どう変わる正社員
こんにちは、富永朋信です。
今回もお題に乗っかって、以下について考えてみたいと思います。
「どうなる正社員」という問いを聞くと、「正社員」という言葉が、例えば「日本」「トヨタ自動車」「読売巨人軍」のように、何らかのまとまりを持った集団を意味するように思われ、トヨタにとっての日産、巨人軍に対しての阪神タイガースのように、何か対峙する概念があるのではないか、と感じられます。
正社員に対峙する概念。それは社員というカテゴリー内で見れば契約社員・派遣社員などでしょうし、もっと大きく「働き方」というスコープで見れば、(正・契約問わない社員に対する)フリーランスということになるでしょう。
ここではまず、正社員と契約社員について考えてみたいと思います。
正社員と契約社員の差異は
(1)勤務先と交わしている契約の種類による
ものであり、かつ
(2)雇用期間、給与・福利厚生などの待遇などについての一般的な印象は、雇用の長さについても、待遇の高さについても、正社員>契約社員という、何とは無しの序列があるように思われます。
これは雇用する企業側から見てみると、長期間雇用を維持する、高い待遇を約束することにより、スキルやモチベーションが高い人材を確保するという意図があると考えられるでしょう。そうすることにより、企業へのロイヤリティを高めたり、社内風土を強固にしていったりする(長期間同じ会社で仕事している人のシェアが高くなれば、一定の社内風土が形成されます)という狙いもあるかもしれません。長期雇用などの大きなコミットをする=リスクを取るのは、それだけの意味がある、という考え方なのだと思います。
ところで、このやり方、つまり契約により企業側からコミットメントを提示して、従業員側からロイヤリティやモチベーションを引き出すようなやり方は、うまく機能するのでしょうか?
まず思うのが、正社員のマインドの中で、長期雇用や手厚い福利厚生がある種の既得権のように感じられてしまうと、企業側が示してくれているコミットメントが当たり前のように感じられるようになるのではないか、ということです。
新婚当時、奥さんを喜ばせようと花を買って行ったご主人が、いつのまにか「花を買ってこなくなった。釣った魚に餌をやらないなんてヒドい」などという具合に難詰されているシーンは、ドラマの世界ならずとも良く見かける話。これは高いサービスレベルも、それが当たり前になってしまうと、モチベーションやロイヤリティの源泉として機能しなくなる、ということですが、正社員契約にもそのような性質があるのではないか、ということです。
また、長期雇用がコミットされていると、ミスをして懲罰を受けることを避けるためにリスク回避的になる、上からの評価が気になるのでNoと言わない文化が醸成される、なども良く指摘されるところです。
このような働き方をしていると、スキルの高い人も段々とエッジが取れてしまい、パフォーマンスが落ちてしまうのではないか、と心配になります。同じスキル・才能の人が正社員・契約社員のそれぞれの立場で発揮するパフォーマンスにどのような差が出るか、調査してみたいところです。
こうしてみると、契約内容で差をつけるやり方は、一見理にかなっているようですが、事はそう簡単ではなさそうです。
どうなる正社員、というお題に立ち戻ると、契約制度としての社員は、もっとモチベーションやロイヤリティに正しく繋がる形に制度再設計されるべきだと思います。その中では、上記で議論したように現在の正社員コンセプトの核になっている長期雇用にメスを入れることが大切になってくると思われ、そうすると契約社員との間に差をつける意味はなくなってくるので、社員の中には正も契約もなくなるのではないか、というのが私の考えです。
これは日本の勤め人の多くを占める正社員の既得権を剥奪するように見える、社会的にインパクトのある制度変更ですし、法的なクリアランスも簡単ではないと思われますので、なかなか踏み切れる企業はないかもしれませんが、いちど先例が出たら、同調効果であっという間に広がるのではないか、と思います。
また、勤め方としての正社員を考えると、現状維持的な仕事の仕方が一度身について成長が止まってしまうと、制度や社会が変わった時に置いていかれてしまうので、月並みですが、たとえ正社員の地位にあっても既得権に甘んじず、気骨を持って毎日の仕事にあたることが大事なのではないかと思います。
では、その気骨とは何か、なのでしょうか。
多くの人が長い間ひとつの組織にいると、自然と人的なネットワークが形成されていき、それが情報やアイデアが流通する動脈のようになります。
組織図に則って設計されるような会議体の他に、企業にはそういうネットワークが存在し、えてしてフォーマルな意思伝達・意思決定経路を補完する形で機能しているものです。
気骨をもった正社員の仕事の仕方とは、このネットワークのようにピラミッド内のポジションに拘泥せず、そこから漏れ落ちる要素を埋めていくようなことにあるのではないか、と私は考えます。
そして、上記のように正社員と契約社員の垣根がなくなって来たら、今度はこの気骨の欠落が指摘され始め、そこに対応する形で新しい制度アイデアが生まれてくるのでしょう。
組織というものは、そうして、振り子が振れるようにダイナミックに進化していくものである、というのが9つの会社での仕事を経験している私の、いまのところの考えです。