見出し画像

ジェンダーバイアスの始まりを、子育てからたどってみたら、反省した

私、働く上で「女のひとが少しでも生きやすく」という目標があるのですが、この20年間でもジェンダーを取り巻く環境や問題はずいぶん変化したように感じます。(もちろん変わらない問題も沢山ある)
なるべく性別で決めつけないようにしたいものだなと日々感じているのですが、こんなニュースを見つけました。良いですよね!

ただジェンダーについて考えることに関心はあり、ひとは一体どこで「男らしさ」「女らしさ」にとらわれていくか興味がありました。なので自分の出産は一種のチャンス。N=1の個人的所感ではあるものの、今回振り返って書いてみようと思いました。
しかし進めていくうちに、あらわになったのは、自分自身の無意識のバイアスやマイノリティになる恐怖、さらには自分の既存の価値観から越えられない問題だったという、私の弱さのコンボを今月は(先月もだったけど)告白させてください…。

生まれる前から、バイアスをかけていた

まずは「色」の性差わけがやってきます。ベビー服の準備、性別がわからないうちは黄色にしておこう、って私自然に思ってしまったのです。
出産後のお祝いでも性別が分からない場合は配慮がなされ、特に女の子と分かった場合は、ピンク色のものなどをいただいたりする。でもそれはそれで「”女の子らしくて”かわいい!」と思ってしまったり、服を選ぶときは「男の子だと『間違われないように』しなきゃ」と瞬時に感じてしまう。間違えられたら、訂正すればいいだけなのに。

家事に疲れ、バイアス街道に魂を売る

私、第一子は息子で、最初はピンクやら各種暖色も着せておりました。私が脱落したのは、第二子の娘ができてからです。
大量の洗濯物。微妙なサイズの違いでは見分けがつかなくなり(家族が)、疲れ果て、女子は暖色系・男子は寒色系と規定してしまったのでした。ずぼら心から、バイアス街道に魂を売り渡してしまった。
(「男の子がピンクを着てもいいんだよ」とか啓蒙しつつも、子から「女の子の色」と言われる始末)

違うことで、いじめられたくない

忙しいときの子ども服のネットショッピングは、ボーイズ・ガールズの区分けからまず入る。選ぶときに楽だから。
「さすがに男子が花柄なんてないよね。学校でからかわれちゃう」
ってバイアスがするっとナチュラルに頭に入り込むのです。

親になり、予想外に自分に強く芽生えた感情は、ひとと違うことで子どもがからかわれたり、ひいてはいじめに発展することへの恐怖でした。

大人同士なら適当に受け流せたり、距離を置ける人間関係も、子ども同士は感情がダイレクトにぶつかり合い、ときに大人よりも残酷です。それを見ると、いじめられてまで貫く個性とは何なの?まで思ってしまう自分もいるのです。

本当はその子そのままの個性を守るのが親の役目で、特に自分は個性が大切な仕事を職業としているのに。口では「それぞれの個性を尊重しましょう」など言っても、いざその道は周りと違う、自分しかいないと分かると感じる孤独や不安、耐えられる強さなんてこれっぽっちもないのです。自分しかいない道は、自分が切り拓くしかなくハードすぎるから。建前の皮をもっとめくると、欲しいのはある程度皆と同じレールに乗った上での、スパイスとしての個性なのです。

親がコントロールできない、外からの刺激は圧倒的

さて下の娘も段々と物心がついて、上の子の男児モノもあるなか、一体何が好きになるかなと観察しておりました。
最初は全く息子と同じもので遊んでいた娘も、保育園に入ったり、家族以外の子と関わりが増えるうちに影響を受け(でもこれは成長の上ではすごく大事)、しっかりとプリンセスキラキラ系まっしぐら。(第一子時も、外からの刺激段階でトミカ・プラレール・戦隊系に直進)

正確に言うと「戦いごっこandプリンセス」のハイブリッドではあるのですが、お祝いでもらうお人形、ファミレスなどのおまけの男女別おもちゃやらで(明快に男女別とは書いてないが)、プリンセス度は加速するのです。好きなものをあえて禁止するのもな、と思い見守っていました。

自分が分かる範疇だと、後押しできる

でも加速を後押ししたのは、私に知見があったから。
かわいい服やお化粧、お菓子、お絵かきの世界は、私自身も経験があり広げることができました。特にお化粧に関しては、やってみたいといった息子も許容できたし、きれいになりたい気持ちは男の子でも女の子でもいいんだよとも伝えられました。しかしそれが昆虫・ゲーム・ヒーローものだったら、ある程度は頑張れても、私には限界がありました。

親の想像から外れても、サポートできるか?

成長すれば、今度は進路の話になるでしょう。
ごりごりの文系だった私には、理系が好きになるような的確なアドバイスができないし、スポーツや音楽のプロになる道なんて見当もつかない。
興味があれば、子どもが自分自身で調べて見つける?
でもそもそも道がどこにどれぐらい存在するか、親も子も周りも想像すらできなかったら?
例えば「女子の理系進学の少なさ」なども結局は親が適切に対応できる能力・経験値がないということだと思うのです。悲しいけど。でも親の力で、子どもの可能性が決まってしまうのは非常にしんどい。

人間は自分の経験したことでしか判断できない

冒頭の性のバイアスも、結局問題の本質は、人間は自分が経験したことでしか判断できないということだと感じました。
自分のなかの価値観どう更新できるか。自分が想像もできないことをどう受け入れていくか。でもそれはすごくしんどい。怖い。
だからこそ上記の記事の売り場の例のように、個人でフォローしきれない気付きを社会の力で乗り越えて、次の世代の可能性を狭めないようにがんばりたいものです。

まずは「ぎゃー。こういうの絶対なしでしょ」って頭からきめつけないこと、なのかも。食べてみようかな…。


8月31日、夏休みの宿題ギリギリ提出みたいな更新みたいになってしまいました。また来月!



ここまで読んでいただきありがとうございます。 読んで、少し心がゆるんだり、逆にドキッとしたり、くすっとしたり。 おやつ休憩をとって、リフレッシュする感じの場所に ここがなれたらうれしいです。