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私と安倍総理、総理45歳からのおもひで〜ナイスボーイの時代の終焉〜


安倍総理との思い出

安倍総理に会ったのは、安倍総理が副官房長官だった2000年の頃。
第2次森内閣、中川官房長官だった。

孫社長と技術顧問の先生と一緒に、ヤフーBB関係の規制緩和の相談に官邸に会いに行った。
安倍総理。当時まだ45才、孫社長も43才、僕が31才だったかと思う。

「(中川)官房長官も、時間があれば少し顔出すと仰ってます」という話を繰り返し、それまで代わりに話を聞いておきますという感じだった。
45歳の官房副長官というのは、実際に大した権限などないのかもしれないと感じていた。
孫社長も「これでは、、」と思ったのか、
「この話は、誰に相談すれば良いですかね?」と聞き直し、
「やはり野中さん、、ですかね。。」と答えていらした。

正直な第一印象は、甚だ僭越ながら

「生真面目な青年のような印象、線が細い…」

選挙で鍛えられてきた政治家は、それまでの印象は良くなくても会って話すと引き込まれてしまいファンになってしまう、そういう人たらしが多い。印象は、全く逆だった。

昭和の妖怪岸信介の孫という片鱗は全くなかった。

2度目にお会いしたのは、18年後安倍総理東欧6ヶ国訪問の経済ミッション。
6ヶ国を7日で外遊する強行スケジュールの外遊に、経済ミッションのメンバーとして同行させて頂く機会があった。

3期目の長期政権の宰相としての風格を備え落ち着いていた。

朝、エストニアで朝食を食べて、昼、ラトビアで午餐会、夜はリトアニアで晩餐会という日もあった。

午前は政治日程、午後は経済ミッション、夜は晩餐会、数百人が全員が分刻みで移動する。
これを毎日毎晩繰り返す。自由時間などない。

経済ミッションのメンバーも先方の政府主催の晩餐会に参加しテーブルは違っても一緒の空間を伴にする。
総理をみると、食事の間、毎回相手国の首脳と通訳を入れずにしっかりと話し込んでいた。

小国のトップとでも、こうして生真面目に関係性を築いていくのが安倍外交か、とその公務に誠実な姿勢に感心した覚えがある。

経済ミッションメンバーは、分担で政府代表としてプレゼンテーションする。その時に、総理直々に相手政府に紹介してもらう。

いよいよ私の時が来たが、総理は何故か
「ヤスカワシンイチロウ」という私の名前を「ヤスカワシンタロウ」を読み間違えた。人生で一国の総理に国の政府代表として名前を呼んでもらう機会はなかなかない。

残念だったので最終日の打ち上げでその出来事を総理に指摘すると、

「ハハハ、オヤジの名前と間違えたんだな♡」

と軽く上機嫌でおっしゃってた。(おいw)

安倍政権の総括

安倍総理の退任後、安倍政権7年8ヶ月の総括、次の総理総裁に向けての動きなど、連日報道が続いている。

政治評論家でも政治経験がある訳でもないが、一国民として、安倍政権とは何だったのか、「構造を文脈」を俯瞰して大きな流れで考えてみたい。

安倍政権の3つの特徴〜「党内融和と政治的安定」、「永田町と霞が関の融合」、「長期政権としての外交力」〜

ニュースでもあまり触れず、2回に渡る長期政権だったので若い人には第1次安倍政権誕生の頃の記憶はないかもしれない。
既に多くの人が忘れていると思うが、安倍政権の基本的性格は、第1次安倍政権誕生前後の、

郵政造反議員の復党公務員改革国交正常化以来最悪と言われていた日中関係

あたりに起因しているように思える。

① 党内融和と政治的安定

安倍総理は、小泉政権の中核メンバーとして小泉総理の政治手法の負の部分をみてきた。
自民党を改革派と抵抗勢力の2つに割り、徹底的に敵を国民の敵として攻撃する。

劇場型手法は国民には喝采をあびるが、自民党内の対立と混乱を招いた。

就任後早々に安倍総理は、郵政解散で造反した自民党の政治家を復党させる。

安倍総理は復党した11人に対して「おかえりなさい」と言葉をかけたが、この復党によって、就任当初は70%近くあった安倍内閣支持率が50%台に急落した。

直前の国政選挙の結果によらず、自民党内の派閥間の競争を避け、党内融和を図る。
その姿勢が、古い自民党への逆行と国民から捉えられ、健康問題もあって突然の辞任。

その後の不安定な福田、麻生の短命内閣、民主党への政権交代へと政治的混乱が続く。

その反省からか、第2次安倍政権では、とにかく与党の「数の論理」とそれによる政治の安定、並びにメディアコントロールによる与党自民党全体のブランディング強化に努めた。

