社会課題に対して具体的に行動できることがなくたって、「思いを馳せる」ことはできる
SDGsというキーワードも浸透し、社会課題について語られる場面はずいぶん増えてきました。しかし、貧困・格差・戦争・環境といった大きな課題に対して、私たちは何ができるでしょうか?課題が解決されていけば良いと願いながらも、傍観者でしかないと感じる方も少なくないのではないでしょうか?私もそんな一人なのですが、先日アフリカに出張し、社会課題とどう向き合っていけば良いかを考える機会を得たので、今日はそんなお話をしてみたいと思います。
社会課題を語れない
私は、大企業の方々に境界線を越えて成長する機会を提供する「レンタル移籍」という事業を運営しています。2015年に起業をして8年、一人の起業家として、社会的に意義がある事業をやっていると自負しています。この事業に取り組んでいくことで、社会にインパクトを起こしたいと考えています。
「レンタル移籍」を通じて個人や組織の視野が広がり、一人ひとりが良心に基づいて仕事と向き合うことができれば、きっと社会は良くなっていく。そう信じて事業に取り組んでいるんです。
でも、グローバルな課題はとても遠くにあって、自分が社会課題について何かを語るなんておこがましい。このままでいいのだろうか、何ができるのだろうか、と思いながらも、自分自身の両手は塞がっていて、課題の現場に飛び込むこともできない・・・それが正直な感情でした。
ナイロビのスラム街で見た現実
そんな思いを抱きながら、先日、人生で初めてケニア(ナイロビ)に出張をしてきました。きっかけは「アフリカの社会課題解決ビジネスの最前線を体感する」というクロスフィールズさんのプログラムです。
1週間の現地滞在の中で、最も印象的だったのはアフリカ最大のスラム街を訪問したことです。キベラスラムというこのスラム街は、ケニアの首都ナイロビの中心地からすぐそばにあり、約200万人もの人々が暮らすといわれています。
ゴミが散乱し、インフラも整理されず、ぎゅうぎゅうにバラックが立ち並ぶスラム街。一方で、下の写真にあるように、壁一枚を隔てた先には優雅なゴルフ場が広がっていて、まさにこれが格差の象徴であると感じました。
このような現状に直面すると、5年10年といった時間軸で解決される可能性は全くないように感じ、呆然と立ち尽くすしかないといった心境になります。
やはり自分にできることは、ただただ見聞きし、現状を知るだけ。具体的にこれを解決するための手立てやアイディアは一つも浮かばない。これでいいんだろうか、と暗澹たる気持ちを抱きつつ、スラム街にある一つの学校に足を踏み入れました。
スラム街で教育と給食を届ける学校
その学校の名前は、「マゴソスクール」といいます。「マゴソスクール」は、幼稚園から小学校までの子供達に教育を届け、さらには給食まで提供している。
この学校を主宰するのは、ご自身もスラムの出身であるリリアンさんと、日本人の早川千晶さんという方です。
今回の訪問では早川さんから直接、スラムができた歴史的な背景、スラムで暮らす方々の実態、そして「マゴソスクール」のこれまでの軌跡やこれからの挑戦を伺いました。また、そこで学ぶ子どもたちとも交流をさせていただきました。
マゴソスクールの活動については、ぜひホームページなどでご覧いただければと思うのですが、最後に早川さんが「日本に戻ってからも、ここで起こっていることに少しでも思いを馳せてくれれば幸いです」とおっしゃられました。
できることはなくても、思いを馳せていよう
この「思いを馳せる」という言葉が、私のモヤモヤに一筋の光を照らしてくれたように思います。「思いを馳せる」だけで十分とは言えないことは重々わかっています。でもだからと言って、何もできないから何も考えなくていいというのは違う。
「思いを馳せる」、そのことが日常の中にあれば、目の前の行動が少し変わるかもしれない。本当に小さな一歩かもしれないけれど、食事を残さないように気を使ったり、自分の持ち物を大切に扱ったり。
そしてまた、そうやって過ごしていれば自分に何かできることがある時に、反応できるのではないか。そういうアンテナが立っている状態に自分を置いておくことはできる。
その積み重ねによって、少しずつでも世界が良くなるのではないだろうか。むしろ、そんな積み重ねでしか、世界は変わらないのかもしれない。そんなふうに思った次第です。
毎日、仕事をして、食事をして、その繰り返しが私たちにとって当たり前になっています。そして、どう生きるべきか、何を成すべきか、なんてたいそうなことを考えている。でも、それが当たり前じゃない世界がある。本当はそうやって生きたいと願っていても、それが叶わぬ世界がある。そのことに、ときどき思いを馳せて、日々を大切に生きよう。
それが、初めて踏んだアフリカの地で、私が学んだことでした。