「自分のことが話せない」という難問
「そうか、おれは自分のことが話が話せなくなっているんだ」
とふと気づいたのは昨日の朝の話で、仕事で泊まったゲストハウスで、ドイツやアメリカから来た人たちとビールを飲みながら拙い英語で話をしたら、自分のことをぽつぽつと話していることに新鮮な気持ちが芽生えた。
彼らは日本語も少し話す。しかし、日本語だと窮屈な気持ちになり、自分の悩みや気持ちをオープンな気分で話せなくなるという。「日本語で自分の悩みとか弱いところとか、話すの難しくない?」と言われて、そうなのかもしれないと思った。
自分を主語にすることと、自分の話をすること
ぼくは仕事でファシリテーションをしている。ワークショップやミーティング、プロジェクトや組織全体をファシリテーションの対象として捉え、ものごとを作っている。ファシリテーションとは、問いを立て、話を聞き、整理して、提案をして、意思決定をして、みんなでやっていこう〜という気持ちと行動を促進する活動だ。
よくある誤解のひとつに、「ファシリテーターは客観的に情報を整理するべきであり、自分の意見を言うべきではない」という認識がある。むしろファシリテーターは「私はどう思うか」を語らなければ良いものごとを生み出せない。なぜなら、客観的な立場にいる限り、永遠に「仲間」にはなれないからだ。
しかし、自分を主語にしてプロジェクトに対して自分がどう思うかを話すことと、ここでぼくが書こうとしている「自分のことが話せない」という問題は、少し別物のようだ。
ここでいう「自分のこと」は、自分の体調やメンタルの状態、最近考えた面白いことや、最近感じている苛立ち、ちょっとした苦労、あるいは過去の懐かしい話や今となってはほろ苦いささくれのような経験など、プロジェクトとか仕事に関係のない、ごく個人的な気持ちの話だ。
アイデアになる手前の、ささやかなひらめき。あるいは悩みや葛藤になる手前の軽い吐き気のような違和感。日々の経験の中で、無数に生まれているこれらの粒を、ぽつぽつと話す場所がないように感じている。
自分のことを話せない
仕事では、ぼくはマネジメントの仕事が多いので、チームやプロジェクト、組織全体が主語になることが多い。もちろん、自分を主語にすることはある。だが、自分のことはなかなか話す機会がない。
プライベートではどうか。友達や同僚と食事に行っても、職業病のように聞いてしまいがちだ。話せたとしても、映画や小説の話が主で、「自分のこと」を話す時間がなかなかない。もちろん、映画や小説の話は大好きで、永遠にしていたいとすら思うが、それでも「自分のこと」を少しは話したいのに、なかなかできない。
パートナーとの間でも、育児や家事や仕事やその他を通じて感じていることを話したいと思うが、まずパートナーの話から聞かなくてはと思ってしまう。その背後には、家事や育児はパートナーの方がたくさんになってくれているから、ぼくよりも先にパートナーの話を聞くべきだという気持ちの悪い倫理観が埋め込まれているように思う。
自分がダラダラと結論も落ちもない考えや気持ちを話して、みんなの発話のターンを奪ってしまうのではないかと、過度に恐れている面もある。そのわりによく喋る方だと思うが、いつも気を遣っていて、どこかビクビクしている。
自分のことをもっと軽やかに話せたら
このあいだ、友達に、行きつけのかわいいワインバーがあるから飲みに行こうと誘ってもらい、飲みに行った。40℃くらいのお湯でチェイサーを出してくれる、優しいお店だった。
そこでぼくは、自分のことを話した。育児をめぐる苛立ちとか、細切れになったカレンダーによって生まれ続ける疲れとか、そういう話をした。そしたら、友人も話してくれた。それはとても嬉しい体験だった。
そのあと遅れて、別の友人夫婦が合流して、苛立ちや疲れの話をしたんだよ、と話した。
そのとき、ふいに「女性同士だと、友達同士でパーっと話しちゃうけど、男の人って、溜め込んで溜め込んで、深い悩みになってから急に打ち明けてくることあるよね?あれ、なんなの?」と問われた。
もちろん男女二元論で考えたいわけではない。しかし往々にしてシスジェンダーのヘテロセクシャルの男性同士の飲み会や雑談の場は、自慢や成功、あるいは知識の話になりがちで、「自分のこと」を聞くことがあまりない。あったとしても、窮屈で申し訳なさそうに「暗い話ですみません」みたいな雰囲気になる。
もっと軽やかに話せたらいいのだが、感じた疲労感や違和感を誰かに話したいと思った頃には、腐敗して重たくベチョっとした感じになっている。そうなる手前に、ふわふわっと話せたらいいのだ。邪気を払う塩をパパッと撒くように。みんなで塩を撒き合う仲間ができたらいいと思う。
こんな言葉がある。
できればオンラインやSNSではなく、リアルな場や食べ物を共有しながら、「わたしたちは自分のことを話せた、よかった、だから明日も大丈夫」と思えるような、そういう友達との時間があらためて必要なのだ。
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