「攻撃的」でも「受け身」でもない「アサーティブ」なコミュニケーションとは?
丁寧な言葉遣いでも攻撃の意図があれば攻撃的
金曜日の22時。会食を終えて新橋駅で電車を待っていると、ホームに駅員さんの怒号? が鳴り響きました。「はー・なー・れー・てー・く・だ・さ・い。発車できませーん」。言葉遣いは丁寧ですが、その口調には誰が聞いてもわかる強い苛立ちが感じられます。駅員さん、その気持ちよくわかります。一人の酔客の不注意が、大勢に迷惑をかけるだけでなく、その人自身を危険に晒すことになるのですよね。私自身も酔客の一人として身につまされました。
一方で、聞いている方としてあまりいい気がしないのも事実でした。こういうコミュニケーションにはオフィスワークの現場でもたまに遭遇しますよね。言葉遣いは丁寧。でもその裏には相手を攻撃する意図や悪意がある。ハラスメントが取り沙汰されるようになって、明らかな罵詈雑言や暴言を職場で聞くことはほとんど無くなりました。しかし、だからといって、相手を攻撃する意図や悪意自体が職場から根絶やしにされたわけではないのです。
そうした悪意は、時に丁寧な言葉の薄いベールに包まれて発せられます。また時には笑顔とフレンドリーな態度に完全に覆い隠され、陰口や悪評といった形で間接的に自分に向けられる場合もあります。このように、表面的にはそう見えなくても、裏に相手を攻撃する意図が潜んでいるコミュニケーションのスタイルを、「パッシブ・アグレッシブ」といいます。パッシブとは受け身、アグレッシブとは攻撃的、という意味です。
表面的には丁寧な言葉づかいであれ、そこに明らかな不機嫌や苛立ちが感じられれば、それは疑いようもなく攻撃的です。さらに、例え不機嫌や苛立ちが微塵も感じられなかったとしても、その裏に攻撃の意図があればそれは「攻撃的」と言わざるを得ません。誰もが不適切な発言に神経を尖らせる現代では、明らかな「アグレッシブ」が減った分、このような「パッシブ・アグレッシブ」が世の中に蔓延するようになりました。
攻撃的なコミュニケーションは不適切かつ非効率
このような(露骨ではないにせよ)攻撃的なコミュニケーションは、不適切であるだけでなく、結局は目的達成に繋がらないことが多いので非効率とも言えます。そこに攻撃の意図を感じたとき、相手の反応は得てして感情的なものになります。怒る。苛立つ。不快になる。怯えて萎縮する。どんな反応か? はケースバイケースでしょうが、いずれにせよ攻撃性は相手の理性を鈍らせ、パフォーマンスを落としてしまいます。
SNSで嫌いな相手を貶めたい、など、まさにそれが目的なら残るは不適切性の問題だけでしょう。しかし、駅のホームで酔客に身のふりを改めてもらうケース然り、仕事でのコミュニケーションの目的の多くは、相手の考えや行動を見直してもらうことです。そんなとき、いたずらに相手の感情を揺さぶって理性を鈍らせてもいいことは何もありません。
表では波風を立てず、陰口や悪評を広めて裏で相手を貶める工作をする場合も、遅かれ早かれ相手はその悪意に気づくケースが多いでしょう。仮にそうならなかったとしても、そうした裏工作は相手の考えや行動を変える、という結果にはどうしたってつながりません。相手に精神的ダメージを与えること自体が目的ならいざ知らずですが、そんな努力をしてリスクを犯すくらいなら、それを自分の仕事に振り向けたほうがどう考えても生産的です。
パッシブ=何もしないが生み出す弊害は社会問題
「アグレッシブ」も「パッシブ・アグレッシブ」もダメ、となると、あとは攻撃性のない「パッシブ(受け身)」だけしかない、ということになりそうです。でも、これは要は何もしない、ということなので、当然それでいいはずはありません。部下が会社や自分自身を危険にさらす行動をしているのに、それを何もせず見過ごしていたら上司失格です。駅のホームで危険な動きをする酔客を注意するのは、乗客の安全を預かる駅員さんの一番大事な義務の一つでしょう。
