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「コロナに勝つ」の意味を問う

夏を目前に、少なくとも先進国では、我々はコロナ危機の第一波を乗り越えつつあるという安堵が広がりつつある。国家党首による「勝利宣言」をニュースで目にする機会は、これから増えそうだ。

今回のパンデミックは急激に人類を襲い、感染による死という目に見える傷を伴うため、とにかく「危機を乗り越えた」ことを喜び、疲弊した国民を癒すことに、政治的な意味は大きい。しかし、「新型ウイルス 対 人類」という戦いの構図は、実は本当の問題を見えなくする恐れがある。

事件が起こる背後には、直接の「近因」、その近因の背中を押す「遠因」、そして、もっとも見えにくいが根本的な原因となる「真因」があるという考え方を、コロナ危機にあてはめてみよう。

まず、陰謀説は別として、近因はウイルスを持った武漢のコウモリや、動物が売買されるウェットマーケットだったのかも知れない。

しかし、グローバリゼーションがここまで進んでいなければ、今回のような素早く広範な流布はなかっただろう。ゆえに、遠因は、ひとやモノの流れのグローバル化と定義することができる。

では、真因は何か?科学者は、コウモリなどの野生動物と人間が住む領域を接近させた環境破壊や生物多様性の減衰を指摘する。

森林破壊が進み、ウイルスを持った野生動物が人間のすぐそばまでやってくることで、ウイルス感染のリスクが高まる。また、多様性のない組織は、耐久力に乏しい。これが、いまの地球の姿であり、コロナ危機が深刻化した「真因」と言えるのではないか?

であれば、「コロナに勝つ」ということは、人類がこれまでしてきた環境破壊を、必死で逆戻りさせることだ。決して、ワクチンや薬を作って一件落着ではないだろう。人類は、自分のしたことにしっぺ返しを受けているわけだ。コウモリや特定の国を責めるよりも、まずみずからの行いを振り返ることが必要だ。

既に、バッタの大量発生など、大きくはコロナ危機と同じ「真因」を持つ現象が起きていると推測される。この真因を解決しないままでは、これからも様々なしっぺ返し問題にもぐら叩きを繰り返し、頭を抱えることとなる。

環境破壊や気候問題は、パンデミックとは真逆に、ゆっくり、しかし確実に、ある程度は目に見えない形で進む。ここに、危機意識を持ちにくい難しさの所以がある。

しかし、いま国際協力を惜しみ、コロナ危機の「近因」に気を取られて「真因」を正面からとらえなければ、私たちはすぐ将来の世代に大きなしわ寄せを残すことになるだろう。

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