく。これが、恐ろしいほど強烈なのです。

「適切な言葉づかいは、身を助ける防具にも、敵に立ち向かうための武器にもなる」ということですね。


これは、たとえばSNSにおいて、攻撃的なコメントで絡まれたときの対処にも使えます。文章巧者は、自分への攻撃に対し、冷静に、かつ、一見すると相手に敬意さえ示しているかのような返答を返すことができます。

しかしその実、その選び抜かれた言葉の集合体は、相手にぐうの音も出させないほどの反撃の力を持っているのです。しかもまわりから見ると、それは「ものすごくフェアで丁寧」な表現なので、むしろその人の評価を上げることになります。

適切な言葉を選べない人は、いつも罵り言葉などを多用し、収拾のつかない言葉の応酬にはまり込み、そして自分自身の評判を下げていくものです。言葉の使い方ひとつで、自分の価値は本当に大きく左右されてしまいます。


コミュニケーションの成否を左右する「適切な言葉の使い方」。それはこれから、ますます重要になると思います。SNSでの発信や相互コミュニケーションは、それを習得するために最適な場です。これからも、研究と鍛錬を怠らないようにしようと思っております。

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