文学の研究者が10億円調達したスタートアップの外部顧問に就任した件
若干あおり気味のタイトル、すんません。でも嘘は一言も言ってなくて、本日PRが出されました。
そして10億円というのもほんと。10億て。桁数。
というわけで、カメラ界隈の皆さんには既にもうそのサービスは浸透し始めているカメラサブスクサービスGOOPASS、そのコミュニケーションアドバイザーとして、同じくエクスペリエンスアドバイザーを担うGo Ando氏(Twitter: @goando)と一緒に、アドバイザリーチームに就任することになりました。
(↑星空の下で未来を語る新規アドバイザリーチームの二人)
で、ですね。問題は、僕ですよ。安藤さんはもちろん、泣く子も黙る超絶デザイナー&エンジニア集団THE GUILDの共同創業者であり、顧問された企業は数知れず、デザインの根幹のところから企業のブランドを作り上げていく達人なわけで、顧問契約も当たり前っちゃー当たり前です。直近では自らの会社PREDUCTSを立ち上げ、業界を驚愕させるクリエイティブなデスクを発表&販売開始されました。
とにかく凄腕だし、クラフトマンシップに裏打ちされた、信頼のおける戦略を練られるんです。そら引っ張りダコになりますわ。
(↑鋭い目で戦略を練りつつ天の川を撮る安藤氏)
一方の僕ですよ、問題は。元々文学研究者です。一応、世間的にはフォトグラファーとかクリエイターみたいな顔で認識してもらってる可能性が高いんですが、心はいつまでも文学研究者。この肩書きは捨てられない夢みたいなもんです。どんだけ裏切られたとしても僕の夢と希望が詰まっちゃってるんです。長渕剛にとっての「死にたいくらいに憧れた花の都大東京」みたいなもんですよ。愛憎半ばしてるんです。ウォーウォーウォー。
でもその肩書き、平たく言っちゃうと、10億円を資金調達しちゃうような野心的なスタートアップの顧問するような、そういうアレじゃないんです。例えるなら、羊が虎の集団率いるようなもん。一匹の虎に率いられる羊の集団は百戦百勝って、確か諸葛孔明とか孫子あたりが言ってたと思うんですが、その逆。虎の集団を、戦い方も知らない軟弱な羊が率いる。負けたいんか。
でもね、でもですね。自分で言うのもなんだけど、GOOPASS、いいところに目をつけたと思うんです。そう、2020年代って、虎が虎を率いて市場を食い荒らすようなレッドオーシャンな企業のあり方って、持続可能性こそ問われるSDGsがメインテーマの21世紀においてはもはや時代遅れです。虎がトラトラしてたらあかんのです。
そのような時代にあっては、僕みたいな弱い「羊」を入れることは、必然になる。なぜか。羊は戦えないんです。でも、戦えないからこそ、戦わずに生きる道を探ることに長けている。これ大事、超大事。
「戦わない道」とは何か?もちろん、僕の就いた役職を見れば自ずと言いたいことは伝わりますよね。そう、コミュニケーション。コミュニケーションってのは、人と人、人とモノ、「間」を見つけて繋ぐ行為のことです。そうしたコミュニケーション活動によって、これまで意識されていなかった「間」が可視化され、結果として、そこに新たな価値を生み出すことができるんですね。
今後、僕がいるクリエイティブ業界、特にカメラ/写真業界は「コミュニケーション業界」へと変貌していきます。これは予測というよりも確定事項、というよりも、すでにスマートフォンのカメラが、絶賛その道を一気に切り拓いちゃいました。
過去を振り返ると、スタンドアロンのカメラはかつて皆が憧れる「モノ」でしたが、もはや「モノ」の魅力だけでは衰退していく未来しか見えません。そしてそのような状況は、カメラ業界だけに留まらないんです。およそ人間の生活に必要なプロダクトを作る企業は、今後プロダクトやサービスと並んで、「コミュニケーション戦略」が、会社の成長と命運を決めるようになっていきます。
その理由は一つ、「世界全体がコモディティになっているから」です。市場は常に、高品質なコモディティ(代替品)で溢れかえり、そんな中では「モノの魅力」を維持するのは極めて難しくなりました。だからこれからの企業は「作ったら終わり」ではなく、コミュニケーションで差異を生み出し続けなくてはいけない。
このような状況を迎える20年代にあっては、全ての企業がコミュニケーションを意識した役職を作るようになるでしょう。GOOPASSはそのことを意識して動き出した、極めてコミュニケーションに意識的な企業だということなんです。ほら、GOOPASS、なんだか良さそうでしょ?