ハラスメントや不適切発言問題をかわすべく「パッシブ・アグレッシブ」に走るのは問題ですが、それを回避するために「パッシブ」に徹してしまっては仕事を放棄しているのと同じです。「ゆるすぎる職場」を嫌って転職する人が増えている、という話がありますが、その根本的な問題はまさにここにあるのではないでしょうか。「パッシブ」なコミュニケーションが横行してしまていることは、ハラスメント問題の副産物としての社会問題なのです。
ではどうすればいいのか? そこで颯爽と登場するのが、「アサーティブ」という第四のコミュニケーションスタイルです。アサーティブとは、辞書で引くと「断定的」などという意味が出てきますが、この文脈では「きっぱりと伝える」ということです。酔っ払って駅のホームで暴れるのはやめてもらえますか? ときっぱり伝えるのに、実は攻撃的になる必要も感情的になる必要もありません。このように、攻撃性や感情を取り払って、自分の主張をきっぱりと伝えるのが「アサーティブ」なコミュニケーションです。
正直に、適切に、尊敬を忘れず、直接的に
この「アサーティブ」というスタイルについて、もう少し解像度を上げて掘り下げてみましょう。アサーティブなコミュニケーションをする上で、心がけるべきポイントを要約すると、
自分の考えや思いを
正直に直接的に
相手への尊敬を忘れずに伝える
ということになります。まず、「自分の考えや思いを」というポイントですが、これをクリアにするにはまず自分の頭の中を整理する必要があります。その上で、私はこう考えている、私はこう感じている、というのを「正直に直接的に」相手に伝えるのです。例えば遅刻の多い部下に対して、それが「チームに悪影響を与えることを懸念している」のであれば、その考えを包み隠さず伝えます。失礼なことを言われて悲しいのであれば「悲しい」、傷ついているあれば「傷ついている」という思いを婉曲せずに伝えます。
この時、忘れてはいけないのは「感情的にならない」ということです。感情の話をする、というのと、感情的に話をする、というのは全く別です。「考え」であれ「思い=感情」であれ、それが自分の頭の中にあることは紛れもない事実ですし、それは相手には否定しようがありません。感情的に伝えてしまい、相手の感情を逆撫ですることを丁寧に避ければ、相手の理性がそれを理解してくれます。
では、感情的に話してしまうのはどういうケースなのか? というと、それは相手への尊敬を忘れてしまっている場合でしょう。尊敬する人を思い浮かべてください。その人が、例えば自分の大事なメールやメッセージを無視したとしても、感情的に責め立てるようなことはまずしないでしょう。責めたくなる気持ちにはなるかもしれませんが、それを行動に移す前に、一旦じっくりと取るべき行動を考えるはずです。このように、誰に対しても尊敬を持って対峙する、というのがアサーティブコミュニケーションの最後の大事なポイントです。
正直に、適切に、尊敬を忘れず、直接的に
不適切発言が大きな問題になり、ハラスメントに社会の関心が集まる現在、ビジネスパーソンが本当に身につけなくてはいけないスキル。それは、問題をただ表面的にかわそうとする「パッシブ・アグレッシブ」でも、問題から目を逸らす「パッシブ」でもなく、「アサーティブ」なコミュニケーションスタイルです。
「アサーティブ・コミュニケーション」というのは、グローバル企業の定番の人事研修メニューでもあり、数社を渡り歩いてきた私は過去に何回もトレーニングを受けたことがあります。「自分の考えや思いを」「キッパリ伝える」というアサーティブなコミュニケーションは、日本人である私にとって初めは難易度の高いものでしたが、意識して繰り返しているうちに慣れてきました。
幸い、これを実践する機会は、日々の仕事の現場やプライベートにも溢れています。ぜひ明日から意識して実践してみてはいかがでしょうか?
<お願い>
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