日本会議的な保守系支持者からは一部見放されるほどタカ派の主張は封印し、「働き方改革」「女性活躍」「アベノミクス」「雇用と賃金」等、選挙で国民に広く訴求する政策を並べる調整型政治に徹し長期安定を築いた。

海外のミレニアル世代はサンダーズ支持などリベラル急進派が多いが、日本は何故か若者も安倍政権を支持し政権の安定に繋がった。

党内融和優先で派閥間競争は抑制し、反安倍とみると徹底的に人事などで干す。

国民から見ると強い印象のない安倍政権が、永田町では「安倍一強」となる理由がこのあたりにある。

② 永田町と霞が関の融合

第1次安倍政権が、正面突破しようとしていた政策の一つが公務員制度改革と記憶している。
官僚機構の疲弊や劣化、若手の退職が続く今となっては想像もつかないが、当時霞が関の権力構造は盤石で、その組織の天下り問題にメスを入れた自民党政権は初めてではなかったかと思う。
結局、官僚の自爆テロに近い「消えた年金問題」や、官僚リークによるスキャンダルによる政府審議委員の辞任等、官僚機構の徹底的な抵抗にあって、第1次安倍政権は空中分解している。

第2次安倍政権は、その反省から内閣人事局を作り高級官僚の人事を官邸が掌握し、また「官邸官僚」なる専任官僚も強化した。

官邸と従来の天下国家型役人の対立が先鋭化した最後が、加計学園の許認可に対する「前川の乱」だろう。個人的には、戦略特区での獣医学部新設に自体に問題はあると思えない。医師もそうだが獣医の数が増えると競争が増えると「新設を一切認めない」文部行政の方がいびつだと思うし、獣医でなくても動物生理学の分野は、新薬開発の治験の効率化等、今後必要とされる学問領域だ。それはさておき、許認可という役所の究極の権限に手を突っ込まれた「正当派霞が関官僚」は憤り、官邸vs霞が関の最後の泥沼の戦いとなった。(詳しくは記事を)前川さんを知る人は皆素晴らしい人だという。

「すまじきものは宮仕え」、「立身出世」が役人の本分なことは平安藤原貴族の頃から同じこと。

対立すると徹底的に干される事を認識した役人はその後、勝手な忖度したり、資料改竄したり、元々本来「不慣れな」行動を起こし、むしろ安倍政権のアキレス腱となる

「処遇を見せられ、上ばかりを見る『ヒラメ』が増えた。行政の中立性や使命感が薄れたと思う。
 「政治の要求を下請け作業的に進めるだけになっていないか」。文部科学省の局長経験者はいまの霞が関をそう評する。「官僚が政治におもねることは昔もあった。ただ、近年は『全体の奉仕者』の精神を失ってきていると感じる」

モリカケ、加計学園等は、総理自身が私心で行ったこととは思えない。
奥さんの人脈管理の脇の甘さや、友人として戦略特区に逆に協力してもらった程度だと思う。そこを政策論争能力のない野党が問題化し徹底追及しているあたりが真相だと思う。
桜を見る会も、国民目線では、コロナで吹っ飛ぶようなどうでも良い話。

問題は、官邸を向いた一部の官僚が、(泣く泣く?)公文書を書き換えたり、議事録を取らなくなったりと行政官の基本中の基本の行動原理が歪んだこと。

そして逆に、それらが安倍政権の信頼を失墜させ、追い詰めることになる。

最近では、アビガンの厚労省の承認問題。日本の薬で、当時有効性があると安倍総理自身が前のめりで、イランへの無償提供まで申し出ているが、副作用リスクが払拭できず、効果も検証できず宙に浮いている。
これなどは、厚労省の技官や科学者等が官邸の圧力から踏みとどまった良いケースだろう。

イージスアショアの突然の河野大臣の見直し発言も、トランプ政権との関係を重視して武器購入を優先したい官邸と防衛省官僚のせめぎあいだ。

縦割りの弊害や、省益を超えた国益的見地からの総理の政治主導は本来、望ましい。

「働き方改革」「女性活躍」「アベノミクス」「プレミアムフライデー」、、、ふわっとしたビジョンや人間関係重視の指示だけでは、各省庁の担当分野における責任感と矜持に勝てない。


官邸主導の制度が悪かったわけではなく、おそらく総理の世界観、官邸側の政策立案能力とマンパワーにまだまだ限界があったのだと思う。「アベノマスク」、「うちで踊ろう動画」はある種の象徴だった。国民が憤ったのは各施策の内容ではなく危機における総理の対策の優先順位が間違って発信された事だったと思う。

