恋とは「孤悲」。ひとり悲しみ、心が張り裂けそうだという意味。
万葉集には恋の歌がたくさんおさめられています。
そして、その中でも「恋」には「孤悲」という当て字がされているものも数多くあります。恋とは「ひとり悲しむ」もの、要するに「片思い」という意味だったのです。
「悲」という漢字も壮絶で、「非+心」で、心が裂けること、胸が裂けるような切ない感じを表します。
「1人で思いつめて、心が張り裂けそうだ」…それが恋というものだったのです。
現代的に考えると、恋とは互いに恋しあい、わくわくして楽しい感情のように思えるかもしれない。「心」の位置が下にあることから「恋とは下心」というものと考えている人もいるかもしれない。
しかし、もともと「恋」とは、男女関係に限らず、モノであれ、過去であれ、目標や理想であれ、自分の手が届かないもどかしさについても「恋=孤悲」と表現しました。なので、もう若くないおじさん・おばさんが昔を懐かしんで「若い頃が良かった…」と感じるのもまさに「(過去への)孤悲」です。
新海誠監督ファンの方ならご存知の「言の葉の庭」という作品がありますが、これのキャッチフレーズは「"愛"よりも昔、"孤悲"のものがたり」というものでした。
旺文社の『古語辞典』には、「恋」について、以下のように書かれています。
【恋】目の前にない、人や事物を慕わしく思うこと。心ひかれ、それを自分のそばにおきたいと思うこと。
まさに、現代のアイドルオタクのアイドルに対する感情と似ていると言えるのではないだろうか。
ちなみに、アイドルオタクは江戸時代からいました。
「孤悲」なのだから、手に入れられることはないのだ、という切なさの反面、どうせ手に入れられないのならという感情も当然ありました。
こんな歌があります。
うつくしと わが思ふ妹は 早も死なぬか
生けりとも われに寄るべしと 人の言はなくに
現代語訳にすると、「いとしいと私の思うあの子、早く死んでくれないものか。生きていたとて、私になびくとは誰も言ってくれないのだから」ということになります。どうせ俺の女にならないなら「死ねばいいのに」と思っていることを歌にしているわけです。
一気に、サスペンスやホラーチックになりますね。
万葉集は、現代でいえば、ツイッターのSNSのようなもので、地域も身分も問わず、匿名性(読み人知らず)で、様々な歌が掲載されています。
中には「ちょっと笑いかけたくらいで自分に気があると勘違いして、寄ってくんじゃねーぞ、タコ! 」みたいな女性から男性に対する歌もあります。
道の辺(へ)の、草深百合(くさふかゆり)の、花笑(ゑ)みに、笑(ゑ)みしがからに、妻と言ふべしや
言ってる内容はツイッターやLINEと変わりません。
冒頭の日経の記事にあった、内田裕也さんが妻の樹木希林さんに送った手紙文にこんなのがあります。
「この野郎、テメェ。でも、本当に心から愛しています」
これも数百年後の未来には、当時の恋の歌として掲載されているのかもしれません。
最後に、「孤悲」は告白なんかしません。しちゃいけないのです。思いも告げずにひたすら忍ぶものです。しかし、それも片思いの相手に恋人ができたら終わりです。諦めましょう。にも関わらず、いつまでも片思いし続ける様を、後世「失孤悲(しつこい)」と申すようになりました(嘘です、ネタです)。