見出し画像

ボルサリーノと在宅勤務の美学【日経COMEMOテーマ企画_遅刻組】

テレワーク時代にスーツは必要か?

久米田康治氏の漫画『かくしごと』の主人公である後藤可久士は漫画家だ。彼は漫画を描くときに緩い服装ではないと創作活動ができず、自宅を出る時は娘の手前スーツ姿なのだが、職場ではTシャツに短パン姿へ着替える。後藤可久士にとってのTシャツに短パン姿は所謂、戦闘服のようなもので、その服装になることでモードが切り替わるのだろう。

後藤可久士のように、服装が仕事に対する姿勢やモラールに影響を与えるという人がいる一方、服装には無頓着だという人もいる。そして、両者のへだたりはテレワークによって、より顕在化しているようだ。

テレワークで誰ともあわなくても、気分がのらないからとスーツ姿やフォーマルな服装でキッチリと固めてくる人もいれば、人と会わないから何でも良いやと部屋着のまま仕事をしている人もいる。大学の講義でも同様で、バッチリとメイクやヘヤースタイルを決めている学生もいれば、寝起き姿のまま講義を受けている学生もいる。ユニフォームが決まっている仕事以外は、服装は個人の裁量の範疇だと考える人も多いだろう。しかし、なぜ仕事と服装に対する価値観が人によってこうも異なるのだろうか。

今回も、日経新聞電子版COMEMOで募集していたテーマ「#会えない時代になぜ装う」を題材にして、テレワーク時代の服装について考えてみたい。

自宅でもスーツはビジネスマナーか?

テレワークと服装というと、少し前に米国で珍事があった。ABCニュースのリポーターが上半身だけスーツで、下半身はスーツパンツを履かずに自宅から中継していたのだ。そして、画面に太ももが映りこんでしまった。このリポーターは、人と会わないから何でも良いや派だったのだろう。

一方で、テレワークでも出社時と同じような服装を強要する職場もあるようだ。現在はテレワーク普及の黎明期ともいえる段階であるためか、ビジネスマナーと称した不思議なローカル・ルールが各地で見られている。

基本的には、テレワーク時の服装に関しては、企業が自社の従業員に臨む在り方を伝えるコミュニケーション手段として、個別にルールを作って行くものだろう。服装に寛容な組織もあれば、厳格な組織があっても良い。

しかし、仕事における服装について、伊藤忠商事の岡藤正弘会長が面白い見方をしている。

日常から感受性を育んでいるか?

伊藤忠商事の岡藤正弘会長は、稀代の経営手腕を持つビジネスリーダーだ。今年、伊藤忠商事の時価総額が三菱商事を超え、初の総合商社トップとなったことは記憶に新しい。同時に、朝方勤務への改革健康経営への取り組みなど、先進的な組織作りを主導し、人材マネジメントの観点からも伊藤忠商事を日本のトップリーダーへと成長させた。

その岡藤会長(インタビュー当時、社長)が、日本のビジネスパーソンの服装に対して疑問を投げかけている。「なんで服に関心ないんやろ」と。

服に関心を持つというのは、なにも高いお金を払って、上等な洋服を買えと言っているわけではない。重要なキーワードとなるのは「感性」である。実は、「感性」は世界的にも注目を集めている用語で、トヨタのカイゼン同様に英語でも "KANSEI" と日本語のまま使われている日本由来の概念だ。学術的な感性の重要性については、以前アップしたコラムを参照いただきたい。

所謂、イノベーションを起こしたと捉えられる新ビジネスや新製品は、顧客やユーザーの心を揺さぶり、驚きとともに市場に登場する。近年だと、iPhoneの登場が市場に及ぼしたインパクトは計り知れないものだった。無駄が排除された洗練されたデザインに誰もが魅了された。日本企業の例では、スズキの軽自動車ハスラーも顧客の感性を刺激するものだった。2013年の初代ハスラーは月間目標販売台数の3倍を超える爆発的ヒットを記録し、「軽クロスオーバー」という新ジャンルを開拓した。

このような、新しい市場を創造する新ビジネスや新製品開発の原動力として、感性が着目されている。そして、この感性を日ごろから磨くことの重要性を岡藤会長は説いている。

服装は感性を磨くのに優れた学習ツールだ。流行やトレンド、自分の個人ブランディングについて考え、コーディネートされた服装は自己表現の良い訓練となる。

それでは、テレワークのとき、私たちはどのように感性を訓練すべきだろうか。1つは、自宅の作業環境を整えることがあるだろう。自分らしさを表現する場として、作業環境を創り上げ、感性を磨いていく。これは会社から作業スペースが与えられるテレワーク以前ではできなかったことだ。

もう1つは、やはりテレワーク中の服装なのだろう。なにも四六時中、気合の入った服装をする必要はないだろう。重要なのは感性のトレーニングだ。自分の個人ブランディングとして場面に応じてコーディネートを変えていく、例えば外部との打ち合わせ時やオンラインイベントの参加時だけなど場面を限定しても良い。

麻の白いスーツとボルサリーノ

「粋」という言葉があるように、日本の文化には世界に誇る美意識が存在する。そこで磨かれる感性は、岡藤会長が述べるように世界と比べて劣ったものではない。しかし、イタリア人のすべてがイケているわけではないように、日本人の誰もが感性を磨き、粋であるわけでもない。そして、引用記事からは、粋な美意識を持ったビジネスパーソンの割合が残念ながら小さいことを嘆いているのがうかがい知れる。

「麻の白いスーツとボルサリーノ」は、浅田次郎の小説によく出る粋な男性の代名詞ともいえる小道具だ。オーダーメイドで誂えた、糊がきいた染み一つない白いスーツを着こなすのは簡単ではなく、高い美意識を持っていないとできない。

在宅勤務だからと気を抜き、感性を磨くことを怠ってはいけない。「麻の白いスーツとボルサリーノ」のような、自分をブランディグするための小道具をテレワークであっても持つべきだろう。そうやって磨かれた感性から、世の中を驚かせ、ワクワクさせる新しい何かが生まれてくるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?