国内旅行の将来は、「速足の観光」よりも「内面の充実」に成功の鍵
国内旅行市場の過去10年は、ローラーコースターに乗ったかのような変化をくぐっている。2011年には6百万人超に過ぎなかった訪日観光客が、ビザ緩和や円安、中国のミドル層台頭に助けられて、2019年には5倍の3千万人の大台に乗った。京都などの観光地は混雑を極め、オーバーツーリズムがささやかれた。ところが、2020年前半はコロナ危機が巻き起こり、途端に空港はゴーストタウンと化してしまった。外国人旅行者の蒸発は言うまでもなく、日本人も自宅で息をひそめる日々が続いている。
足元、恐る恐る国内の経済活動が戻る一方で、一時的な政府援助を超えた国内旅行の長期的な展望をどう描けるだろうか?ちょうどリモートワークがなし崩しに定着して「働き方」が根本から変わるように、コロナ危機を境に、基本的な「旅の仕方」が転換を迎えると予想される。
時間に余裕のあるリタイア組はともかく、社会人の旅といえば、同僚の目を気にしながら、少ない日数に旅程を詰め込み、せかせかと回るスタイルがコロナ前の王道だった。ところが、職場に物理的に赴くことの必要性が薄まり、同調圧力は減る。長めの休暇が取りやすくなり、「速足の観光」という前提が見直されるのではないか。欧州など、非日常を求めて遠くに行きたがった日本人が、安全面の配慮から国内に回帰する「遠から近」、旅の期間が延びる「短から長」、さらに「せかせかよりも、のんびり」という長期的な変化が訪れようとしている。
私のいるコンサルティング業界でも、欧州の同僚は夏休み2週間が標準で、長くて1週間しかとらない日本人との差は、永遠に埋まらないと思われていた。しかし、これからは、私たちが彼らの標準に近づくのかもしれない。
この変化に、コロナの味付けが加わる。すなわち、家族やごく親しい友人などスモールグループで行動することが好まれ、観光地につきものの人混みは嫌われる。さらに、常に安全・衛生が優先されるだろう。
では、これらの条件を満たす国内旅行の形はどんなものか?例えば、自然の中でヴィラを借り切るスタイルや、部屋付き温泉のある宿、コロナ前から胎動のあったヘルス・ツーリズムなどが解になりそうだ。特にリスクに敏感な層には、移動の手段も、公共機関より、自宅から滞在先までドアツードアで届けてくれる長距離タクシーのサービスが喜ばれるかもしれない。
究極のスモールグループは「おひとりさま」だから、安全・衛生を確保したうえでの一人旅は理に適いそうだ。すでに、「おひとりさま」スポーツが話題になっている。家族がいても敢えて一人旅をすることが奇異に映らない世の中が来ると予想する。逆に、短い滞在を豪華に盛り上げようと、これでもかと出てくる旅館のカロリーオーバーな夕食は、古くなるだろう。
実は、この流れは、国内旅行が「観光」に頼らなくなることを示唆する。万人が認める「目玉」がなくとも、コンテンツ次第で勝負ができるからだ。コンテンツとは、デトックスプログラムかもしれないし、数日間の農業体験や講師つきの少人数クラスでも良い。また、自然「しか」ない田舎が、そのこと自体を売りにすることも十分に可能だ。
これまでの「何かを見ないと・回らないと」観光ではない、旅とは言えない、という強迫観念から私たちが自由になることで、国内旅行の幅が広がることを期待する。その結果、インバウンドツーリズムが戻るときには、京都などの一握りの「観光地」に頼らない、多様な受け入れ先が生まれているとすれば、コロナ危機の予期せぬメリットと言えるだろう。