日本の最高のシンクタンク、城山三郎「官僚の夏」に描かれた官僚機構は、安倍政権下で徐々にかつての政策立案能力が低下していったように感じる。

 役所のいいところを潰してしまいました。今の霞が関の雰囲気はこうです。国民のためではなく政権に言われたことをやる。


③ 長期政権としての外交力

国交正常化以来最悪と言われていた日中関係、日本と中国が拮抗して鋭く対立していたことなど、今の習近平中国の世界における圧倒的な存在感のもとでは、遠い記憶だ。

安倍総理は、最初の外遊先として中国を選んだ時、とての良い外交センスだと思った記憶がある。


小泉政権を第1次政権で引き継いだ安倍首相は、小泉首相時代に冷え込んだ日中関係の「氷を溶かす旅」として2006年10月、初外遊先として中国を訪問。胡錦涛国家主席と8年ぶりの日中首脳共同文書「戦略的互恵関係」を締結した。


北方領土問題についても、「政治は結果だ」とはいっても、最も解決に近づいたことは確かだと思う。プーチンは、これまで中国との国境問題を含め、国境画定を複数成功させている。この時が両国が返還交渉で過去最大に近づいた瞬間だと思う。


「不法占拠された日本固有の領土」という日本政府の公式見解を訂正しないと戦勝国であるロシア国内での議論は進めないとの主張は、ロシア側の「意味の場」に立場にたつと正論であり、ここが唯一の妥協点だったと思う。

戦勝国が70年以上実効支配している場所を、交渉で返還させるのは並大抵のことではない。

ロシアの国内世論を説得するには、戦勝国間の協定で得た対日参戦の報奨として「割譲」された島の一部を、経済協力と引き換えにロシア国民が寛容にも日本にプレゼントするという立て付けでないと、国内を説得できない。

世界各国でポピュリズムを中心にした国家主義が跋扈跳梁し始め、プーチンの支持率も落ち始めロシア側も「国民固有の領土」の引き渡しに応じることはできなくなった。おそらく今後、決して解決することはないだろう。

国内に反対の多かったアメリカとの「集団的」安全保障の日米同盟も、「世界の警察官」を止めると宣言しだした米軍を実際上引き止めるためには、最低限、片務的な関係を双務関係に変更する現実的な必要性があった。
そしてその上で、沖縄の基地問題の根本にある「地位協定」のドイツ等と同様の改訂に乗り出すつもりだったようだ。安全保障を日米同盟に頼る枠組みを変えない中では「集団的安全保障」に変更し日米同盟を維持した事は安倍政権のレガシーだ思う。

評価は別れるが日米同盟に関して、今後日本から積極的に仕掛けることができる首相が出るとは思えない。

対ロシアでも経済協力の実だけ取られて結果は伴わなかった、米国に対しても相手の望む集団的安全保障への改定は実現しつつも地位協定の改訂には至らなかった。個人的な信頼関係を築けることは、首脳外交として重要な要素だ。ただ、結局、交渉の最も厳しいところでは、勝てない。相手にとってシンゾーは良いやつだで終わってしまう。

これらを安倍外交は成果がなかったとみるか、首脳同士の信頼関係から、成果に限りなく近づいた政権とみるか。

憎めないナイスボーイ〜一つの時代の終焉〜

真面目で、几帳面で、ユーモアと華があり自分の役割を実直にこなす好青年。狭い人間関係を大切にし、自分の敵とみなすと冷たく突き放す。

人生経験が政治の世界に偏っていて世界観は狭いが、自分自身に嘘はないから、言葉はまっすぐで憎めない。

「任命責任は自分にある、責任は問われる。」「しっかりと」「着実に」「一歩一歩前進」「政治は結果責任」

言葉に嘘はない。ただ実際に、何かの責任を取ったことがないから、どうすることなのかが本人も具体的にわからない。

サラブレッドとして若くして政界に入り、大臣の実務も経験せず、結局ご本人にとっては無念極まりないと思うが、2度とも何かの責任を取る形でなく体調不良で政権から退く。

競争よりも融和、成長より安心安全、世界観/大義/ビジョンよりも身内の人間関係、何かできるはずなのに行動に移さず、美しい言葉だけが並ぶ。

安倍総理にみたものは若者も含めた最近の日本人の投影かもしれない。

安倍総理を懐かしむ時がこれからも時々来るとように思う。

政治家があんな感じで、済んでた時代があったね。日本もまだまだ豊かで余裕があったね。

お疲れ様、と言いたくなる存在。
でも、何にお疲れ様?なのかというとよく見えない。

そういう意味で日本的。

「そんな事言うなよ、何に、とははっきり言えないけど、色々頑張ったんだから、とにかく...」

総理、7年8カ月、本当にお疲れ様でした。


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