「自宅の1階が酒屋だったらいいのに」が実現するまでのパワーポイント。
1年前、とあるお店にこんなパワポ資料を送った。
そして今日、お店がオープンした。
その特異な経緯を、ここに記しておく。
■待ちではなく、攻めのテナントを
そもそも、なぜ自宅の1階をお店にしようと考えたかは以前に書いたが、
こうしたテナント募集は、不動産屋に依頼するのが一般的だ。
募集して、待つ。
申し込みがあったら、どんなお店かを聞いて、入居の判断をする。
この行程が、僕には非効率に思えた。
自分が入ってほしいお店に、自ら出向いた方が早いんじゃないか。効率的じゃないか。
待つのではなく、こちらから攻めよう。
そう考えた。
ただ「自分が入ってほしいお店」と言っても、独りよがりに選ぶわけにはいかない。
今回のテナントが自分にとって、お店にとって、そして街にとって、いい影響を与えなくてはいけない。
土地を買って住む以上、そんな責任がある気がした。
■現代版の角打ちを求めて
まずは自分の視点。
行きつけのお店は近いほうがいい。今回は自分が上に住むわけだから、1番の行きつけにしたい。
ただ、冒頭にもある通り、自宅は木造だから火を使う飲食店は避けたい。
妥当なのは、カフェだろうか。
(でもお酒は飲みたい)
最初はそう考えていた。
次は街の視点。
僕が住む清澄白河は「アートとコーヒーの街」として知られている。
ブルーボトルコーヒーの日本一号店があり、ニュージーランドのオールプレス・エスプレッソもある。最近では表参道で人気のMAMEYAも大型店を出した。
そんな激戦区にまたカフェを出しても、成功するイメージは持てなかったし、近隣だってこれ以上カフェは望んでいないだろう。
そこで考えたのが「角打ちができる酒屋」という業態だ。
「角打ち」とは、酒屋の店内で立ち飲みができるスタイルのこと。コーヒーで言えば、コーヒー豆が買えるカフェのようなものだ。
コンビニにないような「ちょっといいお酒」を買える場所や、サクッと少しだけ飲めるお店が、この街には少なかった。
ちょっと飲めて、ちゃんと買える。
そんな現代版の酒屋を誘致したいと考えるようになった。
■都内の角打ち酒屋廻り
まずは都内で角打ちがある酒屋をリストアップ。休日に1軒ずつ回って飲み歩いた(楽しかった)。
しかしどの酒屋も「清澄白河にお店を出しませんか?」なんて誘いは、空振りに終わりそうな気配がした。
リストの最後は錦糸町の酒屋。
IMADEYA(いまでや)
という名前で、店先にはピカソのようなロゴが飾ってあった。
足を踏み入れると、これまで回った酒屋とはどこか違う雰囲気を感じた。「(お酒を)置いてます」ではなく、酒屋としての意思のようなものを纏ったお店だった。
角打ちで、一推しの黒糖焼酎を飲んで、その日の酒屋巡りを締めた。
ほろ酔いで帰宅して、
IMADEYA
について調べた。
千葉に本店があり、千葉駅、GINZA SIX、錦糸町PARCOと、現在4店舗を展開。
その沿革を見ながら、ここに「清澄白河」が加わる絵が見えた。たいぶ酔っていたのかもしれない。
その勢いでパワポを立ち上げ、8枚の企画書を書いた。
そしてIMADEYAの代表アドレスに送って眠りについた。
2020年8月26日の夜のことだった。
■酒屋の企画の100本ノック
2日後、メールが返ってきた。
聞けば、専務が直々に話を聞くとのこと。
まさかの急展開。
メールを送っても返ってこない。それを何社か繰り返して、ようやく1社会えるかどうか。
正直、そんな展開を予想していた。
9月、意気込んで専務プレゼンに向かったら、急遽社長も同席するとのこと。
プランナーになって14年。社長プレゼンでも緊張することは、ほぼなくなっていたが、この時ばかりは少し緊張した。
社長、専務を交えてじっくり1時間話してわかった。
どうやら先方は土地やコンセプトに興味を持ったわけでもなく「いきなりこんな企画書を送ってくる変なやつ」に興味を持ったようだった。
それから3ヶ月。
専務を中心に、何度もディスカッションを重ねた。
時にはお酒を交えて、激論を交わしたこともあった。
自分の視点、街の視点は整理できたが、IMADEYAにとっての出店の意味。
そこがなかなかハマらなかった。
専務に会う時は、必ず新しいパワポを携えた。
例えば「インスタ映えは大事。でもちゃんと意味がある映えにしたい。」と話した次の機会にはこんなパワポを。
「まだ世に出ていない実験のお酒を置いたらおもしろいかも」と話した次の機会にはこんなパワポを。
「造り手の思いを伝えたい。もはや酒屋じゃなくてもいいかも」となった時には、こんなパワポも出した。
どれもIMADEYAさんの「若い世代にお酒文化を伝えたい」という想いを具現化するために、何度もパワポを出し続けた。
企画100本ノックをやっていた新入社員の頃に戻ったような感覚だった(楽しかった)。
■7.5坪に、はじめの100本
出店の上で、最もネックになっていたは広さだ。
僕が買った土地は13坪程度で、店舗にできるのは7.5坪。
4,000種類ものお酒を扱うIMADEYAさんにとっては狭かった。
「この大きさじゃ100種類くらいしか置けない」
IMADEYAさんは常にこの悩みを抱えていた。
僕も同様に悩んでいた。
しかし結果的に、その悩みが突破口になった。
まず、今回のターゲットであろう学生や20代が多いフォロワーさんたちに、お酒について聞いてみた。
結果は、ほとんどの人が「自分はお酒に詳しくない」と認識していた。
ここで1つ、仮説が生まれる。
4,000種類からお酒を選ぶ行為を楽しめる人って、実は貴重なのでは?
という説だ。
最後のプレゼンのつもりで、こんなスライドをつくった。
創業の地である千葉本店は「お酒のワンダーランド」と言われるほどの種類で、地域のお酒好きに大人気の店舗だ。
そんな本店の創業の写真を見せてもらった時、そこには「万=なんでもある」のマークがあった。
1962年創業のIMADEYA。数々の酒飲みたちがここから巣立っていった。
それから60年後の2021年。再び日本のお酒文化を若者たちに伝えていく場所として、こんなコンセプトを提案した。
「はじめの100本」
いつか万を超える種類のお酒を楽しめるようになるために、最初の100本をIMADEYAさんがセレクションしてもらえませんか?
そう伝えると、専務からは「うん、これだね」と返ってきた。
いまでや清澄白河 〜はじめの100本〜
が誕生した瞬間だった。
最初のプレゼンからは、既に3ヶ月が経過していた。
■守りではなく、攻めの出店を
そして今日、「いまでや 清澄白河」がオープンした。
建設中に酒屋を取り巻く環境はどんどん厳しくなっていったが、IMADEYAさんは出店を取りやめることはしなかった。
むしろ家飲み需要の拡大に合わせて、「はじめの100本」というコンセプトはECにも使うことになった。
守りではなく、攻めに出た。
度重なる緊急事態宣言で、角打ちはオープンできなかったが、ここからまた新しい酒屋の形が生まれていく。
そうなることを、2階から見守っていければと思う。
大家として。