異質で嫌われてると思い込んでいたボクは、異質な人の味方でありたい
皆さんこんにちは、澤です。
前回の記事も、とてもたくさんの方に読んでいただいてうれしいです!
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さて、今回のテーマは、「異質な人を受け入れる力」です。
まずはこの記事。
この記事は社会課題を伝える内容ですが、ボクはその視点ではなく自分の体験を交えて「他者に受け入れてもらうこと」について書いてみたいと思います。
記事の中で取り上げられている外国人の外国人労働者や技能実習生は、日本での生活にかなり苦労をしているそうです。
言葉の問題、制度面の複雑さや柔軟性のなさが真っ先に思いつきますが、ボクとしては「自分と異なる他者を受け入れる力の弱さ」がかなりハードルを上げているように感じています。
「日本人は」とでかい主語を使うのはボクの主義に反しますし、日本以外の国でも同様の問題はあるということは海外にいる友人たちからもよく聞きます。
その上で、やはり日本の特殊性を上げるとするならば「同質性の高さをキープしやすい環境」ではないかと思います。
陸続きに外国がないので、陸路で移民が流入する可能性はゼロ。
方言はあるにせよ、日本全国誰とでも同じ言語で会話ができる。
画一的な教育プログラムをたいていの人は9年間受けるので、学力のOSの基本的構造はおおむね統一できる。
こうなると、「異種」を受け入れる力って、弱まる気がするんですよね。あくまでもボクの私見ですけれど。
かくいうボク自身も、フツーのサラリーマン家庭に育ち、画一的な教育や一般的な就職活動を経て社会人になっているので、きわめて閉鎖的思考になりがちな人間だと自覚してます。
なので、「だから日本人はだめだ!」なんていう資格があるとは思ってませんし、そんなこと言う気もありません。
ただ、「自分と異なる人たちを受け入れる」ということが、他者を幸せにすることができて、自分の人生も豊かにするんだろうなぁという漠然とした思いはあるのです。
なぜなら、ボクは自分を勝手に「異質な人間」というポジションにおいてしまっていたから。
もともと、ボクは「みんなと一緒に何かをする」ということが、めちゃくちゃ苦手な人間でした。
運動神経がよくなかったのに加えて、協調性がないボクにとっては、学校でやらされるチーム競技が大嫌いでした。
「みんなと同じようにふるまう」「みんなで協力して何かをする」ことが、とにかく苦痛だったんですよね。
ちなみに、放課後に「みんなと外で遊びなさい」と母親に言われるのもすごく嫌でした。
ボクは誰とも一緒にいたくなかったし、安心できる場所で一人でいたかったからです。
(ま、家も安全な場所でも何でもなかったですけどね。どこにいても地獄だったなぁ・・・)
そして「こーゆータイプは周囲から受け入れてもらいにくいよな」という強烈な自覚はありました。
世界から嫌われているっていう感覚に毎日襲われて、とにかく生きてるのがしんどいというか面倒くさかった。
ほとんどの人は、ナチュラルに「周囲とうまくやっていく」ことができているように見えました。
ボクは自分を勝手に異分子として自分を認識して、勝手に生きにくい環境を作っていただけなんですけどね。
今、ボクは自分の「異質性」をあえて前面に押し出して、受け入れてもらっていると実感しています。
ビジネスパーソンらしからぬ長髪も、事務処理のできないポンコツぶりも、周囲に受け入れてもらえるようになり、とても生きやすくなりました。
これは、ボクが周囲にとても恵まれたおかげだと感謝してます。
そして、「異質な自分を受け入れてくれた」ことに対する感謝は、ボクのGive Firstの精神を後押ししてくれています。結局、こうやってハッピーなサイクルが出来上がってきてるんだろうなと思います。
(トップ画像は、かみさんのアート活動である「KESHIN」の一環で、ツタンカーメンのメイクをしたもの。「異質感」ありまくりかなと思って使ってみました)
また、グローバル企業に23年務めて、マネージャーが日本人じゃなかったり、海外にたくさんの仲間ができたりすることで、多くの学びがありました。
そして「日本は世界の中の一つの国」という客観的な視点が大分鍛えられ、「日本の常識」に固執することが、非常にもったいない思考であることを実感できるようになりました。
世界は広いし、日本でしか通用しないことにこだわっても、人生の可能性を狭くしているだけって本気で思えるようになりました。
同質性の高さが長年にわたって定着している日本に住んでいる外国人の人たちは、「異質」と認識されやすくなりますね。
今のご時世は、旅行者もほとんどいないので、さらにその傾向は強まってるかもしれません。
言葉が違う、肌の色が違う、衣食住の習慣が違う・・・そうなると、どうしても「排他」の対象になりやすい。
記事中の「技能実習制度は賃金不払いや暴力、セクハラなどが問題視されてきた。」というあたりは、「異質なものへの反応」の最悪の現れ方だなと思います。
「異質なものを受け入れる」に関連して思い出した映画があります。
クリント・イーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」。
名作です。ぜひ見てみてください。
異質なものを受け入れる力をアップすると、どんどんハッピーな輪は広がっていくと思います。
ボクはぜひその原動力であり続けたいなと思います。
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