「管理職」を「監視職」と勘違いしてはならない。本質はレバレッジにあり
仕事で成果を上げるには、二つのやり方がある。一つは、我が道をひとりで極めるやり方。もう一つは、周りに影響を及ぼし、他人の力を借りるやり方。
初めのやり方は天才肌に向いている。家族で音楽巡業をしたとはいえ、モーツアルトがチームワークで作曲をしたわけではなく、自らの霊感と能力を頼るだけで十分だったと言える。
一方、「普通の人」には、後者のアプローチがお薦めだ。自分ひとりの力を何倍にもする、組織における乗数効果、レバレッジこそが管理職の真髄と考える。
高度成長期に力を発揮した金太郎あめ型の軍団に比べ、成熟経済においては多様性に富んだチームのほうが、柔軟性が高く、良い結果を生むことは経営の常識となりつつある。ならば、現代の管理職に求められるのは、その多様な個を指揮者のように束ね、導くこと。高い職位に備わる有形無形の権限をてこに、チームの力を最大限に引き出す。このレバレッジにより、自分の、そして組織の目的を叶えることが管理職の醍醐味だろう。
さて、リモートワークが定着する一方、部下の仕事ぶりを監視するため、いつもカメラをオンにするよう求める「管理職」が話題になった。確かに仕事に投下する資源を「管理」するのは管理職の責任だ。しかし、個人の創造性を重視する現代に、まるで工場の単純作業を測るように、パソコンに向かう時間を測っても意味がない。過剰なオーバータイムを防ぐのならば自動化して測れば良い。仮に投下した時間で成果が測れるような仕事ならば、そもそも早晩、仕事そのものが自動化されてしまうはずだ。
決して「管理職」を「監視職」と勘違いしてはならない。その本質をレバレッジと定義すれば、リモートワークの時代も、管理職の付加価値は変わらず高いだろう。管理職は、監視する仕事ではなく、組織のベクトルをそろえ、チームの成果を最大化するために個々の強みを引き出すことが責任だ。
自分がなってみて初めて実感できたことだが、管理職が影響を及ぼせる範囲は広い。これは、他の管理職たちと協力することで、自分の組織を超えて彼らの組織まで動かせるからだ。管理職になると「見える景色が違う」と聞いてはいたが、このような影響力を意味しているのだろう。
2000年代、ハーバードビジネススクールの人気講座に”Power and Influence” (権力と影響)という授業があった。いかにもMBAらしい、尊大な名前のように当時は思えたものの、その使い方次第で自分の成功が左右される重要なトピックだ。もっと真面目に勉強すれば良かった。
では、誰がこのようなパワーを持つべきか?日本がより包摂的な社会を目指すならば、マイノリティこそが、影響力を持ち、後輩へ道を拓くために立場を主張することが不可欠だ。例えば、女性政治家や女性管理職が極端に少ないことは、日本がジェンダー平等を目指すうえで大きな障害であることは間違いない。2020年までに「指導的地位」に占める女性の割合を30%まで引き上げるという政府の目標は遠く、既に静かに看板を下ろしている。
現場では、女性の管理職登用が進まないことの理由の一つとして、候補となる女性自身がしり込みしてしまうことが挙げられる。一般的に、女性は男性に比べ自己主張が弱いという要素は確かにあるかもしれない。しかし、それ以上に、管理職とは苦労多くして得るものが少ないものという負の先入観が感じられる。これは、管理職を「監視職」とはき違え、管理職がもたらすレバレッジの可能性を過小評価した結果ではないか?志のある女性には、是非自分の力を何倍にも出来る管理職を目指してほしい。
最後に、レバレッジの意味するところを間違えないことが大切だ。まず、組織のメンバーは、レバレッジするための「将棋の駒」ではない。ひとを育てることは管理職の大きな責任であり、ひとが育ってこそ、サステイナブルな組織が出来上がる。
さらに、何のために影響力を使うのかを忘れてはならない。レバレッジ自体が目的化すると、とにかく勝ちあがるための政治ゲームが始まり、米国国政を舞台に権謀術数が繰り広げられるHouse of Cardsの世界でキャリアを費やす羽目になってしまう。そもそも何を成し遂げたいための管理職か、胸に手を当てて答えられる限り、管理職はこれからも必要であり続ける。
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