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残念ながら、この世は平等ではないし、公平でもないという当たり前の真実

未婚化や非婚化を若者の問題にすり替える声も多いですが、バブル崩壊後の給料デフレ時代は、今の若者の親世代を直撃したものです。親世代の経済状況にスポットをあててみると、また違った景色が見えてきます。

プレジデント連載「ソロ時代の羅針盤」更新です。ぜひお読みください。

こういう記事を書くと特におじさん界隈から「俺も家は貧乏だったけど努力して勉強して大学行ってバイトしながら卒業して~」という苦労話にかこつけた自慢話が沢山わいてくると思いますが(現にツイッターでは早速現れているようですが…)、記事のテーマはそんな個人の頑張りの問題ではなく構造の問題なのでね、「俺は頑張った」という話はコロナ後スナックでお願いします。


今回もヤフコメたくさんいただきました。アクセスランキングもあの天下の小室圭の記事にはさまれて2位です。

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400件近くもきたコメントは全部拝見しましたが、ひとつだけご紹介しましょう。

残念ながら親の経済力が子の人生に大きな影響を与えるのは紛れもない事実でしょう。でも一方でこの残酷な現実を理解し、精一杯の対応をする親と、仕方がないと諦め取り得る行動も取らない親に別れると思います。勿論、仕方がないには自分たちはそれで満足だから子供達もそれで良いとの勝手な解釈も含まれます。そう言う意味で、機会の平等はないのかもしれませんが、機会の損失をしている世帯は一定量います。裕福な家庭に比べて超えるべき壁は大きいのかも知れませんが、越えようとしない、させないで現状を憂い、社会の責任と一蹴するのは些か残念です

この方はどちらかというと記事の内容はご理解いただいた上だとは思うんですが、ひとつ勘違いされているのは、大前提として僕はこの現状を別に憂いてなどいないし、社会の責任でも誰かの責任にしたつもりもないという点。全員が結婚して子どもを生み育てることだけが人間の幸福だとも思わない。そんなの明治以降たかたが100年ぽっちのつかの間の幻想に過ぎない。

僕はまず事実を知ることが大事であるという考えなので、未婚化や非婚化というのは社会経済構造上の問題も大きいという現実を知ってほしいからこういう記事を書いているのです。現実を理解した上で憂おうがどうしようがあとは個人の自由です。しかし、憂いたところで何かが変わるでしょうか?

この方も書いていらっしゃる通り、大部分の親は、自分のできる範囲の中で、あるいは多少の無理をしてまでも、子どものために精一杯の努力をしていると思いますよ。しかも、それを子には悟られないように、無理してると思われないように。

それでもできることには限界がある。

それが個々人に与えられた「生きる環境」の違いなのであって、良し悪しの問題ではない。それを個人の努力が足りないとか、頑張りが足りないという自己責任論で追い詰めることは的外れとしか思えない。

人の「生きる環境」が違うという理解をすることが大事なのです。社会は決して平等なんかじゃないし、公平なんかじゃない。平等であるべきだ、公平であるべきだ、という現実に即さない間違った現実認識に立つから、「あいつだけいい思いしやがって」という妬みや「お前は努力が足りないんだよ」という見下しが生まれるんじゃないですか?

「生きる環境」が違う他人と自分を比較したところで何一ついいことなんてない。それより、マクロ視点で自分の環境の位置がどこにあり、客観的に自分の置かれた状態がどういうものなのかを把握し、そこでの適応を考えていくことが大事ではないですか?それが「生きる環境で生きる」ということです。

自分の主観だけで親を見ない、自分の主観だけで他人や社会を見ない。時には、親の視点から、他人や社会の視点から、歴史的・経済的背景の視点から自分自身を見るという「離見の見(世阿弥)」が必要なのです。

すべてを自分の力だけでなんとかしろと言ってるのではないですよ。他人や社会の力を借りるにせよ、自分の環境を理解しないとどうしようもないでしょ?という話。他人に頼れない人ほど自分のことを知ろうとしない。

自分だけじゃなく世の中の現実も知ろうとしない。

「これは若者にやる気を失わせる害悪記事だ。頑張ろうと思わせるものを書け」とかの批判を頂いたが、そういうおためごかしを言う大人にこそ若者は警戒してね。頑張っても100mを9秒台で走れるわけがないのだから、頑張るのは走りの練習ではない。現実を知るとはそういうことであって精神論こそ害悪だ。


ぶっちゃけ、社会が成熟化すれば少子化になるのは間違いない。それは、かつての多産は乳幼児死亡率の高さと引き換えだったからです。昔のお母さんが6人も産んでいたのはそのうち少なくとも3-4人は乳児のうちに亡くなっていたからです。医療の発達で死ぬ乳児が減れば出生数は少なくなります。古代も現代も一人の母親が産む出産数は違えど、大きく成人する子どもの数はたいして変わっていない。

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何度も言っていることだが、世界は2100年までアフリカ以外すべての国で人口減少するし、アフリカとて2100年頃をピークに少子化・人口減少するだろう。多少の国からの支援が個人にばらまかれたところで、その大きな流れは変えられない。そしてこうした大きな50年以上の流れの中で我々の環境は作られる。

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少子化の問題でよくフランスとか北欧の話を持ち出してくる出羽守がいる。日本もそれに見習えという。フランスだろうが北欧だろうが、いずれ日本並みか日本以下の出生率になる。ご存じだろうか、もうすでにフィンランドの出生率は日本より下です。

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こども庁の件は別途記事を書きますが、子育て支援は大事だし否定しない。しかし、子育て支援と少子化是正は残念ながら結び付かない。子育てに金がかかるという以前の問題として、そもそも婚姻が減っていることの方が問題だからだ。

そして、それは決して草食化などという問題ではないということ。人間の意識を変えれば何かが変わるなんて戯言で人を惑わすのはいい加減やめてくれませんかね。人間の行動も思考も意識もすべて環境が作ります

今後すべきなのは、少子化や人口減少という不可避な現実から目を背けないで(出生数が増えることは金輪際ないのだから)、それこそ、たとえば年間50万人しか子どもが生まれない前提で社会をどう構築していくかという議論に進むべきなんです。机上の空論ももういいよ。

すぐに実現すべきは、出産を望む人への経済支援だ。とくにコロナで打撃を受けた女性を中心に、国庫から現金の直接給付を急ぐ必要がある。

とあるのだが、そういう問題ではない。そこまで至る前が問題だからだ。この記事では、婚外子の増加も考えるべきだという話をしているのだが、だからといってやたら未婚の母を増やせという論調はそれこそ「女は産む機械」と言った某政治家の思想とたいしてかわらないのではないか?


事実や現実を隠蔽し、政治のトップが情報を統制して支配するなんて20世紀の暗黒統治みたいなことを、この情報社会の中でいつまで続けるのか、と。もちろん、生きてる中で知らなくていいこともたくさんあります。しかし、「津波が来る」という情報を知った者と知らない者とでは当然その後の行動が変わるし、命にもかかわる。

「不都合な真実」とは一体誰にとって「不都合」なのかをも一度各個人が考えるべきでしょう。



追記 苦労話にかこつけた自慢話が沢山わいてくると予想してましたが、それだけではなく4種類のおじさんが登場しました。「自分語り自慢おじさん」「自己責任説教おじさん」「筋肉脳修造おじさん」「なんか一人で怒るおじさん」です。以下まとめた画像をご覧ください。

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あなたたちが騒いでくれたおかけで記事は、昨日の夜かせ今日の昼までずっとランキング1位になれました。ありがとうございます!テキストマイニングの資料としても有効活用させていただきます。


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。