生成モードのコミュニケーション
支配と責任
アカデミーヒルズ主催のオンラインセミナーにてパネルディスカッションに参加させていただく機会を得ました。もともと、このcomemoにて書いていた原稿を読んでくださったことがきっかけで、参加をお誘いいただけました。
この記事です。
その記事の中で書いた内容を、改めて整理してみました。都市とは、外と内との壁などによって区分けし、内部を安心・安全・安定を実現できる環境に制御しようとする動きによって生まれてきたものだとするとき、下記の図のような形で、能力主義による責任論が出てくるのだと思います。
制御の思想にもとづく人工物によって組み上げられる都市と、その外側にある自然との対立構造は、時代と共に強くなってきたように思います。しかし、当たり前ですが、人の肉体は自然物であって、人工的・制御的な営みとの間に、様々な摩擦を生んでいます。
生理反応のセンシング
そんな中、ヘルプパッドの社会実装により街全体を介護施設のように変えていくことを目指しておられる宇井吉美さんから、「生理反応を制御するのではなく、そのパターンを読み解き、そこに寄り添うことで生活がしやすくなる」というお話がありました。(宇井さんのお仕事については、下記をお読みください)
それを聞いたとき、5年ほど前、日経BP社主催のN IDEAというイベントにて、NKアグリ株式会社の三原さんがおっしゃっておられた次のような言葉を思い出しました。様々なセンサーを活用して収穫の予想ができるようになったとき、市場の要請にあわせて農業現場に介入し、収穫量をコントロールしようとしてもうまくいかない。むしろ、収穫の予想にもとづき、営業サイドで市場側の対応に介入していくと仕事がしやすくなる。
(28分ごろから)
人の生理も、自然の営みも、同じだなと思いました。
介入対象を変える
カンブリアナイトでは、センサーによって「みえる」ことから、AIなどによる解析で「わかる」を通して、様々な介入が「できる」ことで、世界が「かわる」という、カンブリアサイクルを標榜しています。
人の生理反応を制御しようとするのではなく、把握し予想できるようになる生理反応に合わせて、人の営み(人為的、人工的)の側を変えていく。こう書いてみると、至極当たり前のことに思えるのですが、実は、そうしたことがやりづらい社会に生きていると気づかされました。
納期、締め切り、達成目標など、外的な環境要因を無視したかのような数字がそこにあり、それを達成するために効率性が求められ、その効率性を実現するために能力が求められる。そんな仕事の仕方が、根深いところまで浸透していて、日常生活の対話にまで、その姿勢が滲み出てしまうことがあるように思えるのです。
伝達モードと生成モード
同じくパネルディスカッションに登壇されていた伊藤亜紗さんから、コミュニケーションの2つのモード「伝達モード」と「生成モード」というヒントをいただきました。
コミュニケーションの伝達モードは、制御に近いものだと思いました。何かを伝えたい、できるだけ誤解なく伝えたい。ゴールが100%にあり、そこにどれだけ近づけられるか、コミュニケーションを制御しようとする姿勢。
一方で、生成モードは、それとは真逆のものだと思いました。ゴールは見えていない。時々に変化する状況との関係性を見つめ、どこに行き着くかわからない中で流れていく。そこで生まれるもの、見出されるものを味わうという姿勢。
環境とのコミュニケーションにも、この2つのモードがあるように思えました。100%コントロールすることを求める絶対安全都市のような幻想ではなく、生成モードによって、偶然と広がりと驚きと発見をぐるぐるめぐる姿勢を持つこと。これを自分の日々の生活で実践できるかどうか。ここに、次の何かがありそうな気がしています。
まだまだ咀嚼に時間がかかりそうなのですが、まずは共有まで。(この文章も、生成モードのような気がしてきました)
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