サブスクリプションは、「結果」の追求
私たちは、楽しみを与えてくれるものやサービスに積極的に対価を払う。一方で、煩わしさを減らすためにもお金を遣う。
一定の質さえ担保されていれば、あとは便利に「私が必要な時に」必要な場所にあればいいという欲求は、後者に属する。これが、元祖サブスクリプションの基本だ。例えば、厳密に「定額」ではないものの、水道、ガス、電気の公共サービスは、その恩恵をいちいち考えないほど普及したサブスクリプションではないか?サブスクモデル自体は、インターネットをはるか遡って、十分存在していたと言える。
もちろん、インターネット普及でサブスクリプションの可能性が大きく広がったことは確かだ。いま私が使っているサブスクリプションは、ネット上写真保存サービス、BGMの音楽ストリーミング、決まった猫えさとトイレ砂のネット定期購買など。どれも「いちいち選び、注文する」手間を減らす性格が強い。つまり、「必要だけど関与度が高くない」カテゴリーに入る。
しかし、このことは、私があまり先進的な消費者ではないことの裏返しとも言える。世の中のサブスクリプションビジネスは、既に「より楽しみを与える」、すなわち「関与度が高い」カテゴリーへ進出が進んでいるからだ。
音楽ストリーミングは、既に個人の嗜好に合わせ「私好みだけれど知らなかったミュージシャン」を含めて選曲してくれる。ものとサービスを融合すれば、ペットの健康チェックとえさの調合を同期するペットテクも可能だ。刻々と変わる個人の肌にあわせたスキンケアを提供するIoT美容や、複数美容室チェーンの定額「使い放題」サービスも、既に市場に現れている。
このような新しいサブスクモデルは、あくまで「結果」を欲する消費者のどん欲さに答えている。すなわち、提供者と自分のあいだにどんなブランド、製品や技術が介在するかは通り越して、「健康なペット」や「いま得られる最高の肌」や「いつでもプロ仕様な髪」といった「結果」に欲求の照準を合わせていると言える。「ドリルではない、穴が欲しい」を地で行くのがサブスク時代の消費者だ。
この事実は提供側にとっては福音であり、脅威となる。
良い「結果」に納得する限り、消費者は忠実な「サブスクライバー」であり続け、そのフィードバックデータを分析することでさらに良い結果を生む好循環が生まれる。
一方で、これまで卸、小売など既存チャネルに依存しながら、高いマーケットシェアを維持してきたブランドや製品には、消費者の「結果主義」が脅威になりうる。
例えば、オレンジジュースの市場はいくつかの有名ブランドで占められる。これは、既存の巨大ブランドのみがマス広告と小売への販促を賄えたからだ。消費者が旧来通りスーパーやコンビニでオレンジジュースを買う限り、シェアの小競り合いはあっても、ブランドは安泰だろう。
ところが、サブスクリプションによって消費者がオレンジジュースに「結果」を求めるとどうだろう?もしも「新鮮で有機なオレンジジュースをいつでも」自宅で飲めるジューステックが可能になれば、消費者は特定の製品ブランドに拘泥する必要がなくなる。農地直送でノーブランドもいいだろう。そもそも「ブランド力」と過信していたプレミアムは、消費者の選択肢が少ない前提でしか成り立たなかったことに気が付くかもしれない。
サブスクリプションが「結果」を約束することで、消費者の相対的な立場は格段に強くなった。一方、ブランドの「ホワイトレーベル」化が進む。提供側にとっては、この転換を肯定的にとらえることが出来るかどうかで、サブスクリプションモデルの勝敗が決まるだろう。