GOOPASSがいかに今回のリブランディングに真剣に取り組んでいるのかは、以下の記事を読んでいただいたら全てわかります。エクスペリエンスアドバイザーの安藤さんの記事。最高にスマートで、根底がアツくて、しかもほんのりユーモアもあって、お手本のような記事。ぜひ読んでほしいです。
今日の言いたいことはこれで終了。あとはまあ、細かいことですよ。でもよかったら続きも読んでみてくださいな。そこそこいいこと書いてます、多分。
(1)世界のコモディティ化とその果てにあるもの
本論まで読んでくださる心優しき皆さん、改めてこんにちは。コミュニケーションアドバイザーの別所です。肩書きかっこええ... ちなみに僕これで四足の草鞋になりました。文学研究者、フォトグラファー、ライター、コミュニケーションアドバイザー。やばい、肩書きコレクターになりつつある。
ま、それはさておき、問題は「世界のコモディティ化」っすよ。これは21世紀の大問題の一つです。この問題に関して、僕はこれまで何度も何度も同じ内容を、違う言い方で書いてきました。こんな感じです。
コモディティに親でも殺されたんかっていうレベルでしつこい。でもまあ、それだけ大問題なんですって、ほんまに。
で、本日は「就任演説」なので、このクソムズ問題の核心を、可能な限り短く文章にまとめたい。これまで書いてきたことをめちゃくちゃ端折って書きますね。一言で言います。
2020年代の10年を通じて、世界は全部、モノもサービスも情報もクリエイティブも、そして人間さえも、市場においてはコモディティになる。
みじかっ!これまで10万字くらい費やした意味よ。まあでも核心はほんとに上の二行で終わりです。で、この世界のコモディティ化ですが、逃れられる対象は市場にひとつもありません。残酷ですが、資本主義が続く限り、そしてネットワークが高速大容量であり続ける限り、この運命から逃れる術はないんです。
あらゆる情報が高速に駆け巡る中で、モノやサービスの市場価値を独占的に担保する策はひとつもありません。すべてはコモディティ化して、市場には「代替品」が溢れかえる世界になる。
今そんな小難しいことを書きながら、ちょっと懐かしい、コモディティの先祖のような現象を思い出しました。ビックリマンシールです。
80年代の後半、ビックリマンと呼ばれるシールが我々子どもの世界を席巻したことがありました。小学生全員がお菓子に入ってるシールを集めるのに血眼になって社会現象にまでなったんです。いろいろ問題が起きて、例えばシールだけとって、チョコ食えなくて捨てるみたいな。80年代、もはや存在自体が反SDGsですね。
で、そのビックリマンで狂乱していた世界に、突如「オドロキマンシール」ってのが出たんです。ビックリマンでさえオドロキを禁じ得ないですね、って誰がうまいこといえと。それはさておき、これぞまさに「コモディティ(代替品)」の元祖。
でもあの時代、まだコモディティ(代替品)は、生まれたてのカンガルーのように無害でした。だってオドロキマンですよ。誰がビックリマンの代わりに買うねんな、代替品にさえなりませんわ。せいぜい孫にビックリマン買うの頼まれたおじいちゃんが、間違って買っちゃうくらいしか見込み無いやん。微笑ましいですね。
あれから40年。コモディティはかつてのような無害な顔つきをやめ、今やホオジロザメくらいに凶悪な勢いで、全ての海を赤く染め上げるようになりました。
でも、この状況、実は消費者目線では幸福極まりないのです、だって、40年前だったら高品質なモノが高額だった世界しかありませんでした。それ以外は「安かろう、悪かろう」です。でも今は、ある程度高品質な製品が比較的お値打ちな値段ですぐに循環する社会が到来しました。例えばカメラ界隈で見てみると、昔は高品質な三脚なんて10万超えてましたが、今やほぼ同じクオリティの三脚が2万円で買えちゃいます。ビックリマンの代わりがオドロキマンという、そんな微笑ましい世界はもはや滅びたんです。
もちろん、10万を超えオリジナルの方が細部の作り込みは上です、それは当たり前。でも細かい部分に目をつぶれば、2万円の三脚でも機能的にはほぼ同じことができちゃう。となると、大半の人は2万円の三脚を選びますよね。当然です。消費者目線では、現代は天国みたいな時代です。
でも企業にとってはこの状況は地獄です。自分達が必死に作った物やサービスの全ては、後発の企業に一瞬で真似され、しかも品質にも差のない物を作られて、過当競争に追いやられるから。しかも凄まじいスピードで、です。
(↑古き良き時代の質実剛健極まりない16万円の三脚で天の川を撮ってる筆者)
(2)「物語という棹」をさせ!
