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日本におけるヴィーガン文化のありよう

先週、銀座資生堂にあるイタリア料理レストランFaroで昼食をとりました。ヴィーガンコースです。つまり動物性の食材がない料理です。

高校生の息子と食事をしながら、議論がはじまりました。メニューは以下です。

とても詩的なタイトルが並びます。ただ、動物性のものがないわけですから、「タリオリーニ」「コトレッタ」「チーズ」という名称は、あくまでもアナロジーです。

このアナロジーが人を惑わせると息子は主張します。チーズといえば、皆がこれまでの経験に基づいた動物の乳を原料としたチーズの味と感覚があります。しかし、ここでのチーズはあきらかにクリームと称するのが適当だ、と。コトレッタといえば平らに広がったカタチを想像してしまうが、ここではサイコロ状であり、その期待値との差異に戸惑うというわけです。だから、食材だけを記載するのが正解だとの正論を持ち出します。

経験に基づいた期待するイメージと実際の乖離に驚くのは、なにもヴィーガンに限ったことではなく、あらゆる料理にあります。それこそ海外にあるナンチャッテ寿司(実は、日本の回転寿司でもハンバーグやローストビーフをのせた握りはあり、ナンチャッテ寿司のユニバーサル化が寿司の本家にも到来しているのは面白い現象です。海外の場合、ターゲットはローカルの人間であり、日本の場合は子どもでしょうが)も日本人にとってはガックリするケースだし、また、イタリアの中華レストランで焼きそばを「スパゲッティ」と称するのも同様です。

即ち、ある料理がまだ定着していない、あるいは文化的な距離がある。こういう場合において、人々が馴染みのあるものに準えるのは、とても自然な方法です。

だから、ぼくは息子に対して「多分、お客さんが何の手がかりもないと困ることが多く、店としては仕方なくアナロジーを採用しているのではないか」と意見を言いました。

食後、シェフに聞いて、事情がよく掴めました。

このヴィーガンコース、1年以上前からスタートしたらしいのですが、当初、外国人客をメインに想定していたようです。ヴィーガンに親しんでいない日本人客がオーダーするようになり、なんらかの対策が要され、上にのせたようなタイプのメニューを用意するようになったとのことでした。

言ってみれば、日本人向けのヴィーガンのローカリゼーションだったのです。日本におけるヴィーガン文化を考えるうえで、とても勉強になりました。

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