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「値上げ受け入れている」発言騒動が意味するもの~9年かけて分かったこと~

リフレ政策に幕
6月6日、東京都内で講演した黒田・日銀総裁は、商品やサービスの値上げが相次いでいることに関し「日本の家計の値上げ許容度も高まってきている」と表現し、これを持続的な物価上昇を実現するための「重要な変化」とも表現しました。周知の通り、この一連の発言は極めて大きな批判に晒されました。この発言は予定稿通りの発言であり、黒田総裁による「失言」というのは正確ではなく、純粋に描写が政治的配慮を欠いた(ラフに言えば民意との齟齬があった)という事案と言えそうです。その後謝罪に追込まれました:

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB085YY0Y2A600C2000000/

擁護するつもりはありませんが、黒田総裁のこの発言は従前の政策姿勢と全く矛盾しないと思います。2013年以降、アベノミクスの名の下でリフレ政策が目指したのは拡張的な財政・金融政策により日本の民間部門(とりわけ家計部門)の粘着的なデフレマインドを払拭し、インフレ期待を底上げしようという未来でした。それは物価上昇(ラフに言えば値上げ)が普通に行われる社会を目指すということでもあったはずです。

物価上昇を起点に賃金上昇も起こり、景気も回復する。物価上昇が「原因」で景気回復が「結果」という思想は明らかに倒錯しており、リフレ思想に賛同しない向きから多くの疑義が呈されました(筆者もそうでした)。しかし、その政策思想を多くの民意はこれを熱狂的に支持し、批判的な陣営はかなり辛辣な批判に晒されたことを記憶しております。それが9年前です。

世界的にインフレ懸念が高まろうと、資源価格が上昇しようと、円安が進もうと、金融緩和路線を続け、指値オペで金利を押さえ続けるという姿勢は、是非は別にして、一貫性があると思います。繰り返しになりますが、是非は別にして、です。

「日本の家計の値上げ許容度も高まってきている」との発言はインフレ期待の底上げが実現しつつあるという趣旨も含んでいたと思われますが、「値上げを受け入れている」とのヘッドラインに変換されたことも相まって世論の大きな反発を招き、新聞・テレビ・雑誌を筆頭に多くのメディアがこの発言を批判的に報じました。正直、筆者から見ても言葉尻を捉え過ぎであるようにも感じますが、この騒動は「如何に日本という国において物価上昇が受け入れられないか」という一端を見せたように感じます

2013年の導入当初こそ民主党政権からの変化の中で熱狂的に受け入れられましたが、それが実現した暁には世論のバッシングが待っていたという意味で1つの区切りを迎えたように見えます。今回の騒動をもって、2013年以降から続いてきたリフレ政策が実質的に幕を閉じたように思います。結局、景気回復が「原因」で物価上昇が「結果」という王道は変わりようがなかったという話でしょう
 
「受け入れている」ではなく「諦めている」
一連の発言に関し、黒田総裁は翌7日の参院財政金融委員会で「家計が自主的に値上げを受け入れているという趣旨ではない。誤解を招いた表現となり申し訳ない」と実質的に発言を撤回しました。

確かに、発言の趣旨は従前通りでもその表現に不味さはありました。問題となった発言は渡辺努・東京大学教授が4月に実施した「なじみの店でなじみの商品の値段が10%上がったときにどうするか」というアンケート調査において「値上げを受け入れ、その店でそのまま買う」という回答が半数を超えたという事実に依拠しているとのことですが、これは「受け入れている」のではなく「諦めている」という方が適切でしょう

消費者物価指数(CPI)が示すように、「なじみの店」、「なじみの商品」という限定をしなくとも社会全体で一般物価が上昇しています。こうした状況下でも家計は生きるために消費・投資をしなければなりません。むしろ、「値上げを受け入れずに消費・投資しない」という選択肢は徐々に塞がれつつあるというのが今の日本の物価情勢と見受けられます。この辺りの実情に対し、確かに配慮を欠いた発言ではあったかもしれません:

そもそも日銀自身が四半期に1度公表している「生活意識に関するアンケート調査」を参考にした場合は別の景色も見えてきます。直近4月分のアンケート結果を見ると、現在の暮らし向き(1年前対比)について尋ねた場合、「どちらとも言えない」が減って、「ゆとりがなくなってきた」との回答が顕著に増えています。結果、「暮らし向きDI」は2020年6月以来、即ちパンデミック発生当初の最悪期に相当する低水準まで悪化しています。発言後の世論の反応を見る限り、どちらかと言えば、日銀によるアンケート調査の方が世論の肌感覚に近く、これを引用した方が納得感が得られたようにも思えます:

 実質GDIが示す所得環境の厳しさ
家計の実質的な所得環境が如何に悪化しているのかということへの問題意識が低かったという見方もできます。現状、日本経済全体としての所得環境は目に見えて悪化しており、その事実に基づけば「値上げを受け入れさせられている」という表現の方がしっくりきます。こうした事実は多くの人にとってなじみのある実質国内総生産(GDP)ではなく実質国内総所得(GDI)を見ると良く分かります。今の日本経済が直面する問題を正確に把握するには、国内の「生産」実態を捉える実質GDPよりも、「所得」実態を捕捉する実質GDIの方が適切でしょう。

実質GDP(国内総生産)と比べて実質GDIの停滞は著しく▲2%以上、水準が低くなっています。これは比較可能な現行統計においては最も大きな乖離となります。両者の差は交易条件の変化(=交易利得・損失)であり、海外への所得流出(交易損失)が大きくなれば実質GDIが低下する。これは当然、物価上昇に伴う実質所得環境の悪化を示します。「値上げを受け入れさせられている」現状の象徴とも言えるでしょう:

巷で騒がしい「悪い円安」論も結局、家計部門のコスト負担を端的に述べた議論であり、「円安の善し悪し」というよりも「実質所得の善し悪し」が本当の問題意識と見受けられます

その意味で円安は輸入物価上昇を通じて交易損失を拡大する方向に作用するので「悪い」という判を押されやすくなります。今回の発言同様、黒田総裁が円安を論評する際にこの点への配慮は決して大きくないという印象はあります。そうした経緯もあり大きな世論へと発展してしまった感はあります。

いずれにせよ今回の騒動で「世論の物価上昇への嫌悪感」が「日銀の金融政策」へと向かいやすくなった可能性はあり、それは政府・日銀としては極力避けたかった事態ではないかと考えます。これまで金融政策にはさほど関心を向けてこなかった岸田政権の挙動に今後、変化があるのか。参院選を境とした動きに注目したいところです。



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