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#風呂キャンセル界隈について考えたこと


新たなインサイト発掘装置「#」

2024年、「#風呂キャンセル」という#がSNSで盛り上がりを見せました。

「日経MJ」には「浴槽キャンセル界隈」という言葉も登場して、ゆっくり風呂につかるよりシャワーだけで十分という人が増えてきていることを伝えています。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC212810R21C24A1000000/

ハッシュタグ「#風呂キャンセル」には、「風呂に入るの面倒くさい」、「毎日風呂に入る必要ないのでは」と日々薄々思っていた人がワラワラと集まってきて、「実は自分もそう思ってた」という心境の吐露が行われました。

この状況を見て、「#」は新たな社会の潜在的欲望、つまりインサイトを顕在化するポテンシャルがあると感じました。

山口百恵からVERYへの風呂キャンセル界隈の歴史

そして、あることを思い出しました。
TBSの「ザ・ベストテン」の山口百恵出演シーンを全て集めたDVDを一気見したことがあります。山口百恵の引退にショックを受けて、山口百恵の曲の名前をつけた仙台の暴走族〈美・サイレント〉が解散式を行ったという「河北新報」の記事を久米宏が読み上げたり、このDVD映像は昭和の世相を知る第一級資料でもあるのですが、その中に久米宏が「百恵ちゃんは毎日髪を洗っているんですよね」と山口百恵のデビューのちょっとあとに彼女を紹介する映像が残っているんです。
つまり、70年代で日本の家庭で毎日髪を洗う人はレアだったということだったってことなんですね。その後、風呂付きの住宅が増え銭湯に行くのではなく家で入浴する人が増え、ヘアケア製品のマーケティングが進み、身だしなみに気を使ったり、清潔感に対する意識が高まり多くの人たちがお風呂に入ることが日々の当たり前になっていったんだなと気づきました。
90年代になると「丁寧な暮らし嗜好」や「癒し」ブームもあり、入浴時間がさらに注目されていったのではないかと思います。

そんな状況の中で21世紀になって、もともと風呂嫌いの人や、日々いそがしい人の中には、毎日風呂に入るなんてなんでだろう?という人もいたんでしょうね。それが「#風呂キャンセル」という「#」によって、一気に顕在化したのではないでしょうか。

ちなみに、いまから2年前の2022年30代子育て女性をターゲットにした「VERY」誌面で「かまへん」という言葉が読者の共感を集めたことがあります。働きつつ、子育てするいそがしい読者に、そんなに張り切らなくてもいいじゃないかという編集部からのメッセージです。
そのページには「いまの時代頑張りすぎず、適当なママくらいがちょうどいい あなたに伝えたい そんなの かまへん! かまへん!」というキャッチが。たとえば、吉野家の前で撮影されたモデルに「ごはんを作りたくない日は、吉野家へ。牛皿買って夕ご飯。そんな夜があったって かまへん」なんてページがあったりしたのですが、その隣に「髪洗ってないの二日目、今日はお団子で乗り切っちゃう。髪の毛てきとうだってかまへん!」というページが。すでに、2年前に、いそがしくてお風呂とか丁寧に入っていられないのよ!という気持ち、#風呂キャンセルカルチャーの萌芽がここに見て取れます。

#が嗜好性を束ねる磁石へ

「#」はもともと、アイドルやアニメの名前など好きなもののジャンルなど固有名詞でファンを束ねることが多かったのですが、「風呂に入るの面倒くさい」や、「酔っ払ったら歩いて帰る」などある種の嗜好性を束ねる磁石として使われるようになりました。それによって、いままで顕在化しなかったインサイトを顕在化する装置になってきたんだと思います。

そして、SNSのアルゴリズムは多くの人が集まる「#」のある投稿を上位表示するように設定されていますし、人気の「#」が注目ワードとして表示されます。これは、ある意味、インサイトがアルゴリズムによってブーストされている状況だといえます。

「風呂キャンセル」は、ひとつの「社会記号」だと思います。新聞、雑誌全盛期の90年代、00年代まで、特に雑誌から多くの「社会記号」が生まれました。エビちゃんOL、ちょいワルおやじ、コギャル、コマダム…。
マスメディアはお互いの見出しをリファレンスしあいながら記事をつくるので、一つの社会記号が認知されると、使用頻度は一気に高まります。しかし、ウエブ時代に入ると社会記号の生成の勢いが落ちてきた感じがあります(その理由は自分の中で仮説があるので今度原稿にしようと思います)。

そんななか、「#」が新たなインサイトの発掘、つまり社会記号の生成において重要な役割を果たしていると感じた2024年でした。

みなさま、今年もお世話になりました。良いお年を。




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