そんな「世界のコモディティ化」と言う状況において、企業、特にこれから事業を拡大していこうと言うスタートアップ企業にとって最も大事なことは、そのプロダクトやサービスが他と違うストーリーを持ったものとして、消費者に「差異」を明確に認知してもらうこと。その行為は、高速で流れ続ける情報の大河に、いわば寄港地を作るようなものです。
夏目漱石は言いました、「情に棹させば流される」。この一文は「とかくこの世は生きにくい」と続く、この世の世知辛さを嘆いた一節ですが、現代においては「コモディティに情をさせば流されない」、とでも言い換えることができそうです。夏目漱石の名文に比べるとリズムもへったくれもないのはご愛嬌。
さて、この場合の「情」とは、ストーリーです。2020年代の企業がやらねばならぬことは、この情報渦巻く市場の流れに独自のストーリーをブッ刺すことです。コモディティの荒波が全てを押し流す場所において。いわばそれは、世界の中心で愛を叫ぶようなものです(これ、コッソリ伏線ですよ。後でもう一回この話出てくるので覚えといてください)
そうした振る舞いが極めてうまいのが、アメリカの名だたるトップ企業です。筆頭がApple。コモディティの王者でありながら、彼らの製品が他のスマートフォンと何か違うオーラを放っている理由は、たったひとつ、彼らが注意深く、とても大事に「iPhoneという物語」をブランドの核心に据えているからです。モノとしての性能は既に後発のスマートフォンと大した違いはないし、そのオーラも少しずつ褪せてきている気もしますが、それでも今はまだiPhoneがスマートフォンの象徴のように扱われるのは、スティーブ・ジョブズがかつて描いた壮大な夢、人類の未来を射程に含めた「夢物語」を、今のAppleが継承しているからなんです。
そのような「夢」をプロダクトの核心に物語として落とし込み、それを消費者に伝える「コミュニケーション」こそが、今後の企業にとっては最も大事な役割になっていきます。プロダクトやサービスと、それを受ける「人」との間、あるいはそのプロダクトを使う「人と人」の間にあるつながりを可視化するための寄港地を作り出していくんです。それがコミュニケーションの役割だし、そこに「市場価値」が生まれる時代になったんですね。
(3)文学研究者というお金を稼げない「羊」が、スタートアップの成長に必要な理由
そう、だから僕が呼ばれたんです、文学研究者。物語とストーリーテリングを分析する、世界にあまり役に立つようには見えない「羊」。この文学にこだわってきた「羊」は、奇遇なことにカメラもやっていました。最初は食い合わせが悪いなあと僕自身が思っていた「写真」と「言葉」、今となってはちょうどいい経歴になった気がします。
この「文学と写真が好きな羊」である僕がやることは、GOOPASSが、今まさに急成長の入り口に立とうというこのタイミングで、会社の存在やメッセージ、そしてその意義をみなさんにお伝えすることです。まさに、コミュニケーションですね。これが、文学という、一見すると経済からはいささか遠い分野を研究していた僕が、今回、「虎の集団」に呼ばれた理由です。
そしてコミュニケーションアドバイザーとしての僕の使命は、具体的には次の2つです。
(1)GOOPASSの「物語」を外部に伝えること
(2)カメラを使うユーザー、あるいはカメラを扱う企業、それぞれの間の「物語」を可視化して、そこに新しい「価値」があることを明確化し、過当競争ではなく協業とシナジーを生み出す手伝いをすること
そう、コモティディの荒波を避けるためには、プロダクト以外の場所に「新しい価値」を見出していかなくてはいけないんです。というのは、現在カメラ業界は規模を縮小しながら過当競争に陥っています。半導体不足もあって「モノ」としてのカメラの売上は、今度も減少傾向が続くことが予想されます。
一見絶望的な状況ですが、実はそんなこともないんですね。だって、今ほど人の生活に「写真」が組み込まれた時代は、他になかったんですから。見方を変えたら、できることだらけ。希望は常に絶望の向こう、未来に生まれるもんです。
そんな時代の転換期である今、カメラと写真は、人々の「思い」や「記憶」を他者へと届けるコミュニケーションを担う存在へと変貌していきます。というより、写真をコミュニケーションの主要な手段の一つと捉えている若い世代にとって、「カメラ」や「写真」はもはや人生に必須の大事な媒体です。
GOOPASSは、まさに人々のコミュニケーションを媒介するカメラを、より身近に手に取れるよう、「サブスク」という形態を通じて届けています。機材の高騰化によって二分化してしまった業界構造を転換していき、美しい瞬間、心動かされる記憶をより美しく未来へと残したいと願う人たちに寄り添う企業として、社会に貢献しようとしています。
さらには、「写真/カメラ」を人と人の間のコミュニケーションを媒介するサービスとして捉え直すことで、潜在的な利益領域を新たに生み出す試みを始めようとしています。
このようなGOOPASSの未来への目線は、実は僕が個人的にずっとやろうとしてきたことでした。
(4)獣道を見つけること、個人的な信念
今回のアドバイザリーチームへの参加は、最初の方に「羊が虎を率いる」なんて書きましたが、実際にはGOOPASSの皆さんと一緒に、これまで大規模には探索されていなかった道を探る試みになります。それは僕が「獣道を歩く」という言い方でこれまで個人的に試みてきたことでした。
その試みに、巨大な資金を獲得して、今からいよいよ成長を加速しようという、極めて新しく若い会社が一緒に歩いて新しい領域を切り開こうと声をかけてくださったことで、実社会に直接関わる大きなスケールで、様々なチャレンジを企画できるはずです。
そしてより大事なことは、この輪をさらに大きくしていきたいんです。
小さなパイを互いに食い合うレッドオーシャンのカメラ世界ではなく、シナジー効果で創発的な利益領域を生み出すことのできる、未来思考の「写真/カメラ」の世界を目指すという、壮大な試み。文学世界だけでも、カメラや写真だけでもできなかったことを、多くの人たちと一緒に目指していきたいんです。
そうした壮大な「夢物語」を共有できる企業やクリエイターのみなさん、ぜひご連絡ください。カメラや写真、ビジュアルクリエイティブ分野だけではなく、様々な業種の皆さんと、未来を切り拓いて行きたい。おもろいことやりましょう。
最後に、ここから超個人的な信念を書かせてください。長い文章、ここまで付き合ってくださってありがとうございます。
=*=
現在世界は、大変な危機に直面しています。全ての人々がこの事態の推移を固唾を飲んで見守っています。こんな状況だからこそ、改めて平和な世界の大切さが浮き彫りになりましたし、その根幹には普遍的な愛と、それを伝えるコミュニケーションが必要であることもよくわかりました。コミュニケーションって、本当に大事なんです。
そしてGOOPASSは、上にちょっとフラグ建てときましたが、「カメラ + ラブ = カメラブ」を社名として掲げる会社として始まりました。写真を撮ると言う行為の根幹には、世界への興味や関心、人への気遣いや愛、壮大な風景への憧憬と感謝、人間がこの世界に生きる意味を刻印する行為が横たわっています。それはまさに、シャッターを切る一回一回、今生きるこの世界へのささやかな愛を叫ぶ行為であるはず。今このような状況だからこそ、僕らは今まさに苦しんでいる人々への連帯の意識を持ちつつ、自らの愛を再確認する必要があると考えます。
(5)追記 : かつて海に沈んだ一隻の船とその未来
上の画像と、キービジュアルのトップ画像は、和歌山の最南端、串本町にあるトルコ記念館で撮影してきたものです。今回のPRを出すにあたって、カメラの機材を扱う会社なんだから、最高の機材で撮れる写真を準備しようってんで、安藤さんと一緒に撮影してきました、大人二人で徹夜で。集合23時、解散9時。ノンストップのエクストリーム戦略会議。
本州屈指の暗い空で、天の川をバッチリ撮れる場所なんですが、ここを選んだのもまた「コミュニケーション」と、そして「愛」を考えたからです。ここに写ってる銅像は、ご存じの人も多いかと思いますが、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの像です。なんで和歌山の最南端にトルコの記念館があるのか。これもまたご存じの人が多いと思うんですが、130年ほど前にこの串本町の沖でトルコ国籍のエルトゥールル号が遭難しました。その時にこの地域の人たちがトルコを助けたことが、いまだにトルコの人たちが日本に対して好意的である理由だとされています。
ね、今回にふさわしい撮影場所でしょ?どんなに過酷な状況からでも、コミュニケーションがあれば未来につながるんすよ。
それに天の川えぐいし。
最後に、今回のこの超チルなリブランディングを実現しちゃったGOOPASS社長 高坂さんの記事をご紹介しますね。上まで全部読んだら、ぜひ社長の言葉、読んであげてください。これ社長が書けるって素敵っすよ。だから僕を呼んでくれたんやなーってわかりましたもん。ぜひ。
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